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冬日#2020クリスマスアドベントカレンダーをつくろう


あれだけ大切にしていたものを、ある日突然、もういらないってゴミに出してしまうことがある。
宝物がゴミに成り果てる感情は、心の奥底でずっと燻って熟成したものなのか、突然湧き出てきた勇気なのか、或いは、ついこの間まで愛していたものが急に汚らわしく見える心変わりなのか。
わたしは、自分の思うところがそのどれであるのかすら分からずに、生きている。

「沙耶はいい子だよ」ゴツゴツとした男の指がわたしの髪を梳く。
甘えた眼で見上げれば、薄めにすった書道の墨みたいな彼の瞳の中に自分が映る。
そう思った瞬間、瞳の中の自分は急に大きくなって次第にわたし自身が吸い込まれる。
目を閉じたら何も分からなくなるから、されるがままに任せるのは、それなりに気持ちがいい。
乱暴に閉められたベランダの隙間から、冬の真夜中の風が突き刺さる。
「ねぇ…寒い」
されるがままに剥き出しになった肩が凍ってしまいそうで毛布をずり上げる度に、いつのまにか跳ね除けられてしまう。
されるがままに始まって、されるがままに終わる一連のそれが終わった瞬間に、わたしは、重い体を引きずって自分で自分を操縦しなければいけなくなる。
暗闇の中で一瞬手が触れただけで、パッと白く点灯するスマホの画面に目がくらんだ。
2019年12月26日。
全てのほとぼりが冷めた頃、インスタグラムにずらりと流れる、見飽きた駅前のイルミネーションの写真と、煌びやかなラッピングの箱にもたれかけさせたブランド物のプレゼントの投稿のハートを点滅させる。
クリスマスに誰かに抱かれるわたしは、誰かのの幸せな投稿に、いいねをつけられる「幸せな女」だ。
彼が煙草に火をつけながら、「寒いな。隙間が開いていたのか」と呟いてピシャリと乱暴にベランダの隙間を閉める音が聞こえた。
明け方、そういえば、と思い出したように渡された某ブランドの小ぶりのネックレスが、今夜の代償だった。
襟元が開いたお気に入りのニットによく似合う。これをつけるたびに、しばらくは、愛されたクリスマスの達成感を思い出す。


誰にでも愛される人は、人の気持ちが分かる人だ。でも、気持ちが分かるだけでは足らない。
汲み取って分かった気持ちを、自分の心と同調させて、心からわたしはあなたを受け入れていますと相手に悟らせるところまでがセット。
誰の気持ちも考えず、自由気ままに生きながら愛される人というのは、それは類稀なる才能で、羨望の目を向けられている。
雑誌の裏表紙に載っている煌びやかな宝石みたいに、いつか手にしてみたいけれど、実際手に入れる度量も、その輝きを自分に纏う覚悟もないのだから。
隣に置いておくならば、わたしのような可愛いいい子の方が随分と気が楽でしょう。


「すぐに悪い人に騙されちゃいそう」屈託無い笑顔を見せるたびに、そうやって言われてきた。
基本的に、人はみんないい人だと思っている。
自分の中で何かしらの欲望を膨らませて抑えきれなくなりそうになったとしても、結局社会の目に怯えて、自分の倫理観の中にそれを押し込む。
臆病者ばっかだ。
わたしも臆病者だから、人を疑うことなんて面倒くさい。
でも、わたしはその自分の素直さが好きだった。
「いいこ」という響きが、「愛子」とか「莉子」みたいな可愛らしい女の子の名前みたいで、わたしのまた別の愛称のように受け取っていた。

年の暮れの夕方のカフェは、どこも人で賑わっている。身を切る寒さはどうしてか孤独な気分になるから、カフェに入ってホットカフェラテを頼んで彼を待っていた。
やることもなく一人でいることが寂しくて、待ち合わせはいつもそわそわと気が掻き立てられる。
「おまたせ。」
黒いコートに身を包んだ彼が、わたしの目の前の席に勢いよく腰をかけた。
「今日は忙しかったの?」
「まぁまぁかな。でも、俺要領いいからさ。ちゃんと、早く終わらせたよ。」
「え、わたしのために?」
「違う違う、いつものことだよ。仕事が早いっていつも褒められてさ。」
誰かにアピールしたい時にわざとらしく声が大きくなる彼のいつもの癖で、彼の視線がわたしを通り越えて、わたしの斜め後ろの辺りを追っていることに気が付いた。
本当は、最初から。
斜め後ろの席にはきっと、彼好みの女性が座っている。
いつも街で隣を歩く彼が盗み見る女性は、決まって背が高くて薄化粧でも顔立ちがはっきりとした女性。
低い背を厚底のブーツで誤魔化して、30分かけてアイプチとアイライナーで作り上げた大きめの目ときっちり計算された角度で入れたチークと、もう4本目になる決まった色のリップで、やっとわたしは「彼の隣を歩けるわたし」になる。
嫉妬の感情よりも先に、その人にあって自分にはない美しさを比べる癖がついた。
斜め後ろの席を盗み見ると、想像通りのすらりとして顔立ちの整った美しい女性の横顔が見えた。
テーブルにはもう湯気が出なくなった一人分のホットコーヒー。誰かを随分と待っているのだろうか。
一縷も憂いを纏わない横顔に、わたしは、彼女と自分がもつ美しさを比べることすら出来ないと直感で悟った。

