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地元にも都内にも好きな人多すぎ日記

GWで長めに帰省して色々な人に会ったら、やっぱり地元に好きな人が多すぎるということに気が付いた。

それから、先日小中の時の仲良し、そして弟関係の友達と都内で会ったら、やっぱり地元に好きな人が多すぎるなと思った。

地元いいよね、親も近くにいるし。

でもさあ、地元好きだけど、あそこでは、なりたい自分にはなれないなあと思う。だからやっぱり、地元に戻るのは難しいよね、と、都内で会った友達たちと話していた。

まあ、何かの機会にまた地元に住むことになったとしたら、わたしのことなので、それはそれでなりたい自分でいられるように色々追求するのだろうけれど、住む場所を選び続けられるのであれば、やっぱり、それなりに文化資本の揃った場がいい。

文化資本
①幼少期から学習や経験を通じて身に付けた言語、論理的思考などの教養、②絵画、書籍、ピアノなどの有形文化財、③社会的に認証された学歴や資格

だそうです

地元の嫌なところは、お店がないとかアクセスが不便とかそういうことではない。いや、そりゃあ、色々とお店がある、交通の便がいいに越したことはないけれど。

そんなことより、「色々な考えがあっていい」「色々な選択があっていい」という当たり前のことが、当たり前に保たれない環境ができあがってしまっているところ、人生のしなやかさが許されないところ。

ここが、自分も周りも、すごくしんどくさせる。それが嫌だ。

そして、自分もそうだったように、一度離れてみないと「ああ、自分ってしんどかったんだな」ということに気が付くことができないところがね。

わがままだなこいつ、と思うかもしれないけれど、じゃあ、みんな1度生活してみなさいよ、と思ってしまうなぁ

※わたしのnoteでは何度も言っているけれど、札幌とか金沢とか新潟とか、電車が通っていてそれなりに学校も大学もあって…という地方都市だったら、地方は地方だけれど、それは全然問題にはならないよ…。そんなん全然生活できるじゃないですか…わたしが育ったのは、電車もバスもなくて、車が運転できるようになる年齢までは親が運転してくれない限りは自力でどこにもいけない、イオンすらない、進学校もない、大学ない、そんなところ。

それから、地元には戻れない理由として、そもそも、あまりにも都内に関わっていたい人ができすぎてしまった。

昨日はピアノが大好きな人たちとピアノを弾いてその後飲み会だったのだけれど、まず地元にはピアノが好きな人がいなかったし、ピアノサロンもなかったし、これは都市部ならではの関わりだなあと思う。

ピアノをやっている人って、やっぱり教育の一貫とかで親の勧めではじめて、お金持ちで学校もいいところで…みたいな人が多い。楽器を習うことができる家庭に生まれたという点でもね。それに、大人になってもピアノを習い続けて休日ピアノに費やす生活ができる職業に就ける人って、そんなに多くないと思うのよ。

大人になってからピアノを始めた人も、クラシックに興味を持つ人の層というのは、やっぱりもともと文化的なレベルが高い環境に身を置いていた人ばかりなように思う

(いや、そうじゃない人もいるよ!という例外の話はいらなくて、今「平均的に」の話をしています!笑)

だから飲み会で、幼稚園から私立の方に「◯◯さん今ここにいるのすごいね、何がきっかけで大学行こうと思ったの?」と言われて

「なんでだろう…?なんとなく勉強ができた…?」

みたいなことを言ったけれど、後から思い返して

「別にすごくはないわな」

と思った。

なんというか、すごいというか、ただ自分に対して貪欲なだけなんだろうなあ。

なりたい自分になりたいなと思った時に、わたしの場合はたまたま音楽とか本とか勉強が好きだったから都内の方が向いていただけで、例えばわたしがめっちゃスポーツやってたとしたら、スポーツは盛んな地域だったし、地元の方が良かったと思う。

それに、例えばなるべく若くに結婚してママになりたいと思っていたら、地元にいた方が絶対それ叶うし。

人それぞれ幸せって色々あるよね!

「ここにいるのがすごい」と言うのも、別に嫌な気持ちにもならないし全然言ってくれて良いんだけど、悪気なく「自分たちは上だ」と思っているんだなあとバイアスがかかっているのが分かってしまうね。

地元にいるわたしの仲良したち、本当に本当にすごく幸せそうだし本当にしっかりしていて人間力高いし、頭が良くても大学に行かない人もいるし、ちゃんとなりたい自分でいられるような努力もしているし、どっちが上とか下とか、そんな差はないよね

どこにいても、節目節目でなりたい自分でいられるような努力をしようと考えて、そして行動できる人でいることが大切で、それができる人とできない人では、上と下、つまり差があると思うけど。

(それができない要因が、自分の力では変えることのできない環境にあるという場合も、地方だと確率として高いのでそれはそれでまた別の問題だと思うけど)

そういう意味では、中学生の時に「どういう自分が幸せかな」と一度考えたという点では、自分で自分のことを「すごい!」と褒めたいかもしれない。

そして言わずもがな、運が良かったので、それがたまたまできたという環境に感謝しなければいけない。

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今は、仕事も楽しい趣味も楽しい、人間関係も安泰すぎるこのぬるま湯人生に浸かり続けて、かなりだめ人間に向かっている気もする。。

東京は、自分で自分のことも決められない、覚悟もできない、でもお金と娯楽と豊かな環境だけはあって、それに甘え続けて、甘えていること自体にも気が付かない赤ちゃんをたくさん産むのだなと思ってしまうことがよくあって、自分がそうなっているような気がしなくもないです。

地元の友達からしたら、今のわたしは本当に赤ちゃんに見えているのだろうな。

だーっと書いたら文章が整理されていないですが、この辺で。

今日もお疲れ様でした♩

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