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私が記者を辞めた理由①ずっと違和感を感じていた

 こんにちは。
 映像ディレクターのなべしんです。
 今回は、少しだけ自分語りをします。

 私は、大学を卒業後、とある地方局に入社し、報道記者として約5年間、仕事をしていました。
 とてもやりがいのある仕事だと感じていたし、職場の人たちにも恵まれ、厳しい指導を受けることはあれどパワハラやセクハラのようなことをされたことはありませんでした。
 それでも私が記者を辞める決断に至ったのは何故なのか。これからの自分のためにも、ごくごく平凡で甘ちゃんな私の考えをまとめておこうと思います。

 転職は、私の人生において大きな決断でした。ちゃんと書いていくと長くなると思うので、何回かに分けて投稿します。


なんかノリがあわなかった

 正直、私は、学生の頃から「ジャーナリストになるぞ!」と高い志をもっていたわけではありませんでした

 大学は工学系の学部だったし、学部生の9割以上が院進することもあり、かなり就活意識も低い大学生だったように思います…。

 それなのに飽き性な私は、1つのことを長期にわたって研究することに「コレジャナイ感」を感じたという理由で「文系就職」することを決め、研究とは対極に色々なことに接することができそうという理由でマスコミなかでもジャンルが多岐にわたるテレビ局への就職を目指しました。

 その後、紆余曲折あって地方テレビ局に採用され報道部の記者として働けることになるわけですが、当初は大変ではあれど充実感を感じながら仕事をしていました

 地方テレビ局は、研修などもほとんどないので、入社の翌日から県警担当の記者として働き始めます。
 自分は新聞を読むようなタイプでもないし、ドキュメンタリーを見漁るタイプでも、ノンフィクション本を読破するタイプでもなかったので、記者という仕事は初めての連続でした
 警察組織や司法の仕組みを知ることがとても新鮮に感じられたし、記者クラブやプレスリリースなどマスコミ報道の仕組みについても『なるほどこうやって報道されるわけか~』と何事もワクワクしてました

 記者クラブ業務をこなしながら、デイリーニュース用にいろいろなイベント取材にも毎日のように行くので、「毎日、知らない土地で知らないことを学ぶことができる!」という喜びが大きかったです。
 また、多くの社会問題をかかえる現代において、様々なNPO法人や民間団体が活躍していることや、カッコいい生き方をしている個人がたくさんいることを知れたのも良かったです

 ただ、そんな充実の日々を送りながらも、1年目の時から、どこか"違和感"を感じていました。この仕事を続けていくということに。
 その違和感は、あらゆるものが複雑に入り交じっていて一言では言い表せないのですが、あえて一言でいうなら『なんかこのノリ合わないな~』というところでしょうか

 もともとジャーナリスト志望でも何でもない自分は、周りが「すごい!」と言っていることや力を入れていることに対して、心の底から共感できないところがありました。

 そのひとつが当局の幹部と仲良くなるということでした。
 例えば、記者同士で集まると「◯◯新聞の△△さんは、元捜査一課長の✕✕さんの家に上がったらしい。すごいよな。仕事できるよな。」みたいな会話が繰り広げられる時があるわけです。

 もちろん、当局幹部と仲良くなるのは記者として正しい姿です。でも、周りの話を聞いていると、みんなの目的が「社会をより良くするためのニュースを掴むこと」ではなく「警察官と仲良くすること」に目的がすり変わっているように感じ、気持ち悪さを覚えたのです。

 上司からも、「◯◯と仲良くしなきゃダメだぞ!」「△△のところに行ってんのか?」といった指導を日々受けるわけですが、どこか素直に飲み込みきれませんでした。

 私も、当局幹部が嫌いなわけではないです。ただ、「仲良くする」を目的に会いに行くのが合わなかったのです。
 例えば、「最近は特殊詐欺が増えているから、特殊詐欺に警鐘を鳴らすような特集を作ろう!そのためには捜査二課の協力が必要だし二課に通って、いろいろと企画案を持っていって擦り合わせてみよう…」とかなら分かるのですが、スクープ目的やいざ事件が起きたときに他社に抜かれないために仲良くなる、という打算的な人付き合いが自分は苦手でした

「スクープ至上主義」に感じた違和感

 そもそも、どうしてこうした慣習があるのか。それは報道業界がスクープ(独自)至上主義だからだと思います。
 スクープとは、他社が掴んでないネタを自分達だけが報道することです。記者の世界は、このスクープが取れる記者が"仕事ができる"と評価される世界なんです。

 ここで誤解してほしくないのは、スクープ至上主義が悪なわけではないです。世間に大きなインパクトを与えたスクープ報道は沢山ありますし、隠蔽されていたものを明るみに出すようなスクープは大いに報道する価値があると思っています。そして、そうしたスクープを掴んだ記者たちを私も尊敬しています
 私もそうした"やりがい"のあるスクープを求めて仕事をしようと考えた時期もありましたが、私には合わなかったというだけです

 どのくらい合わなかったのかというと…
 「夜討ち朝駆け」という言葉が記者界隈にはあります。夜の退勤後と朝の出勤前に警察や検察幹部、政治家などの家を回ることです。
 記者は独自ネタを求めて、日々いろいろなところへ夜討ち朝駆けをするわけですが、この言葉を入社して初めて知った私は、「早朝と深夜に人の家のインターホン鳴らすのって非常識じゃね?」と考えてしまい、インターホンを鳴らすのに毎回30分くらいかけてしまうくらいにはヘッポコ記者でした

 ただ、私には他の多くの記者も「他社に抜かれたら嫌だから」というモチベーションで夜討ち朝駆けや警戒電話をしているようにも見えました。警戒電話というのは、ニュース放送の1時間前などに 各警察署に電話をかけて、新しい事件や事故が起きてないかを聞くことです。どんな小さな事件や事故でも、他社がやっているのに自分たちは知らないという状況を避けるためにやっているわけです。
 スクープ至上主義ということは、自分達がスクープを取るのは良くても、他社がスクープを取るなんて絶対許されないということでもあるので、こうした業務が生まれるのです。
 
 大体、スクープなんて簡単に取れるわけではありません。都合良く自分達だけが知れるようなネタなんて転がってませんから。
 そのため、「スクープを目指す」というのは結果がすぐに出ないのでモチベが保ちづらい。むしろ、「自分達だけが報道できないということを避ける」という目的で、夜討ち朝駆けをして、お偉方と顔見知りになっておき、最悪スクープを抜かれても、すぐに挽回できる体制だけは整えておく…という立ち回りをしたほうが、「スクープを抜かれてない」という結果は出るためモチベを保ちやすいわけです
 でもそれだと、目的が「スクープをとる」ことから「他社にスクープを取らせないこと」にすり変わるわけで、私はどこか気持ち悪さを覚えてしまいました。

 結局は、仕事として割りきれない自分の未熟さや、自分を貫き通すほどの強い信念が無かったことに問題があるのですが、自分は本能的にどこかでこのスクープ至上主義にノリきれませんでした

 それよりも自分が興味を持った取材先に長期で密着してドキュメンタリーを作ったり社会をより良くするためには大事なことなのにあまり光が当たっていないことを取り上げたりする方が、自分が働く意味を感じられそうだなと思い転職を決めました。

おわりに•••

 今回は、ここまでで結構な文量となってしまいました。本当は語り尽くせないことがもっとたくさんあります。
 何のために自分が書いてるのか良くわからないですが、自分の今後の人生のためにも、決断の理由の続きは、また後日投稿したいと思います。


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