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吾輩は、ACである。特に問題は無い。⑤

終末思想を信じた結果について語る②

終末思想を信じた結果①の続きです。
終末思想(終末論)の定義に関しては、以下の通りです。

終末論(しゅうまつろん、英語: eschatology)とは、歴史には終わりがあり、それが歴史そのものの目的でもあるという考え方。目的論という概念の下位概念。

社会が政治的、経済的に不安定で人々が困窮に苦しむような時代に、その困窮の原因や帰趨を、神や絶対者の審判や未来での救済に求めようとするのは、どこの文化でも宗教一般に見られ、ユダヤ教からキリスト教、イスラム教、ゾロアスター教といった一神教においてのみならず、仏教などの宗教などにおいても同様の考え方がある。しかし、終末ということの基準を、個々人の死の意味ではなく、民全体にとっての最後のとき、民全体に対する最後の審判と義人選別救済のとき、とするならば、終末論は本質的に一神教のものである。

Weblio辞書より引用、抜粋 2022/04/26閲覧

さて皆さんは終末論と聞いて、ぱっと思い浮かぶ事例があるでしょうか。
若い人でも30代くらいの人だと、覚えている方もおられるかもしれないですが……「オウム真理教」による、地下鉄サリン事件を知っている方はいらっしゃいますか。

事件の詳細に関しては、多くの書籍なりネットの記事なりがあるので、もしも気になる方はご覧になってみてはいかがでしょうか。そして、ご自身の目で見て、それが一体何だったのか判断していただければと思います。
私からは、その事件が終末論と深く関係していた、という事を述べるにとどめておこうと思います。

さて上記の辞書にある終末論の定義の、一部を抜粋して見てみましょう。
「終末ということの基準を、個々人の死の意味ではなく、民全体にとっての最後のとき、民全体に対する最後の審判と義人選別救済のとき、とするならば」というところです。

これは平たく言うと、終末論には人類滅亡という物語があって、さらに「義人選別救済」、つまり選民思想がある、という事です。
選民思想というのは、「神に選ばれた人(義人)だけが、人類滅亡の時に救われる」という考え方です。この思想は、聖書にある「ノアの大洪水」の物語を見ると分かりやすいと思います。

長々と講釈を垂れたのですが、本題に入ります。

私と、私の母が信仰していた「天地正教(てんちせいきょう)」では主に、終末思想を教えていました。それは、こんな内容でした。

「ブッダ(釈迦)の生まれ変わりである弥勒(みろく)様(弥勒菩薩)が、末法(まっぽう・人々が堕落しきった時代という意味)の世に生まれてくるが、それは現代である。弥勒様は私たちを救う救世主です。弥勒様をお迎えするために祈りましょう」

まあ、弥勒信仰っていうのは大昔からあったみたいなので(高野山など)、特に害も無ければ益も無い、よくあるファンタジックな何かだな、という感じに思う方もいるかもしれないんですが。

ある時、天地正教でこんな事を言われたのですよ。
「再臨(生まれ変わり)されたブッダである弥勒様は、統一教会の文鮮明氏なのです」と。
ここから、私たち母子の運命はメチャメチャおかしな方向に向かっていく事になったのでした。

終末思想を信じた結果についての結論。
「やがて
霊感商法の世界にまっしぐら」。

この続きは、次回にお話しようと思います。
ここまで読んで下さって、ありがとうございます。
おつかれさまでしたm(__)m


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