放射能と食品の安全基準について

※以下の文章は2014年くらいに覚書として自分が作成したものです。当時は公にしませんでしたが、Twitterでの以下のツィートとそのスレッドをきっかけに急遽思い立ち公開しました。

放射線被ばくにおけるリスクについて

まず第一にリスクというものをどう考えるかが重要。基本的に放射線の被ばくでのリスク管理は以下の通りと思って良い。

年間1mSv

取るに足らないリスク。つまりこれ以下ならば対策をすることにあまり意味がない。何故ならば年間の自然被曝量というのは2.4mSvくらいで、それが1mSv増えたところでさしたる違いはないし、実際に日本国土の中でもそれくらいの誤差はある。だからこれ以下だと対策を講じることや、ことさら気を使いすぎるのは別のリスクを想起してしまう。例えば1mSvを怖がることで、移住などをしたらそのストレスや経済的負担のほうが被曝リスクよりも遥かに大きくなってしまい本末転倒になってしまう。

とはいっても原子力事業者が周辺住民の被爆量が年間1mSv程度なら増えても問題なしとして通常業務において放射性物質の垂れ流しをして良い訳ではない。(実際にセラフィールドなどではこれに近い考え方で放射性物質の垂れ流しをしたが、、)

また食品の内部被ばくにかんしては、本来はそれほどセンシティブになるべき案件ではないが、チェルノブイリ以来、年間1mSvを基準値の一つの目安にしている。(逆にチェルノブイリ以前はセラフィールドの垂れ流しや、あるいは核実験のフォールアウトなどで現在の基準から考えれば信じがたいレベルの汚染レベルの食品が出回っていたはずであるが、厳しい規制などは殆ど整備されていなかった為、その実態はほとんど無視されている)

年間20mSv

医療従事者や原子力関連の従事者の基準値。これらの人々が年間平均20mSvの被曝で5年間で100mSvとなるという考え方。継続従事することにおける一つの目安である。

100mSv

短期被曝の知見として、広島・長崎などから得られた疫学的知見で100-200mSvの被曝(短期被曝)では癌のリスクが8%上昇する(つまり例えば、ある都市において一定期間で10000名の癌患者が発生したとして、全く人口構成・習慣などが同じ別の都市では一律で100-200mSvの放射線を全住民が浴びた場合10800名の癌患者が発生するということ)という結論が得られた数値。様々な学説があるが、結局これが多くの査読に耐えて、国際機関における線量による影響と明確に認められた知見。そして100mSv以下については疫学上、統計上そのリスクを正確に計るには数万人の調査程度では誤差があまりにも大きく判別不可能ということである。この手の疫学上の調査というのは、癌患者の増加を他の何と比較するのが最も適切なのか、そしてそれが放射線被曝によってもたらされたものなのかを判断するのが非常に難しい。例えば日本においても県別の癌リスクなどを検索すれば、その違いは±10%くらいのゆらぎがある事がわかる。そういう意味で8%のリスク上昇というのは検知したとしても、それを放射線由来と断定することは非常に難しい面もある。

また8%というリスク上昇でよく勘違いされるのは、人口全体の8%が100mSvで癌になるという勘違いである。もっとひどい勘違いだと人口全体の8%が1年間で癌になってしまうというから数十年すれば大変なことにみたいな頓珍漢な勘違いもあるが、全く違うのでこの手の言説には注意を払うべきである。

そして以上は原爆による被曝、つまり線量を短期間で被爆した場合の知見であり、年間数十mSv程度の低線量長期被曝の知見ではないのである。ちなみに自然放射線量の高いインドのケララ地方において大規模な疫学的調査(総勢36万人)を行った結果、総量で600mSvの被曝量のグループでも発がんリスクの優位な変化は見られなかったとされる。

250mSv

原子力災害のあった場合、その災害対策に従事する人の許容線量とされる数値、これは米国をはじめ多くの国がこの数値を採用している。またこの250mSvを境にして短期間の被爆では一時的不妊など確定的影響が出始める。

1000mSv(1Sv)

