見出し画像

20,11,17。プロレスから総合格闘技へ①

回数的な区切りも良く、最近書いている内容がプロレス本のレビューから逸脱気味だった事からタイトルを変える事にしました。

気持ちを改めつつまずは初期のプライドの話から書き始めようと思います。

時が経つのは早いもので最初のPRIDE.1が開催されてからもう20年以上経過してしまいました。当時自分は30代半ばだったと思うとひと時代前だなと実感せざるを得ません。

もともとは高田vsヒクソンの為の単発イベントだったプライドですが観客動員はともかく話題性は豊富だった事からシリーズ化されていく事になります。

ちなみにヒクソンに対する連続敗戦でプロレス界からレスラー最強幻想破壊のA級戦犯扱いされた高田ですが、初戦はともかく二度目の試合内容は今見ると決して悪いものではありません。

初戦時は体力の衰えや試合実現までのごたごたからモチベーションが上がらなかった事もありぶっちゃけ何もできないに等しかった高田でしたが、結果的に負けたとはいえ再戦時にはテイクダウンを許さずヒクソンにガードポジションを取らせる等初戦とは比べ物にならない健闘を見せたと思います。

会場に詰め掛けたプロレスファンの祈りむなしく打倒ヒクソンはかないませんでしたが、プロレスラーの勝ち名乗りに熱狂するファンの多さに味をしめたのか、何か「これから来る」という確証があったのかプライドというイベントは継続して開催される事になります。

今回noteに書くにあたり改めて初期プライドの対戦カードをチェックしてみましたが桜庭の快進撃の予兆こそあるものの他の対戦カードは高田vsヒクソンの再戦以外あまり話題性のあるカードは見られません。

観客動員的にも大したことが無かった初期プライドが継続して行われた本当の理由がPRIDE.1で抱えた負債を解消する為だった事を「2000年の桜庭和志」で知った時は謎が一つ解けたような気がしたものです。

高田vsヒクソンの再戦をメインに据えたPRIDE.4で終わるはずだったプライドシリーズですが、頭角を現しつつあった桜庭への期待と主催会社の変更やK-1の運営で名を知られた正道会館石井館長の協力もあって継続して開催されていく事になります。

プライドという大会がプロレスラーを燃料にする事から脱却し総合格闘技ならではのスター選手が現れ出す事で一大ムーブメントを巻き起こすにはもう少し時間が必要だったのでした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?