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『やりがい』か、『生きがい』か。芸術家たちを取材して感じたこと。

 こんにちは。
 映像ディレクターのなべしんです。
 
 今回は『直近の取材で感じたことを書き殴る』ということをやってみたいと思います。
 細かい取材情報は出せないまでも、自分の頭の整理になるかなと。よかったら読んでみてください。


芸術家に共通する価値観

 最近、画家や彫刻家などいわゆる『アーティスト』の取材をさせてもらっています。
 私は、絵も描けなければ楽器も弾けない、芸術とは無縁の人間なのですが、色々と共感したり、感心させられたりする点が多くありました。

 そのなかでも特に心に刺さったのは、アーティストの人たちが持つ『仕事に対する価値観』でした。

 アーティストの人達に「こんな作品を創れるなんてスゴいですね!」と声をかけると、みんな決まって『自分にはこれしかなかったですから.. 』と口にします。
 この言葉を言える人って、なかなか少ないのではないでしょうか。
 アーティストにとって創作活動は『生きがい』でありそれが無いと生きている理由を見いだせないほど強烈な存在なんですよね。
 
つまり、彼らにとっては『仕事=生きがい』なんです。
 
 ただ、芸術活動はお金になりません。
 画家の方の取材もしましたが、天下の東京芸大を出ても同級生に1人~2人くらいしか画家として食べていける人はいないそうです。
 
そのため、作家活動をしながら副業しているという人がほとんどだそうです。

 「それじゃサラリーマンと変わらないじゃないか!」とも思いますが、サラリーマンと大きく違うのは「自分の創作活動のために仕事をしている」という実感があること。「仕事=金を稼ぐ手段」であるのは同じですが、『自分の生きがいのための労働』と捉えているので、不思議と苦しさは半減するそうです。
 
 
ある意味、大学生にとってのバイトのような感覚でしょうかバイトでうまくいかなくても、ここが俺の本領を発揮する場所じゃないし!というような…。

 そして何より、暮らしが丁寧で豊か
 作家活動を続けるために、シェアハウスに入って家賃を抑えたり、古民家を借りて農業をしたり、島に移住したり…暮らし方すらも自分たちでデザインしているのです。

 現代人は、職場によって住む場所を制限され、起きる時間も寝る時間も縛られ、料理する時間もないからコンビニのパンで食事を済ます…みたいな生活をしている人が多いと思います。(コンビニのパンも美味しいですが…)
 一方で、アーティストたちは、「やりたいこと=創作活動」を続けられたら十分。あとは自分たちがどう生きたいか?という視点で生活スタイルを決めているんですよね。

 そうした生活に踏み切れるのも、本業が『生きがい』になっているからこそだと思います。

サラリーマンにだって『やりがい』はあるけど…

 私がアーティストたちからこんなに刺激を感じるのは何故なのか…と考えてみました。
 おそらく、自分の人生と彼らの人生を重ねたときに、『自分の人生がいかに綺麗事で出来ていたか』を痛いほど突きつけられたからじゃないかと思います

 私は、大学へ進学後、「多くの人に情報を届けられるなんて『やりがい』がありそうだ」と感じ、テレビの世界に入りました。
 当初は、東日本大震災での経験から「多くの人に正しい情報を届けたい!」と思い、報道記者として働きましたが、結局、約5年で『もっと映像の面白さをつきつめたい』と感じてディレクターに転職しました。

 どうして私は『報道記者』を続けなかったんでしょう?
 報道記者という仕事は、間違いなく『やりがい』に溢れている仕事ではありました。
 
災害などがあれば真っ先に駆けつけ、現場の状態をいち早く伝える。同じような被害を出さないよう防災報道をする。不正を暴き、世に知らしめる。世の中に知られてない人•地域•文化•職業•作品などの魅力を掘り起こす。
 どのニュースにも、意味があり、目的があり、誰かのためになろうとしています。

 ただ、自分にとって報道記者の仕事は『生きがい』にはなりえなかったのではないかと。
 生きていくのに「これじゃなけりゃ自分はダメなんだ」と思えなかったから辞めたのだな、と今では思います。
 
 当時の「記者として働きたい」という思いに嘘はありません。
 
でも、志望動機なんてものは、所詮は自分のなかでの綺麗事で、本当は『テレビ局なら給料もそれなりに高いだろう』とか『周りにバカにされずに済むだろう』という決して就職試験では表に出さない打算も入っているわけです。

 そんなだから『やりがい』を『生きがい』とまでは感じられず、自分の時間や住む場所、付き合う人や興味関心の矛先まで制限されることに心から納得できませんでした

 一方で、彼らアーティストは、打算なく自分に向き合い、決して稼げない仕事だとしても、人から『辞めとけ』と言われても、その道に進んだ人達です。

 記者の仕事だけでなく、全ての仕事に『やりがい』はあると思います。 
 どんな会社もホームページを見れば、最もらしい企業理念を唱っています。
 
 それは嘘ではありません。
 でも、その『やりがい』じゃないと本当にだめなのか?
 『やりがい搾取』なんて言葉があるように、自分の働く意味、生きる意味を納得させる便利な道具として『やりがい』という言葉を使っていないか、自問自答する必要があるのではないかなと思います。

『やりがい』か『生きがい』か。

 「じゃあ、サラリーマンみたいな生き方をするのは間違っているのか???」
 「作家もお金にならないなら趣味と同じじゃないか?趣味のために仕事する人と何が違うのか?」
 「生きがいなんて、そんな簡単に見つからない!」
 
 そんな風に考える人も多いと思います。
 自分もその1人です。

 ただ、私がアーティストの人達を通して強く感じたのが、多くの人が「『やりがい』を盾にして、自分の心を騙していないか」ということです。

 本当はやりたくなくても、「誰かのためになるなら」「社会を良くするためなら」「会社のためになるなら」と自己犠牲の精神に陥っていないか。
 
 自分を大切にするためにも、ふと立ち止まって、「自分の仕事の『やりがい』は『生きがい』になりえるか」と考えることも大事だなと感じたのです。

 そこで、生きがいだと思えるならよし。
 思えないなら、職を変えてもよいし、仕事は仕事と割りきって、プライベートに生きがいを見つけるもよし。
 
 そもそも『生きがい』とは何なのか。
 それは、「お金を稼ぎたい」「有名になりたい」などの「欲」を一切もたずに、純粋に自分が「やりたい」「続けたい」と感じられるものではないか、と思います。

 彼らは、アーティストとして活躍できる人なんてひと握りだと分かっていても、やらずにはいられなかった人達です。
 
 それは『難しいからこそ、そそられる』みたいな挑戦欲でも、『みんなにうまいって誉められたい』という承認欲でもありません。
 
 ただ、自分が「やりたい」からやる。
 そのために、生きる。
 自分で人生の行き先を選択し、人生の舵を自分で取る。そういう人達です。

 ここで勘違いしてほしくないのは、創作活動は苦しみを伴うということです。楽なことではないし、ただ楽しんでるだけではありません。その点では仕事と同じで、遊びとは一線を画するものです。
 
 それでもやる喜びを感じられるからこそ、彼らは『生きがい』と胸を張っていえる部分もあるのだろうと思います。

 正直わたしは、子育てに追われてますし、マイホームのローンが残っています。今の条件以下で働くのは難しく、環境を変えるという選択肢はとりづらいです。

 しかし、今すぐでなくても、40才でも50才でも60才を過ぎた後でも、いつか人生のなかで『生きがい』と胸を張って言えるものを仕事にできたらなと思います。

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