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「BLUE GIANT」映画館に行けばよかった

Amazonプライムで公開されてから何回目だろう、またしても夜中に「BLUEGIANT」を見て、やっぱり好きだなあとしみじみ思った。
凹んでいる時によく効く薬のようなものだ。

まっすぐであること、嘘がないこと、素直であること、遠慮や謙遜を持ち込まないこと、他人と比較しない、勝とうとしない、ただ強くあろうとすること、尊重すること。
諸々が詰まっていて、見るたびに曲がった背筋を強制的に伸ばされる。

私が特に好きなのは、雪祈が豆腐屋さんの前で、早朝から仕込み作業をじっと見つめているシーンだ。

雪祈は、日本のJAZZプレイヤーの聖地、あこがれの「SO BLUE」の平さんに、人や音楽に向き合う姿勢そのものが、なっていないことを指摘され、打ち砕かれる。
雪祈が
「そこまで言うか」
のあとに
「そこまで言ってくれるのか」
と言い直したのは、本当は自分のやり方が間違っていたことを自覚していたからだ。

大に「俺たち一人一人がもっと強くなろう」と言われ、本当はそれが正しいと思いながらも、受け入れることができないでいたのは、雪祈に素直さが足りなかった。
「JASS」のメンバー三人の中で唯一戦略を担当できそうな自分のことを、勝手にリーダーだと思い込んで意地になっていたからかもしれない。
あるいは、4歳からピアノを始めた自分の方が、サックスをはじめて3年ちょっとの大より音楽のことはわかっているという、ささやかなプライドが顔を出したのかもしれない。

いずれにせよ、大のストレートなアドバイスを、雪祈は小利口な戦略でかわし、平さんに鼻っ柱をへし折られるわけだが、そのあとの雪祈の反省の仕方がまっすぐで胸を打つのだ。

雪祈は、音楽を続けていくために、深夜の工事現場で交通整理のアルバイトをしている。
そこを通過する一台のトラックの運転席に、見覚えのある顔。
ライブのあと、平さんから連絡をもらい、浮かれて店を飛び出してサインを断った初老の男性だ。
「金田豆腐店……。」
トラックに書かれた文字を記憶する雪祈。

あの豆腐屋のおじさんは、ポッと出の自分たちの演奏を、お金を払って聞きに来てくれた大切な一人なのに、自分は彼を押しのけて、平さんを優先した。
どれだけ音楽に自信があっても、お客さんがいなければ、音楽家としての自分も成立しないのに。
俺は一体何様だ?

金田さんに謝りたい雪祈は、バイトが終わった早朝、豆腐店を探して訪れる。
そこで、彼は金田さんの日常を見るのである。
金田さんは、毎日、大豆をゆで、湯気の立つ大鍋の中の豆をつぶし、熱々の豆乳ににがりを加えて、豆腐を作る。
おそらく、何十年も前から、休まずに。
その横顔は、真剣そのものだ。
そうやって、自分と家族を養ってきた立派な人の、ささやかな楽しみであるJAZZを、雪祈は自分の功名心で踏みにじってしまった。

物陰から働く金田さんの様子を見つめながら、顔をゆがめる雪祈。
本当は、他人の痛みにも敏感な優しい奴なのである。

雪祈のいいところは、自分の痛みと金田さんの痛みを、そのままにしないところだ。
チラシにサインを書いて金田さんに届け「謝りたいと思っていました」と頭を下げる。

悪いと思ったら、謝る。
この簡単な行為ができないばかりに、いつまでも棘が刺さったままになっている人は、日本中に100万人くらいはいるはずだ。
そして、その100万人のうち5万人くらいは、この映画を見て「ごめんなさい」を言いに行ったことだろう。

そうなのだ、「BLUE GIANT」には、行動を促す力がある。
まっすぐ生きようと思わせてくれる力がある。

「今どき、ここまでストレートな映画は、恥ずかしくて見に行けない」
と映画館に足を運ばなかったことが、猛烈に悔やまれる。
本当に、映画館で見ればよかった。
映画館のサウンドで聞きたかった。

**連続投稿837日目**

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