二三四

プロフィールはご想像にお任せします。写真は「文字を持たなかった昭和」のメイン人物、ミヨ…

二三四

プロフィールはご想像にお任せします。写真は「文字を持たなかった昭和」のメイン人物、ミヨ子さんです。

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ミヨ子さん語録「白河夜船」

 昭和中~後期の鹿児島の農村。昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴ってきた(最近はミヨ子さんにとっての舅・吉太郎の来し方に移ったあと、先月の帰省のエピソードをしばらく続けた)。  たまに、ミヨ子さんの口癖や、折に触れて思い出す印象的な口ぶり、表現を「ミヨ子さん語録」として書いている〈247〉。  「白河夜船」もミヨ子さんが時々口にしていたフレーズだが、ご存知のとおりこれは鹿児島弁ではない。ネット上の解説を引くと「何も気がつかな

    • 文字を持たなかった昭和 続々・帰省余話21 おまけ~自転車

       昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴ってきた。このところは、先月帰省した際のミヨ子さんの様子をメモ代わりに書いたあとおまけの話題を追加してきたが、本項で最後だ。  17 おまけ「こんにちは」で「思い立って郷里の町まで足を伸ばした。あちこち回る中で、母校の小学校にも足を踏み入れた。」と軽く触れたが、じつはこの日の「足」の確保には難儀した。  人口約26,000人と小規模ながらいちおう市とつく地方自治

      • 文字を持たなかった昭和 続々・帰省余話20 おまけ~原点

         昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴ってきた。このところは、先日帰省した際のミヨ子さんの様子をメモ代わりに書いたが、おまけの話題を追加することにして本項はその四つ目だ。  ここnoteに書いてきているように、ミヨ子さんが住んでいる息子(兄)家族の家は鹿児島市の郊外に建てたもので、ミヨ子さんが住んでいた家(つまりわたしの家実)があった郷里まで6駅、電車に乗っている時間だけで20分ほどかかる。  わた

        • 文字を持たなかった昭和 続々・帰省余話19 おまけ~制服

           昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴ってきた。このところは、先日帰省した際のミヨ子さんの様子をメモ代わりに書いたが、だいたい終わったところでおまけの話題を追加することにして本項はその三つ目だ。  帰省期間中、母校である県立I高校の近くで夕食をとる約束があり、そのついでに高校へ寄ってみた。もう午後6時前だったが、南国の夕方は明るく、体育館やグラウンドからは部活の声が敷地の外まで響いていた。  最寄り

        ミヨ子さん語録「白河夜船」

        • 文字を持たなかった昭和 続々・帰省余話21 おまけ~自転車

        • 文字を持たなかった昭和 続々・帰省余話20 おまけ~原点

        • 文字を持たなかった昭和 続々・帰省余話19 おまけ~制服

          文字を持たなかった昭和 続々・帰省余話18 おまけ「都会はいいよね」

           昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴ってきた。このところは、先日帰省した際のミヨ子さんの様子をメモ代わりに書いたが、だいたい終わったところでおまけの話題を追加することにして、本項はそのふたつ目だ。  前項「こんにちは」では母校の小学校の子供たちが知らない人でも挨拶する姿について述べるとともに、人間関係が希薄な都市での生活をやや否定的に書いた。  しかし、周囲の大人に「見守られて」いた郷里での暮らし

          文字を持たなかった昭和 続々・帰省余話18 おまけ「都会はいいよね」

          文字を持たなかった昭和 続々・帰省余話17 おまけ「こんにちは」

           昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴ってきた。このところは、先日帰省した際のミヨ子さんの様子をメモ代わりに書いているが、だいたい終わったところでおまけの話題をいくつか。  ミヨ子さんがデイサービスに行った日の日中、思い立って郷里の町まで足を伸ばした。あちこち回る中で、母校の小学校にも足を踏み入れた。子供たちは、相手(こちら)が外部の大人だと認識すると、口々に「こんにちは」と挨拶する。わたしたちが子供

          文字を持たなかった昭和 続々・帰省余話17 おまけ「こんにちは」

          文字を持たなかった昭和 続々・帰省余話16 会えるだけで幸せ

           昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴ってきた。このところは、先日帰省した際のミヨ子さんの様子をメモ代わりに書いている。  思ったより元気だが、認知機能の低下は確実に進んでいること。食欲はあり、勧めればお酒も飲んでしまうこと。服を着たまま寝てしまう習慣が定着したこと(着た切り雀)。何十年ぶりにいっしょに母の日を過ごせたこと。短い距離と時間ながら、いっしょに散歩もできたこと、などなど。  ミヨ子さんが

          文字を持たなかった昭和 続々・帰省余話16 会えるだけで幸せ

          文字を持たなかった昭和 続々・帰省余話16 わが家

          (前項「ご近所」より続く)  ミヨ子さん(母)との散歩の途中、木陰での休憩。目の前にはいま通り過ぎたばかりの家々――と言っても3軒ほどだが――が並ぶ。 「この家は、もとはこんな色じゃなかったんだけどね」とミヨ子さん。わたしは再び、本当かな、と思いつつも「へえ、前はどんな色だったの?」と会話を繋げる。ふと、聞きたくなった。 「お母さん、わがえはどい?」(わが家はどれ?)。もちろん、ミヨ子さんにとっての「わが家」という意味で尋ねたのだ。ミヨ子さんは顔を巡らせて、 「わがえは、あ

