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20,11,22。プロレスから格闘技へ⑥

アマレスをバックボーンに持ち修斗出身の山本“KID”徳郁を初めて見たのはTV放送されたK1 WORLD MAX 2004での村浜武洋戦でした。

マイナー団体のプロレスラーでありながら立ち技競技にも高い対応力を見せていた村浜の相手として一般的には名の知られていたかったKIDの勝ちを予想したファンは少なかったでしょう。自分も村浜があっさり勝つだろうと思っていました(笑)

ところが小柄な体格ながら既に修斗で無類の強さを発揮していたKIDの立ち技での実力は予想を遥かに越えるレベルでした。リングインした時点からふてぶてしいオーラを放ち、立ち技での経験が豊富な村浜相手にほぼ何もさせない状態でのKO勝利という展開に「彼は何者?」状態です。

その後の活躍は自分が改めて書くまでもなく立ち技のK1から総合格闘技へと進み華々しい活躍を見せます。個人的な感想として彼の強さのポイントは日本人選手にはなかなか見られないハートのふてぶてしいまでの強さにあったと感じています。

レスリンググレコローマン日本代表山本郁榮の息子として幼いころから英才教育を受けてきたという強烈な自信と学生時代から一部で名をとどろかせる事になったアウトロー的武勇伝の数々に見られるような時に必要以上に相手を叩きのめそうとするほどのハートの強さ。

残念なのは彼が全盛期に家族の夢だったオリンピックメダリストを実現する為にアマレスへの復帰&成功を目指し、その過程で大怪我をしてしまった事でしょう。その怪我が原因でオリンピックをあきらめ総合の世界に戻ってきてくれましたが、復帰以降もケガに悩まされるようになりかつての鮮烈な光は取り戻せなかったように感じます。

彼が全盛期にアマレス界復帰では無くUFCへ進んでいたら(後にUFCに進出しますがファイターとしての旬は過ぎていた印象です)間違いなくフェザー級で世界制覇を果たしていたと思います。とはいえKIDは人一倍家族想いな性分でしたから仕方の無い事だったのかもしれませんが…

格闘技他団体時代の到来でお茶の間にも総合格闘技が浸透し、初期プライドの様な無茶な階級差の有るマッチメイクの試合は減り、フェアな試合が主流を占める時代がやって来ましたが、2006年老舗ブランドだったプライドに激震が走ります。

それは地上波放送契約を提携していたフジテレビからのいきなりの契約解除というショッキングなニュースでした。


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