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「龍神さまの言うとおり。」第十話

高校時代の同級生である北山恭子と偶然にも出逢い、その流れで同じ日に歌舞伎町のラブホテルで、お互い燃え上がるような、ひと時を過ごした翌日の午後一時。

洋介は、中野坂上交差点に面した大型商業ビルの一階にあるハンバーガーショップにいた。ここは、中野と新宿のほぼ中間にある。

店内のカウンター席に座り、ガラス越しに、眩しい日差しの中で行き交う人や車の様子を何気なく見ていた洋介は、ふと気配を感じて振り返った。その視線の先には、昨日とは違ったカジュアルな雰囲気で、ピンク色のポロシャツと白のデニムパンツを着た恭子がいる。

「カウンター席にいたのね。待った?」

約束の午後一時から少し遅れてやって来た恭子は、そう言いながら、洋介の隣に座った。

「いや、全然。こっちこそ、急に呼び出してゴメン。ちょっと話したいことがあってね」

真剣な眼差しで話す洋介に、恭子は怪訝そうな顔をした。

「もしかして・・・、昨日の夜、家に帰ってから何かあったの?」

「よく分かったね、その通り」

「奥さんと、ケンカでもしたんじゃない?」

「いや、実は・・・、僕も、離婚することになった」

「えっ?」

驚く恭子の顔を横に見ながら、洋介は、昨晩の出来事を話し始めた。

昨晩遅く、洋介が自宅マンションに帰ると、二人の子供たちは既に就寝していた。しかし、リビングのソファーには、妻である恵子の隣に一人の男性が座っていたのである。その男性は、洋介と恭子がヒルトンホテルから新宿三丁目を経由して歌舞伎町のラブホテル街へ移動する際に使ったタクシードライバーだったのである。

「どうして、運転手さんが?」

恭子は、さらに驚いたためか、若干大きな声を出して聞いた。

「その運転手って、家内の元夫だったんだ。数年前に、上海から帰国していたらしい」

洋介はそう言うと、上海での再婚相手である中国人の若妻が、第一子となる子供を流産したことから、その後、若妻は身体と精神面での不調が続き、結局のところ子宝に恵まれることもなく、中国における二人暮らしは、破綻へと向かったことを話した。その顛末は次のとおりであった。

元夫は、再婚後の五年間、子宝に恵まれなかった反動もあったせいか、若妻とは分不相応な生活をしていたようである。勤務先が日本企業の上海支店長とはいえ、そんな暮らしを可能にしたカラクリは、元夫が支店長という立場を利用し、社内で不正に捻出した現金だった。

やがて、元夫の運も尽きたのか、内部告発で不正会計が発覚すると、日本の本社から通達が来て、すぐさま懲戒解雇となったのである。すでに手元金が底をついていた元夫は、会社から不正に得た現金を返還する能力がなかったことから、ほどなく中国人の若妻からも見放された。その結果、離婚したのだった。

その後、日本に帰国した元夫は、万策尽きた結果、弁護士を通じて自己破産の手続きをしたのだった。ただ、その弁護士費用を負担したのは、他でもない恵子だったのである。というのも、恵子は、天然石ジュエリーの販売向けにホームページやSNSを開設しており、だれでもアクセスできる状況であったことから、元夫は簡単に恵子へコンタクトして、金銭面での支援依頼をすることができたのであった。

それ以降も元夫は、恵子から金銭面での支援を受けながら、現在のタクシー会社に就職し、今では、心を入れ替えて真面目に勤務しているようである。そして、タクシー会社の用意した独身寮に住みながら、恵子が百貨店の催事で搬入移動が必要な時には自分のタクシーで送迎したり、ジュエリーの原石を仕入れする際には、上海支店長時代に築いたコネクションを使って安価に買い付ける支援をするなど、恵子との関係は密かに続けていたのだった。

「昨晩、タクシー車内で僕の顔を見た瞬間、ドライバーの元夫も驚いたらしい。以前、僕の顔写真は妻のスマートフォンで見せてもらっていたそうだから・・・」

そして洋介は、自分たち二人がタクシーを降りた後、歌舞伎町のラブホテルに入って行く様子を、元夫がタクシーを停めた状態で目撃し、すぐに彼の元妻である恵子へ電話した・・・、ということを恭子に説明した。

「じゃあ、三河夫婦に、それぞれ別の相手が出現したってこと?」

「まっ、まぁ、その通りなんだけど・・・」

洋介は、そう濁しながら、昨晩の話し合いの中で、高校時代の同級生である恭子と保護者会で偶然に出逢ったこと、そして歌舞伎町のラブホテルへ行ったことを正直に妻へ打ち明けたのだと話した。そして、恵子も同様に洋介の了解のないまま、元夫との逢瀬を繰り返していたことを打ち明け、お互いに金銭的な問題は、今後生じさせないことを確認した。その上で今後、弁護士を介した協議離婚に入ることに同意したのだと話した。