100-200mSvで癌の発生率が8%上昇だった訳だが、1000-2000mSvになるとこれが疫学上より有意になり40%の増加ということになる。これはタバコや大量飲酒によるがんのリスク増加(60%)よりは小さい、また上記にも書いたがこれは、低線量の長期被曝における知見ではなく、広島の原爆による短期被曝からの知見である。

600mSv

27~29歳までに宇宙飛行を開始した宇宙飛行士が生涯の実効線量制限値、宇宙においては1日に約1mSvの被爆をすると言われている。故に長期間の滞在の宇宙飛行士は適切に生涯被曝量を管理することが求められ、このような数値が求められた。ちなみに40歳以上であれば生涯実効線量制限値は1100mSvに増える。一見すると非常に非人道的に見える数値ではあるが、そもそも長期間の低線量被爆についての知見は未だ疫学上明確な結論が出ていない(これはガンが明らかに増えたという知見が得られていないということ)点もあり、また短期被曝で得られた知見としての数十%のがんリスクの増加というのは、こまめな健康診断や健康管理によってカバーできる範囲ということもあるし、上記のインドの高線量地域の疫学調査などを勘案すると、低線量長期被曝ではリスク増加が認められない件も含めての設定ということである。

またそれ以上にこの基準は巨大な太陽フレアなどに遭遇すると一日1mSvの被曝量が一気に数十倍(当たりどころが悪ければ数百倍)に増えることもあり、その際の磁気嵐の状況によっては地球に緊急帰還の判断する場合がある。

以上が大まかな放射線被曝によるリスクについてのまとめである。

食品に関して

その上で代表的な案件としてヨウ素131、セシウム137の内部被曝を中心に、食品に関する安全基準について考察してみる。

ヨウ素131

ヨウ素は経口摂取をすると、人間の甲状腺に溜まりやすい。故に甲状腺がまだ発達していない幼児にとっては、ヨウ素131のような放射性物質は大人の何倍も甲状腺被曝を起こしてしまう核種であると言える。このように核種により被曝量、あるいは放射線の種類が違う為、それぞれの核種により変数があり、また体全体のリスクとしての等価線量と、身体の各臓器や骨などに溜まりやすい核種であれば、その臓器に及ぼす等価線量がある。

例えばヨウ素131ならば体全体に及ぼす癌のリスクとしての等価線量と、甲状腺に及ぼすリスクとしての等価線量が別に設定されている。ちなみにここでは解りやすく、甲状腺癌にしぼり上記に示した100-200mSvによって8%の発生リスクの上昇という観点から考えるならば、以下のようなものになる。

(甲状腺等価線量100mSvとされるヨウ素131の摂取量)
乳幼児 27,000Bq 子供 50,000-100,000Bq 大人 220,000Bq

甲状腺における等価線量とともに、体全体におけるリスクの数値も存在する。甲状腺のみのリスクというのは一個体としてのリスクではないためである。これは例えば甲状腺がんについてはそもそも希少な癌であるため、甲状腺癌のリスクが倍に上昇したとしても、全癌リスクとして捉えた場合は非常に低くなるからである。故にこの場合は、

(個体としての等価線量100mSvとされるヨウ素131の摂取量)
幼児 555,500Bq  大人 4,545,000Bq

となる。

ヨウ素131は半減期が8日であるため、原発事故や核爆発が起こってから2ヶ月もすると、濃度は1000分の1になり、4ヶ月で100万分の1になってしまう。故に事故当初の対策が万全であれば大量被曝という問題は殆ど発生しない。

チェルノブイリにおいては初期の対策が殆どされていない為、特に汚染されたミルクを初期に摂取した乳幼児の甲状腺被曝がひどく、上記のリスクにほぼ見合った数の乳児甲状腺癌の増加が確認された。ただ甲状腺癌はそもそも発見されにくい癌であり、生涯通じて転移もせずに見過ごされる場合があるため、過剰な検査をすると、自然に発見される数よりも多くの癌が発見される。原発事故5年後をピークに増加した乳児甲状腺癌が、20年後にも事故以前のレベルに戻らない事で他の核種への被曝が影響しているのか、母体からの遺伝なのか等々の憶測が当初流れたが、同じように乳幼児の検査をはじめた韓国などで甲状腺癌の発見が他国の統計上よりも増えたことから、過剰診断(スクリーニング効果)による発見によるものとほぼ結論付けられている。現在の福島でもこの過剰診断による見かけ上の増加問題は起きているようである。