          文字を持たなかった昭和 続々・帰省余話16 わが家

          文字を持たなかった昭和 続々・帰省余話15 ご近所

          (前項「短いお散歩」より続く)  94歳(ほんとうは95歳)で、脚力がだいぶ落ちているミヨ子さんの歩みはゆっくりだ。会うたびに狭くなっていく歩幅で、少しずつ前に進む。十秒が一分ぐらいの感じだろうか。それでいて、いやそれだからか、周りの景色にはよく目が行く。  背丈もだいぶ縮んだうえ背中が曲がっているミヨ子さんは、140センチほどの体で隣の家を見上げて 「ここは何年か前に建て替えたんだよ。奥さんは亡くなったけど、遠くに住んでいた娘さんが帰ってきて住んでる」と、事実不詳なことを

          文字を持たなかった昭和 続々・帰省余話15 ご近所

          文字を持たなかった昭和 続々・帰省余話14 短いお散歩

           昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴ってきた。このところは、先日帰省した際のミヨ子さんの様子をメモ代わりに書いている。  前項では、週4回のデイサービス(とたまの病院)以外外出することはなくなったミヨ子さんが、居間の窓から外を眺め「たまには、外をぶらぶらしてみたいねぇ」と(鹿児島弁で)呟いたことについて書いた。それを受けてわたしが、デイサービスが休みの日に家の前をお散歩しようと提案したことも。  

          文字を持たなかった昭和 続々・帰省余話14 短いお散歩

          文字を持たなかった昭和 続々・帰省余話13 「たまには外を…」

           昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴ってきた。このところは、先日帰省した際のミヨ子さんの様子をメモ代わりに書いている。  ミヨ子さんの暮らしぶりは、着衣について述べた「着た切り雀」でこう描写した。 ――かくして…昼も夜も同じ服を着て居間に座り、ご飯を食べ、眠くなればベッドに潜り、時間がくればデイサービスに行く。合間に、飼われている2匹の猫たちの様子を目で追い、「チョ、チョ、チョ」と舌打ちして呼んでみ

          文字を持たなかった昭和 続々・帰省余話13 「たまには外を…」

          文字を持たなかった昭和 続々・帰省余話12 ボタン

           昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴ってきた。このところは、先日帰省した際のミヨ子さんの様子をメモ代わりに書いている。  前々項では「着た切り雀」、前項では「毛糸のチョッキ」というタイトルで、ミヨ子さんの着衣やその習慣について述べた。それで思い出したことをひとつ付け加えておきたい。  前回(昨秋)の帰省について記した中でも述べたように、ミヨ子さんは几帳面だ(続・帰省余話6~几帳面)。認知機能の低下

          文字を持たなかった昭和 続々・帰省余話12 ボタン

          文字を持たなかった昭和 続々・帰省余話11 毛糸のチョッキ

           昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴ってきた。このところは、先日帰省した際のミヨ子さんの様子をメモ代わりに書いている。  前項では「着た切り雀」というタイトルで、ミヨ子さんにとって昼夜の区別があいまいになってきて、服のままベッドに寝ころんだり、夜も同じ服で寝ている状態について述べた。寒がりなので重ね着したがることについても。  そんなミヨ子さんが愛用しているのが「毛糸のチョッキ」だ。今風に言えばニ

          文字を持たなかった昭和 続々・帰省余話11 毛糸のチョッキ

          文字を持たなかった昭和 続々・帰省余話10 着た切り雀

           昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴ってきた。このところは、先日帰省した際のミヨ子さんの様子をメモ代わりに書いている。  1年に1~2回帰省し、合間に電話やビデオ通話でミヨ子さんの状態を窺っているが、直接顔を合わせてみると、いろいろなことが明らかに変わってきていることに気づかされる。そのひとつが、着衣の習慣だ。  たしか一昨年あたりまでは、ミヨ子さんは寝るときパジャマかゆったりした衣類などに着替え

          文字を持たなかった昭和 続々・帰省余話10 着た切り雀

          文字を持たなかった昭和 続々・帰省余話9 何十年ぶりかの母の日、余談

           昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴ってきた。  このところは、先日帰省した際のミヨ子さんの様子をメモ代わりに書いている。前々項と前項では、何十年ぶりかで母の日を一緒に過ごしたことを述べた。「母の日なんてやったことがない」と言われてがっかりしたことも。  前項で触れたとおり、ミヨ子さんの末の妹で屋久島に住んでいるすみちゃんは、毎年の母の日にお花を送ってくれる。5人きょうだいのいちばん上といちばん下

          文字を持たなかった昭和 続々・帰省余話9 何十年ぶりかの母の日、余談

          文字を持たなかった昭和 続々・帰省余話8 何十年ぶりかの母の日(後編)

          (前編より続く)  ミヨ子さんと二人で食べたお昼ご飯の後は、メインイベント。母の日のプレゼントの披露だ。  これまた事前に送り、この日までしまってあったクッキー詰め合わせとカードを出す。前日鹿児島中央駅の駅ビルで買ったリブ編みの薄手のセーターも。  「プレゼントが食べ物だけでは寂しい気がする」と、ミヨ子さんと同居するお嫁さん(義姉)に意見を求めたところ「寒がりだから、重ね着に便利な服が一枚あったらいいんだけど」と言われたのだ。首が隠れるほうがいい、と言われたものの、季節的

          文字を持たなかった昭和 続々・帰省余話8 何十年ぶりかの母の日(後編)