「あの人、綺麗だね。」
彼の耳に思いっきり近づいて、内緒話みたいに囁くと彼はびくりと肩を震わせた。
「え、本当だ。うん、モデルさんみたいだね。一人なのかな?」
今初めてその女性を目にした風を装って、わたしに視線を戻すその瞳の中に映るわたしがゆらゆらと激しく揺れている。
まるで愛を囁くみたいにして、言葉にできない嫉妬を隠しきれていないわたしみたいに、彼も分かりやすい。
あぁ、彼女は雑誌の裏表紙の宝石だ。
一人きりでコーヒーを飲むその女性は、知らない男からも好意の目を向けられていることすら気付かずに、窓の外を眺めていた。
彼女の待ち合わせの相手がどうかこのままずっと来ないで欲しい。一人でいる姿が美しい女性。

わたしは大袈裟な愛情表現をする人が好きだった。
「可愛いね」って髪を撫でられる手で、自分が可愛い生き物としてその人の目に映っていることを自覚する。
「わたしのために」と差し出された優しさをいくつ受け取ったかで、わたしは大切にされるべき人間だという自尊心を育てられる。
だから、「好きだよ」と言われない夜は、愛が離れた気がして心配で苦しい。
何度も催促をして貰った「好き」はとっくに湯気が出なくなったホットコーヒーみたいなのに、乾ききった喉を潤すにはそれで充分だった。

冬の夜は訪れが早い。
わたしが化粧室から戻ると、彼はそろそろ行こうかと立ち上がった。テーブルの伝票を取りながら、もう一度、斜め後ろのテーブルの彼女を一瞥しながらわたしに耳打ちをした。
「あんな美人が一人でいるなんてあり得ないよな。」
相変わらずガタと大きな音を立てて椅子を引く彼も、自分の存在感を示さないと生きていけない人なのかもしれない。

誠実とは、決して裏切らないとか、裏表がない真っ白なことを言うのだと思うならば、何にも分かっていない。
失うべき時に手放すことだ。
喪失感を知れば、自分の身が路地裏に寝転がるボロボロの布きれになって、もはや通りがかりの知らない人にすら踏み付けられているような感覚に陥るというのに、その痛みは、自分が大人になっているという苦い承認欲求を満たす。

生温いまま置き去りにした感情。


ベランダの錆びついた物干し竿に洗濯物がかかって揺れている。
冷たく湿った鼻先が痛い。
薄眼を開けて最初に飛び込んでくる光景は、生活感あるベランダ越しの朝焼け。
最近、7時にセットしたアラームが鳴るよりも早く目が醒めるようになった。
冬の朝は、射し込む陽の色が夏よりも彩度が低くくて、高熱にうなされている時に飲むとやけにまろやかに感じる冷水みたいな、気怠げな温かみを感じる。
見慣れた天井をぼうっと眺めていると、ふいに自分の身体が浮いていくように感じて、思わずかけ布団のシーツをぎゅっと握りしめた。
少し離れたところで寝ているその人は、規則的な寝息を立てて起きる気配なんて見せずに寝返りをうった横顔は安らかで、布団がめくれて足の指先が出ているのにも気付いていない。
ほんのり赤くなっている指先にそっと触れると、氷みたいに冷たくなっているのに。

半年前から幼馴染とルームシェアを始めた。
わたしがこの地に半年間だけ転勤になったから、新しく部屋を借りるよりも、一緒に住んだ方が家賃が安く済むという身勝手なお願いに了承をしてくれて始まったルームシェア。
彼とは恋人関係でもなければ、何でも話せる親友同士でも無かった。
ただ気付いた時にはいつも隣にいた彼に、いつのまにか言いようもしない感情を抱き始めた。
最初は、恋だったかもしれない。
でもすぐにそれは違うと思った。
彼の前ではいつもみたいに、可愛いいい子を演じることは出来なかった。
彼の存在は何かと聞かれたら、それはミネラルウォーターだと答える。
朝起きて、仕事に行き、帰ってきてご飯を食べて、すぐに眠る。
そんな日々を淡々とこなしながら、どんな時も動揺した顔すら見たことがない。
欲も感情も見えなくて、味気がなくて、ペットボトルに半分残した水みたいな人だと思った。