いずれにせよ、ヨウ素131について対策として気をつけるべきは、蓋のないような浄水場にホールアウトした場合には当初水道飲料水を汚染する可能性がある点、そして葉物野菜などや、草を主食とする牛から採られる牛乳に関しては事故当初は格段の注意を払い、濃度が下がるまでは廃棄しなければならない。ただそれで牛や畑が汚染されたからといって、2ヶ月経てば濃度は全て下がるので家畜や農地を放棄する必要は全くない。

以上のような事から、FAO(国連の食糧機関)の定める基準は幼児も大人も等しく100Bq/kgと定めている。これは単に核攻撃や原子力発電所の事故によって一時的に高い数値の農産物などが取れる訳であるが、日を追うごとに数値の低下が望める核種であるため、このくらいの基準でも厳しいわけでもなく、また緩いわけでもないということなのだろう。

例えば中国の核実験後、1000km離れた現在のカザフスタンで、高い放射線量を観測し、土壌や食品などの調査が入った記録が現在も残っている(参照 米国国防脅威削減局 DTRA-TR-07-44)が、1973年6月の核実験の際はリットル当たり数十万ベクレルのヨウ素131(ストロンチウム89に至っては数百万ベクレル、放射性核種全てを合算した預託線量では1リットル辺り26mSv)が牛乳から検出された。おそらくもっと近くの中国国内ではこの値よりはるかに高い線量になったであろうが、測定されたデータが公開されているわけでもないので、実態は殆ど不明である。当然のことながらウイグル自治区内から周辺諸国にかけてでは住民の放射線障害などの発生上昇などもチェルノブイリ以上に酷いものとしてあったであろうが、データが存在していないし、していたとしても公開されていないので実情は隣国のカザフスタンの汚染情報のみで他の疫学上の情報は現時点で不明である。

話は脱線したが、ヨウ素131においては、このような激烈な汚染数値も一カ月たてば30分の1に、二カ月で1000分の1になる訳で、このように指数関数的に値が低下するような核種故に、リットル当たり100Bqを切る数値を待って、消費を再開すれば疫学上殆ど問題がないという考え方になる。またこの基準はあくまでも飢餓を考慮にいれないで済むような場合であり、飢餓のリスクが高い状況であれば、そのリスクに見合った高い値が設定されることも容認されるべきであろう。

ちなみにヨウ素131はバセドウ病患者に処方される放射線治療薬でもある。これは甲状腺を放射線で焼き切る為に処方されるもので、患者によって投与量は違うが、基準として500MBq(5億ベクレル)以下の投与であれば外来投与とする。以上であれば外部環境の影響を鑑みて入院措置とするそうである。福島原発事故の後、下水より時々ヨウ素131が検出されて原発から未だにヨウ素が放出されていると騒がれたのは、外来投与のバセドウ病患者の排泄物からものと思われる。

これほどの投与は患者に癌のリスクを上げないか云々の議論はあるが、たとえ癌リスクが少々上がったところで、バセドウ病を治療するという効果に比べたらリスクを織り込み済みでも遥かに良い治療手段という評価になる。

セシウム137

セシウム137はストロンチウム90とほとんど同じで半減期が30年というように比較的長命な核種である。この場合はヨウ素などと違い、長く環境中にとどまることが予想され、そのため対策も少々異なってくる。ただヨウ素131と違い肉体の特定部位にとどまることもなく、新陳代謝が良ければ体外に排出される。

体外に排出される訳であるから、核爆発や原発事故などにより高濃度に汚染された家畜であっても、汚染されていない飼料を与えれば体内のセシウムは対外に出すことができる。ゆえに福島で起こった悲劇のように牧場の放棄などによる事実上の大量屠殺は風評被害を勘案せずにすめば、全く必要ない悲劇であったといえる。

