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物語を紡ぐ理由

長編、中編、短編小説。さらにはエッセイ、リリック、コント、シナリオ、ラジオCMなど、さまざまな作家達が産み出す物語の原動力は、いったい何なのだろうか。

筆者の場合は、鎮魂(癒し)である。

つまり、過去の実体験によって生じた思いの解放である。体験後もずっと心の中にくすぶっている思い。それを表現することによって解放させ、心の中を軽くさせることができる・・・そんな気がするのである。

では、なぜ解放させるのか・・・。

それは、自分でも気づかない、心の檻に閉じ込められた思いが、今の自分に大きな影を落としているから・・・。個人的には、そう考えている。

言い換えると、トラウマということだろう。

筆者の場合、紡ぎ出す物語の半分は実体験から生まれている。そこに残り半分のフィクションを加えて物語は完成するのだが、その原動力となるのは架空の主人公に過去の自分を重ね合わせること。つまり、物語の中で自分を演技させながらストーリーは作られてゆく・・・、ということである。

物語を進めながら、あの時こんな風に対処していればよかったのに・・・、そんな反省も含めて、さまざまな後悔の念が頭をよぎる。そんな時には、過去の自分とは真逆の行動をする主人公が登場する。実際とは違う選択をしていたら、いったいどんな結果が待ち受けていたのだろうか・・・。そんな疑問というか、知的欲求をを空想の中で満たしているのかもしれない。

何かが、心に燻り続ける。その何かとは、過去に拘る自分のように思う。

今は過去の積み重ねで出来ている。その結果が今である・・・。それは間違いない事実だろう。だが、今を作りだした過程にばかり心が向いていると、未来は過去の繰り返しになってしまいはしないか・・・

筆者の場合は、そんな過去に拘る自分を、執着という檻の中から解放させるために、物語を紡いでいる。

それが、今の自分への鎮魂(癒し)になるように思っている。


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