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ヒロシマではなく広島

昼ごろ広島に到着した。
目的は数ヶ月前から楽しみにしていたライブ参戦だ。
けれど、広島では楽しんではならないようなプレッシャーを、勝手に感じてしまう。

その原因は分かっていて、子どもの頃から「はだしのゲン」はじめ、ヒロシマに関する物語に触れすぎて来たのからだろう。
全くゆかりのない土地なのに、「宇品」だの「己斐」だの、親の実家の近所的な身近さで地名を知っている。
通り過ぎるたびに、心臓がぎゅっとなる。

街で見るあらゆるものが、ヒロシマを想起させる。
例えば路面電車。
「ああ、これが、運転士が軒並み出征して、女学生が動かしていたという、あの……!」
「被爆後3日で被災者を運んで走ったという、あの……!」
といちいち、敬礼したくなる。

例えば、川。
「この川に熱風を避けて飛び込んだ人たちが、満潮になるにつれて足がつかなくなり、火傷が突っ張って溺れて亡くなっていったんだ」
「この川の縁ギリギリまで被爆した人たちが住んでいた原爆スラムがあったんだ」

例えば、街路樹。
「これは、被爆樹を接木で増やしたクスノキなのかな」

どうみても最近作られたビルにまで、何がしかの関係を脳が求めてしまう。
病的である。
ただ広島にいるだけなのに。

原爆資料館は、今日も観光客で大混雑。
あの日、この上空で閃光が炸裂しなければ、この街は世界的な観光都市に発展することもなかったのだろう。
日本の類型的地方都市として、順調に寂れ、順調に少子高齢化が進んで、シャッター商店街が目立っていたはずだ。

隣のベンチのおじいちゃんは、白人観光客が通るたび
「ウェルカム!ウェルカムヒロシマ!よう見てってくださいよ」
と声をかけている。
何を見て欲しいんだろう。
なぜ白人に限定しているのだろう。

他の街では
「ちょっとおかしいのかな?」
で片付けられてしまいそうな人が、ここでは何か深い過去を背負った人に見える不思議。

ここを「ヒロシマ」だと思うことがしんどい。
あと何回訪れたら、ヒロシマはただの広島になるんだろう。

私はヒロシマを忘れたいわけじゃないのだ。
今の広島も、ちゃんと楽しみたいだけなのに、なんで来るたびにこんなにしんどい気持ちになるんだろう。

**連続投稿841日目**

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