さて、ヨウ素131と同じように、摂取ベクレル数からの等価線量を出してみよう。仮に1mSvという等価線量を考えるのであれば、以下のような摂取ベクレルになる。

乳幼児 48,000Bq 大人 77,000Bq

乳幼児は放射性感受性が強い云々の議論はあるが、セシウムに関しては新陳代謝が良い乳幼児はすぐに対外に排出されてしまうこと。また大人ほど食料の摂取が多くないことがあるため、FAOの安全基準も大人も子供も等しく1000Bq/kgという数値を採用している。これは年間に消費する食料の量を大人を550kg、乳幼児を200kgとし、食料の全体の1割が1000Bq/kgの濃度(食料の平均が基準値の1割)だったとしても、大人の年間内部被曝量は0.7mSv、幼児は0.4mSv程度に抑えられるという考え方である。

ここで食料全体の1割とする基準の作り方の妥当性であるが、これは生産者の立場から考えると非常に解りやすい。例えば基準が1000Bq/kgと定まった場合は、漁業関係者はこの基準を超えた魚が水揚げされるような漁場には絶対に行かなくなるし、また穀物の生産者であれば、グレーゾーンの数値が出るようであれば、市場で撥ねられることを恐れて、基準値を大幅に下回る数値を目指すようになるだろう。以上のことから、基準を定めると実際に市場に出回る食料品は基準値を大幅に下回ったものになり、また現代の食糧事情は地産地消とは程遠いものであるから、それも勘案すれば1割という基準でも過大なものになるだろう。

また諸外国に比べて日本は遥かにこの意識が厳しいと言える。今回の福島事故においての市場に出回った福島産の産物のみを対象にした場合であっても、平均で1割といわず、1%に近いものかもしれない。

そんな状況にあっても、日本の基準値は100Bq/kgというあまりにも厳しいものにしてしまった結果、生産者側にとてつもないプレッシャーを与えてしまったように思える。そもそも基準値というものは、政府側がそれ以下であれば安全と言いたくて厳しい基準を作っても、消費者側はそれ以上だと危険という風に判断する場合が多々ある。本来ならば危険水準と安全基準の間には広大なグレーゾーンがあるのだが、一般人やマスメディアは安全、危険という極度な二元論に陥りやすい。

ましてやそれまでに日本人が核実験のフォールアウトやチェルノブイリなどの影響でどれだけ恒常的にセシウムを摂取していたか、食品中のセシウム濃度がどんなものであったのかという情報を全く提示せずに、数字だけが騒がれる状況というのは非常に違和感のあるものだった。ちなみに福島事故前から、東京都の健康安全研究センターにおいてはチェルノブイリの影響と輸入食品の安全を調べる名目で、東京都内で出回っている輸入食品の調査を行っていたのであるが、例えば事故直前の2010年までの調査では50Bq/kgを超えた検体は輸入品全体の2%に達し、ものによっては500Bq/kgのものも普通に出回っていたとのことである。

http://www.tokyo-eiken.go.jp/assets/issue/journal/2010/pdf/01-29.pdf

またキノコなどセシウムを蓄積しやすい食品は核実験などのグローバルフォールアウトの影響を受けて日本で採取されるものであっても昔からそれなりに高い濃度であることは専門家の間では周知の事実であった。

話はそれたが、上記の放射線量とリスクの部分も含めて、年間1mSvという基準はそもそも取るに足らないリスクであり、しかも安全基準を1000Bq/kgにしたとしても、実際に年間1mSvの内部被曝をする人はほとんどいないであろう。であるからこの100Bq/kgという基準は1mの川を渡る為に1kmの橋を用意するようなもので、あまりにも過剰すぎる基準である。それでもその基準をちょっとでも超えれば危険と判断され、テレビでは専門家でもないコメンテーターが「幼児に100Bq/kgなんてとんでもない。すくなくとも10Bq/kg以下にしなれば人道に反します」等と発言する始末であった。仮にこれらのコメンテーターが事故前から輸入食品のセシウム濃度を問題視しているのであれば、それはそれで筋は通るのだろうが(といってもそれが疫学的に適切な発言であるとはとても言えないが)、、、

