加藤 豪

1964年生まれ。美術家。東京芸術大学絵画科油画専攻卒業。東京芸術大学大学院美術研究科…

加藤 豪

1964年生まれ。美術家。東京芸術大学絵画科油画専攻卒業。東京芸術大学大学院美術研究科修了。【主な展覧会】2008年、釜山ビエンナーレ(釜山市立美術館)。2001年、先立未来展(ルイジ・ペッチ美術館、イタリア)。1997年、デ・ジェンダリズム展(世田谷美術館)。名古屋市在住。

最近の記事

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Go Kato “Automatism (Slipping into Another Dimension)” May 26th, 2024      

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      Go Kato “Automatism (Landscape with Eyes)” May 23rd, 2024      

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        Go Kato “Automatism (Planet Dust)” May 20th, 2024      

        • 画像生成AIを恐怖する「アーティスト」

          多くの美術家が現状、恐怖から、画像生成AIに正面から手を出さない理由は、(例えば大学の体制なども含めた)業界的・集団的なものであるが、その本質は、自らが名乗る「アーティスト」と(「アーティスト」以外の画像生成AIを使用する)「一般人」との差異が本格的に不明になるのではないか?という恐怖にあると、考察ができる。一方で、画像生成AIに限らずAIそのものは、それを扱う個人の能力差をあらわにする、と言われている。この二重の恐怖でしょうね。よく言われる著作権の問題に関して言えば、従来の

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          縄文イデオロギー

          「他者の欲望」というと良さそうに聞こえるが実は現実的には偏狭なものなんですよね。母親の欲望に従っていたにすぎないアーティストも現在も数多い。「世間で有名になってね」という。古くは岡本太郎や、工藤哲巳もそうだ。私が呼ぶ平凡な「アーティスト」群。そしてなぜかこれら「縄文」を主張する。 マザコン=縄文という図式。 勿論、表面的には「従属」ではなく「反発」である。

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          New-Surreal (169)

          Go Kato “Automatism (Trash Selection)” May 4th, 2024      

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          New-Surreal (168)

          Go Kato “Automatism (From Barbarism to Civilization)” May 1st, 2024      

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          遠隔視

          情報。「品物」化したアートは(=幼児の「対象」としての)、色とりどりに見えても、レオナルド・ダ・ヴィンチや分析的キュビズムのピカソやキリコや、またはセザンヌでも、その隣にアイコンサイズで並べてみると、一個一個が非常に汚くすぐに飽きそうなのがよく分かります。 遠隔視。   [備考] 遠隔視は、確かストア派の訓練とかにもあります。

          「格差」は作り出されなければならない

          私は比較的近年ではフリードリヒ・ハイエクの晩年の著『致命的な思い上がり』を読んでかなり影響を受けている自覚があり、特にそこで(交易における)「情報の機密性」の重要性を述べている箇所。同書で、文明の条件として(共有ではなく)「私有(ハイエクの用語では個別的所有)」が語られている所もそれに内容が重なる。 先ほど見た彦坂尚嘉氏の新しい動画で、それに近いことが話されていると私は感じた。美術家は例えば大学で教えると駄目になるという話もそうだが、より具体的に最新の技術であるAIを用いた

          「格差」は作り出されなければならない

          New-Surreal (167)

          Go Kato “Automatism (Encountering the Unknown)” Apr. 23rd, 2024      

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          時代区分の混在・今しかないという感覚

          彦坂尚嘉さんの言う「無芸術」(用語自体は元々アラン・カプローのものらしい)は、落ちて行く文明、即ち「無文明」=現代を前提としているらしいが(現在の世界の戦争・政治状況を見てもそのように確かに私にも感じられるが)、奈良美智や村上隆、あるいは草間彌生を見ても既に現に芸術の本質が失われ立派に底まで落ちた形になっている。そこで「盛期ルネッサンスの頂点」としてのレオナルド・ダ・ヴィンチを、特にAIの特徴とスフマートを結びつける形で彦坂氏が再度注目するというのは、どういうことだろうか。そ

          時代区分の混在・今しかないという感覚

          New-Surreal (166)

          Go Kato “Automatism (Rococo)” Apr. 16th, 2024      

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          鈍臭い榎倉康二さん

          日本の現代アートがアホのままこうして収束したのは、私の観点からは60年代・全共闘以来の「反米」をあまりにも真に受けて、20世紀後半以後の全く衰退したヨーロッパの文化状況に自己の弱さを擦り合わせて正当化し逃げたから。80年代ニューアカデミズムを経由しても、それは全く切断されずにむしろ強化され引き継がれた(=まさに「逃走」論)。集団的に積極的にアメリカ(のアート的強部)を盲点としたということ。私の学部の担任だった榎倉康二さんは、もろにその雛形で学年を超えて全体的にその影響を与えて

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          展覧会をするべきではない時

          今、展覧会とかするべきじゃないだろうな。一番。 私は現代アートは美術史的に完全に一区切りだし(その内部では内容の更新がない)、実質的に終わったがその内部にいる人たちが続けてきた欲望の処理を未だできていないだけという認識。美術自体は生まれ変わる。   参照。  

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          New-Surreal (165)

          Go Kato “Automatism (The Charging Chasseur)” Apr. 11th, 2024      

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          New-Surreal (164)

          Go Kato “Automatism (Depths of the Earth)” Apr. 7th, 2024      

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