浅い二度目の眠りにつけないまま、ゆらゆらと揺れる洗濯物を眺める。
朝の冷たい空気に乾かされた洗濯物は、これを着る人の体温を一瞬奪ったあとに、じんわりと体温に馴染んでその身体を凍りついた風から守って温めるんだろう。

眠れずに、硬いフローリングの床にうずくまって両腕で自分を抱きかかえるように縮こまると、ひどく孤独な気分になる。
自分の体温で自分の冷たさを拭うことには、とっくに慣れて生きてきたはずだ。
それなのに、温かくて大きな何かに背中から抱きしめられたならきっと安心して涙を流せるのだろうかと思うのは、わたしは誰かに抱いてもらわなければ生きられないほど弱く儚い存在だと認識したいからなのだろうか。

「何してんの」
背後から、さっきまで寝ていたはずのその人の声がした。
ばさっと乱雑に肩からかけられたブランケットの重みが、抱きしめられるよりも温かみをもっていることを初めて知った。
愛されることを当たり前に知っていけば、いつか小さな幸せに気付けなくなる。
わたしは誰かに優しくされるたびに、それで自分の価値を感じて生きてきた。
「沙耶ってさ、いつもひとりでは生きていけないみたいな顔してる」
わたしの頬に人差し指でそっと触れて、独り言みたいに呟いたその人は、それ以上は決して触れてこない。
「わたし…ひとりでいる時は…自分じゃなくなるみたい」
ようやくわたしが口にした言葉は乾いた空気の中でカロンと空き缶を転がしたみたいな音がする。
「コーヒー飲む?」


枕元に置いたミネラルウォーターが冷蔵庫の中に入れておいたみたいに丁度いい冷たさで喉を潤す。
スマホがアラーム音と共に震えて、ディスプレイ画面に、「2020年12月25日7:00」の文字が映し出された。
何の予定もないクリスマスを迎えるのは、ここ最近の人生で初めてだった。
「そういえばさ、今日クリスマスなんだよ。今夜はどこか出かけるの?」
台所で無造作にお湯を沸かす背中が、無言を貫きたいと望んでいることは知っていた。
「彼女と別れたの?」
わたしは聞かなくてもいいことをいつも聞いてしまう。
コーヒーフィルターにお湯が注がれた瞬間、香ばしい香りが部屋中に漂って、何だか懐かしい気がして目を閉じた。
蘇るような懐かしい思い出なんて、ひとつも思い出せないのに、どうしてか身体の力が抜けていく気がする。今朝のそれとはまた違った、浮遊感。
「人ってさ、全く側に誰もいなくなると、ちゃんと生きられなくなるって本当だと思う?」
グレーのくたびれたスウェットの広い背中をぼんやりと見つめると、目眩がした。
「何でだろうね。ひとりでいる方が、誰にも惑わされずに自分が見えるはずなのにね。」
何も答えない背中に独り言みたいに質問をぶつけると、視界が揺らぐ。

「はい、これ。」
手渡された並々とブラックコーヒーを注いだマグカップを両手で受け取ると、思いのほか熱くて慌ててフローリングの床にそれを預ける。
「こぼさないでね。」
彼の相変わらず素っ気ない口調と、わたしのコーヒーを恐る恐る一口啜る音が合わさって、どうしてか子供の頃の朝ごはんを思い出した。
トーストにバターを塗る拍子に肘で牛乳のカップを倒してこぼしていつも叱られた。
大丈夫。マグカップを握りしめて、コーヒーが揺れるのをちゃんと見ていればこぼさないから。
黒い水面に寝癖のシルエットが揺れる。
「ちゃんと自分を見てんじゃん」
急に降ってきた声に驚いて顔を上げると、彼の瞳の中に映る自分と目が合った。
「何で泣いてんの」
「泣いてないよ。目が乾いただけだって。」
「別に泣いてるってことでいいじゃん。泣きたかったんでしょ。」
何でもないことのように差し出されたティッシュでごしごしと目を擦ってしまったことに気付いて慌てて上を向く。
これから仕事なのに目が腫れたら、まずい。

「仕事遅れるよ。」
何事もなかったかのように彼が立ち上がると、空気が動いて洗濯物のにおいがした。
心臓へ通り抜ける前に、じんわりと体温に馴染むにおい。
「ねぇ、今日鍋しようよ。シンプルに水炊きとか。熱燗買ってきて。」
「酒あんまり飲めないんだけど。」
ふっと笑いながら、玄関を出て行く拍子に小さく片手を上げた後ろ姿を見て、やっぱりキムチ鍋にしようと思った。









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