本来政府や保健機構としては、年間トータルで乳幼児であれば48,000Bq、大人であれば77,000Bqの摂取、つまり成人男性であれば一日平均200Bqくらいまでならば疫学上全く問題ないレベルですとアナウンスするべきであり、これを目標値として、生産者と消費者間での調整を促すような議論をするべきであったのかもしれない。チェルノブイリ後の北欧などではトナカイ肉の基準を一時的に6000Bq/kgに引き上げる措置などを行ったのはそういう意味もあったのだろう。

また福島事故に関しては乳幼児を心配して早野教授等の尽力により子供用のホールボディカウンター(以下WBC)での乳幼児にどれくらいのセシウム137が蓄積しているかの調査が行われた。これは教授も重々承知の上なのだが、そもそも子供は新陳代謝が非常に良いため、子供の蓄積を計測しようと思うのであれば、同じものを食べている大人の蓄積を計ったほうがはるかに検出が容易である。ただ子供を心配する母親の心情に寄り添う形でこのような調査が行われたのだが、ニュースになると数値が検出されればされたで、その数字だけを他との比較も、疫学的見地もなしに叫びたてセンセーショナルに喧伝し不安をあおるような言説をよく目にした。これらの議論の特徴はすべて、一体どのくらいの摂取量、検出量であればどれくらいのリスクなのかといった数値的な裏付けなしに、ただ騒ぐだけのもので「専門家によると健康への影響はない」という枕詞はつけるが、リスクコミュニケーションのガイドラインに則っているとはとても言い難いものであった。

本来ならば、内部被曝の問題、とりわけセシウムの体内蓄積の問題に関しては、核実験後の極地方におけるものや、チェルノブイリ事故においての北欧の事例など、膨大なデータの蓄積と前例が存在している訳で、それと福島における子供のWBCの結果を突き合わせて比較したらどの程度のものなのかを一般の人々に伝えることも重要だろう。以下にそれを記すと。

ソ連の核実験では極冠のノバヤゼムリャ島での核実験で大量のセシウムが極地方中心に飛散して、カナダ北部において比較的大規模で住民のセシウム蓄積の実態の調査が行われた。その結果、カナダのベイカー湖近辺の住民調査では、1-10歳の子供で200Bq/kg、40代の成人男性に至っては1200Bq/kgの蓄積が観測された。成人の蓄積量から逆算すると等価線量で年間3mSv程度の被曝と考えられるが、まず第一に全く同じ食品を摂取していても新陳代謝が鈍くなった成人は子供よりも5倍もセシウムを体内蓄積しているのが良くわかるだろう。

http://www.rist.or.jp/atomica/data/fig_pict.php?Pict_No=09-01-04-11-09

これは逆算すると一日平均600Bqほどの食品を恒常的に摂取し続ける(年間219,000Bq摂取)と2年ほどで排出と摂取の間で均衡が起こり1200Bq/kg(体重70kgで体内に84,000Bqの蓄積)という数値になる。

またノルウェー北部の住民調査でもカナダ極北地域レベルには達しないが年間1-2mSv程度のものだったそうである。そして上記の事象では、この地域で疫学上癌が増加したか否かは統計学上その有意性を見出されてはいない。これは100mSvの確率的影響を見出すという上記のリスクと放射線量の考え方からすれば至極当然の結果であろう。ただセシウム摂取についてスウェーデンの癌増加(この手の論文はゴイアニアの調査などでもそうだが、乳がんの増加という示唆が非常に多い)の関係についてを示唆する論文(トンデル論文)もあるにはあるのだが、疫学上有意性があるというには余りにもサンプル数が少なく、学会で査読に耐えたものであるとは言えない。

そして福島事故において住民にどの程度のセシウム蓄積が起こったかは早野教授などが行ったWBC調査の結果によれば、99%の子供達は不検出で、1%が10Bq/kg以下であったようである。これはおそらく大気圏核実験が行われていた時代の日本の人々の蓄積濃度と比較しても低いものであろう。