「金銭的なことって?」

「まあ、お互い様だから、慰謝料なしということなんだけどね。今後、話し合いが必要なことは、いま住んでいるマンションと、子供の養育費かな」

そして洋介は、いま住んでいるマンションは自分の名義で購入しているものの、当面の間は格安の料金で恵子と元夫に貸し出すことや、養育費については、結婚当初から贈与課税のかからない範囲で、子供の口座に毎年決まった金額を振り込んでおり、すでに十分な預金額があることから、今後の追加費用は必要ないことで話し合いを進めていると、恭子に説明した。

「それで、肝心の子供たちは、二人の離婚のこと、知ってるの?」

「うん。今朝になって話したよ。二人とも、『そうなんだ~』だって。もともと、僕は二人の子供から『洋介おじさん』って呼ばれていたからね」

「ん~、なんだかドライな関係だったのね」

「まっ、まぁ、そう見えるかな。結婚後も、仕事人間だったしね」

「それで、今のマンションは出るんでしょ?引越しはいつするの?」

「一ケ月以内。ただ・・・、今日から僕は、ビジネスホテル暮らし」

洋介はそう言って、足元に置いてあるボストンバッグに視線を向けた。

「そんな急に・・・、どうして?」

「子供たちが、本当の父親と、すぐにでも一緒に暮らしたいんだって。僕が家にいない時間帯に、これまで何度も元夫は子供と会う目的で訪ねて来ていたらしい。だから早速、今晩から僕の代わりに住み始めることになってね」

洋介は、そう言うと、呆れたような笑いを口元に浮かべた。

「ぷっ。なんだか、マンガみたいな展開ね」

恭子も、笑いながらそう言った。

「まあ、こんな形で終わるのは、ちょっと淋しい気もするけど・・・。それより、恭子ちゃんの離婚は大丈夫なの?」

「うん。私のほうは、今朝早い時間に仲介している弁護士事務所へ、サインした離婚届を持って行ったわ。でも今日は日曜日で休みだったから、事務所の郵便受けに投函しただけなんだけどね」

「それで、新中野のマンションはどうするの?」

「夫の名義だから、まぁ、近いうちに出ていくと思うわ。でもね、その代わりに、まとまった金額の慰謝料がもらえるから、当面の生活は大丈夫よ」

そして恭子は、何かを思いついたように、続けて話し始めた。

「そうだ、今から私たち、一緒に住む場所、探しに行かない?」

「まぁ、いいけど。でもさぁ、何だか昨日の一日で、あっという間に予想もしなかった展開になったね」

「龍神さまの言うとおりになった・・・、ってことかも」

「やっぱり、恭子ちゃんは瀬織津姫に守られているのかな」

そんな洋介の言葉を聞きながら、恭子は隣に座る洋介の手を、そっと握りしめた。

二ヶ月後の、九月吉日。

洋介は、勤務する会社の内規で九月末まで申請できる三日間の夏休みを取ると、週末の土日とからめて恭子とともに五日間の旅に出た。行き先は、愛媛県、八幡浜沖にある大島の龍王池である。

その日は、湿気のない爽やかな風が吹いていた。

恭子とともに愛媛県、八幡浜沖の大島行き高速フェリーに乗船した洋介は、外に広がる大海原を眺めながら、この二か月間の出来事を思い返していた。

二人は、まだ結婚はしていないものの、ともにパートナーとの離婚手続きは完了し、今は東京都内でも人気の高い代々木上原に、広めのワンルームマンションを借りて、慎ましやかに同居している。

そして洋介は、勤務する会社が社内公募した新規事業、フェニックス計画に個人で応募し見事採用されたのだった。その事業内容は、個人向け動画投稿支援サービスである。

これは、動画投稿サイトが、さまざまな情報取得のメインストリームとなっている昨今、全国の自社店舗内に動画作成スタジオを新設して、シニア世代の旅行リピーターを中心に会員を募り、初心者向けスタートアップ講習や、動画の企画、構成、撮影、そしてアップロードまでの全工程が、月間累計十時間のスタジオ利用を上限に、定額料金で利用可能となるサービスとなっていた。

特に、動画とは無縁という中高年層へ訴求するため、スタートアップ講習では、これまでの人生経験を語ったり、特技の披露や、各地名所や有名店紹介など、動画サンプルを紹介する予定である。また、三十分以内の独自コンテンツの作成であれば、基本的に追加料金なしで、一回あたり二時間を上限にスタジオ利用ができ、追加のオプションとしては、撮影前の化粧メイクや、ヘアメイク、衣装レンタル、オリジナル画像や音響エフェクトの有償提供、そして、出張撮影サービスが、提携業者への委託で用意されている。

コンセプトは、安価な動画製作費でもハイ・クオリティの作品が作れるということ。さらに、ご近所感覚でスタジオを利用して、自分の動画アカウントにアップロードすることができることを訴求していた。

また、この新規事業は、自社と旅行リピーターとのグッドウィルを確立させて、さらなる消費行動への喚起が可能となることから、今後の経営における事業の柱となる可能性が高いと認められたのだった。