まとめ

以上のように、基本的に放射線や放射性物質による人体への影響というのは、昔から多くの研究がなされて、統計学的にも様々な知見がある。ただし昨今の言説では「影響が小さすぎてわからない」という部分が「影響があるかどうかわからない」と曲解され、その結果「重大な影響が将来ひょっとしたらあるかもしれない」という形でミスリードされることが非常に多いと感じる。これは広島・長崎における重度被爆の悲惨さなどから、科学的根拠に基づかない恐怖感や忌避感が醸成されて、「放射能」と言えばおぞましいものというイメージが定着した点もあり、またメディアのセンセーショナリズムとも相まって、あまりにもヒステリックな反応になってしまっているように思われる。

また環境問題への関心の高さから、時として政治的なシンボルとして扱われ、過去の水俣病や足尾銅山などの公害訴訟とアナロジーを持って語られてしまう面も多い。ただ、ここで注意しなければならないのは、水俣病や足尾銅山の問題は、原因不明の病気や、環境への重大かつ深刻な影響が持ち上がり、その原因を究明したところ、工場廃水や鉱毒の問題が浮かび上がってきたものであり。放射能における騒ぎとは基本的に本末が逆転している点である。

これはチェルノブイリの問題でも、そう言えるのかもしれない。大変な放射能漏れ事故を起こしてしまったという原因にあたるものがまずあり、、その結果をくまなく探した結果、小児甲状腺がんの増加が認められたというもので、、結果をくまなく探さなかった過去の中国における核実験などでは、おそらくチェルノブイリ以上の多くの子供達に甲状腺がんの増加が認められたであろうが、自由のない国家であった点も含めてこの点不問にふされている。そしてこれは民主主義国家においても、米国などの核実験でも言えることだが、、当時は現代のようにここまでセンシティブに食品中の放射能を測定できなかった。センシティブに調べていなければ、当然、そこから何らかの問題が起こるだろうという調査も行われることがない。当然特定の団体が何らかの被害があるはずと考え、鼻血や倦怠感などといった疫学上の調査というよりも非常に主観的な主張をすることは多く起こっているが、それらはあくまでも病理学、疫学的な見地から査読に耐えるものではない。

改めて言うが、これら放射能に関わる事象は、他の化学物質が引き起こす公害問題と本末が逆になりやすい。そして放射性物質は明らかに他の化学物質と比較して悪者扱いの度が過ぎるように思える。単純なリスク評価という見地に経てば、例えば全世界的に魚類に蓄積されている水銀濃度のほうが大きな問題になるであろうが、例えば福島沖の魚介類で検出されたセシウム濃度がたとえ、世界的な基準では全く問題ない濃度に下がっていても忌避され、逆にマグロの体内に蓄積される水銀濃度については不問に付されるといった形で、リスクの評価が冷静にされている論説は余り見かけない。

チェルノブイリ事故では長年にわたって放置した後、民主化の段になってから、ある意味政治的な意味で、旧ソ連の隠匿を暴くという名のもとに様々な措置が行われたし、調査が行われたといっても良いのかもしれない。その過程で原発事故当時に起こったようなヒステリックな騒ぎがおき、自分達は重度に汚染された場所にいるという認識から、科学的見地というよりも、殆ど呪いの言葉に近いかたちで不安感やトラウマが植え付けられ、大規模な形で集団ノセボ効果が起こってしまったのかもしれない。そしてこれは福島原発事故でももっと酷い形で現れているように思える。

この手の呪いの言葉による集団的なノセボ効果は、放射性物質が及ぼす影響よりも遥かに大きいと思われる。また恐怖感のみならず、社会における差別、忌避感によってもたらされる影響も決して無視できないだろう。過去の広島長崎の原爆投下でも、多くの人々がそこに住んでいたというだけで忌避され、穢れたものとして扱われた点を考えると、彼らの被った精神的な傷は想像して余りあるし、その絶望が与える人体への影響のみならず、社会的損失は計り知れないものがある。だからこそ、この手の問題の取扱は、細心の注意をはらって行わなければならず。冷静なリスク評価と共に、デマや風評というもののリスクや不利益も勘案した上で対策が取られなければならないといえる。


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