そこで洋介は、この夏休みを利用して、龍王池をはじめとする大島、そして八幡浜の魅力を撮影し、動画投稿のサンプルとするべく、恭子とこの地を訪れていたのである。それは単に、名所旧跡を紹介する観光案内でなく、恭子の歌う姿を織り交ぜて、クオリティの高いサンプルを作る意図があった。

「じゃ、いまから歌ってくれるかな?」

つい最近購入したプロ仕様のカメラを手にしながら、洋介が恭子に言った。

頷いた恭子は、すでに、コンサート用のマリンブルーを基調としたドレスを身につけて、防波堤の上に立っている。その背後には、残暑の太陽が空と海の青い世界を眩しいくらいに照らしていた。

持参したスピーカーから、事前に収録した曲のイントロが流れた後で、洋介は、カメラのディスプレイに突然映った物体に目を奪われた。

「これって・・・」

恭子が歌い始めると同時に、そのディスプレイには半透明な藍色をした物体が映っていたのである。それは、まるで意思を持っているかのように、歌う恭子の周りを旋回している。

「もしかして、龍神さま?」

洋介は、そうつぶやきながら、アメイジング・グレイスの後に続けて、ザ・ローズという英語の曲を歌っている恭子の姿を、ディスプレイ越しに見ていた。そして、歌い終えると同時に、半透明の物体は姿を消したのだった。

「恭子ちゃん、いい感じだね。ちょっと休憩した後、もうワン・テイクするから、よろしく」

まるで何もなかったかのように、映像監督のような口ぶりで洋介は言うと、先ほどのカメラ位置とは別の場所へカメラを移動させた。

洋介は、なぜかディスプレイに映っていた先ほどの物体のことを、恭子に話そうとはしなかった。今はただ、自然の流れに任せて、この美しい風景に溶け込むような恭子の歌を、ベストなアングルと精度でカメラに収めたいと思っていた。

そして恭子は、持参した折りたたみ椅子に座って、ミネラルウォーターを口に含むと、瞑想をするかのように目を閉じている。

しばらく休憩した後、洋介は二回目の撮影を開始した。

その際も同様に、半透明の物体は恭子の歌にあわせて、そのまわりを旋回するように現れ、終了と同時に消えたのだった。

それから半年後・・・。

代々木上原駅からほど近いイタリアンレストラン。ここは、二人が住むワンルームマンションから徒歩数分の場所にある。

「よかったね。フェニックス計画、うまくいって」

週末土曜日の午後、商店街に面したテラス席に座って寛ぐ恭子は、ワイングラスを持ちながら、そう言った。

「ありがとう。恭子ちゃんのおかげだよ。動画ステーションというアイデアを提案してくれなかったら、今頃まだ苦戦していたと思う」

そう言って洋介は、隣に座る恭子のグラスに自分のグラスを軽く当てた。

動画ステーション。

それは、洋介の勤務する旅行会社が持つ全国の支店を、それぞれに動画ステーションと位置づけて、独自のオフィシャル動画サイトを立ち上げ、ライブ放送をするアイデアであった。具体的には、日本各地の支店内に設けたスタジオが、予約で埋まっていない時間帯を使って、支店社員がMC役となり、地元ならではの名所や名物、さらには有名人といった、少々ニッチな情報をライブで紹介する番組を作成して公開することで、地元経済の振興に貢献するといった内容である。

今から三ヶ月ほど前に、この取り組みが全国版の経済紙面で取り上げられると、一気に知名度がアップし、一般のスタジオ利用者が増えると同時に、各地の動画ステーションへのチャンネル登録者数が増えたことで、取材をして欲しいという依頼が多く寄せられるようになったのである。

「CMの広告収入もかなり増えて、予想外に右肩上がりの展開になったよ。それと、番組のエンディングで使っている、恭子ちゃんの歌う映像も評判いいしね」

洋介は、各地のライブ情報番組のエンディング曲として、半年前に大島の龍王池で撮影した映像と音楽を採用していた。そこには、当時のディスプレイに映っていたとおりの薄い藍色で半透明をした物体が、歌う恭子のまわりを旋回する様子が映っていたのだった。

「今だから言うけど、もしかして、あの時・・・、龍神さまから何かお告げを聞いた?」

動画ステーションは、龍神さまが恭子に教えてくれたアイデアである可能性を考えていた洋介は、少し真顔になって聞いた。

「さあ、忘れたわ」

含み笑いをしながら、そう話す恭子の眼には、何か言いたげな余韻が漂っている。

「それでいいよ。何事も、謙虚に歓び、潔く諦めることが大事だからね」

洋介は、以前に自分が話した言葉を、噛みしめるように言った。

「じゃ、もう一回、乾杯しようか」

洋介の言葉に恭子が頷くと、二人の持ったワイングラスは、午後の日差しの中で、輝きながら重なり合った。その瞬間、心地よい音にあわせて、グラスの間を縫うように、薄い藍色をした半透明の光が、ゆっくりと流れていたのだった。



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