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発展途上のわたしたち - 写真エッセイ

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写真エッセイ集。たくさんの場所を見て、人に出会う。みんな違う顔をして違うことを考え違う色をしていた。私が見たものを写した写真とともに、自分の言葉を書いています。
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太陽のようなひと

私は最近、作家になりたいと思ったのです。 写真展を通して、作品というものを媒体して、人と人は対話することができるのだという感覚が、人生のなかではじめてあったからです。私の中で、人間というのは絶対に100%で分かり合えないという前提があります。これは感情をそっくりそのまま伝えるすべがないからです。 伝えるすべはたくさんあるのだと思います。言葉を介したり、感情表現には涙を流したり、口調が荒くなったり、表情や態度に出たり。 私たちは共通の「言葉」というものを持っている。多くの人間

父がホワイトデーにくれたダサい小さなハンカチが、いまだに捨てられない。

2月7日、父の命日でした。 20代前半の私は、今の私もまだまだですが、未熟で周りが見えていなくて、どこかで偏見を持ち、自分は「普通」であると信じたいという魂胆が見え見えだった気がします。 ひとの幸せは、目に見えないし、私の幸せも、目に見えない亡くなったのは私が22歳の頃。まだ同い年の子達が4年生の大学を卒業していない中、亡くなっていった父。これから当たり前のように私は仕事を頑張って、当たり前のように"普通に"親孝行を、順番にしていくのだと思っていました。 末っ子で甘やか

やがていつか終わる人生と、わたしたちの見たい未来

なんでか、高校生の頃の私は、授業をサボるのが青春だと思っていた。 提出物はギリギリのほうがいい。テストよりも大切なのは放課後のプリクラだったし、スタバのフラペチーノだった。毎日を笑顔で過ごせた。たまに悩むことは、恋か部活だった。 勉強は学びなおせると、当時から思っていたからかもしれない。授業中のコソコソ話や、体育の創作ダンスは、今しかできないと思っていた。 そんな誰かにあててかはわからないけど(しいていうなら自分自身に)、作っていた借りを返したいと思ってきた。2024年。

私たちは、もう気づいている ―宇都宮美沙写真展「universal」を終えて

初の個展、宇都宮美沙写真展「universal」、無事会期終了いたしました。 私はずっと、思っていることが伝わるものを作りたかった。写真を撮っている時間は、おのずと長くなる。ただ、写真を展示することで、この作品たちを通して私の生きているうえでの主題を伝えられるような、そんな空間を作ってみたいなぁと思っていた。 アウトプットする機会だと思っていたのに、相当なインプットが襲い掛かってきた。 写真を仕事にして、今年で3年目。 いざ自分が展示を開催するという状況におかれて、「も

記事タイトル無題:愛について

京都河原町23:50発、正雀行きへ乗る。阪急京都線・大阪方面への最終列車に乗るときは、話に華が咲いた友達と素敵な夜を過ごした日か、河原町のワインバーのお手伝いをしに行った日か、その両方だった。 物腰柔らかで、ワインもごはんも大好きな女性店主が切り盛りしているそのお店は、地図アプリで見つけた。ワインが飲める雰囲気のいいお店を探していた当時、地図アプリの口コミを見て、友達と飲みに行った。失恋したり、恋に悩む女友達とワインを飲み、店主さんにアドバイスをもらったり、泣きながら語った

やさしさはまだ遠く

ネイルが剥がれた。右手の人差し指の爪のネイルが。 衝撃で「うおっ?!」と声は出たけど痛くなかった。ネイルが剥がれた爪を見ると、表面は白くガサガサと荒れていて痛々しいけど、やっぱり全然痛くない。 もうすぐ住んで1年になる賃貸の一軒家は、築25年の3DK。ダイニングキッチンはフローリングだけど1階のリビングと2階の2室は和室だった。 畳も張り変わっているし水回りは新しいものにリフォームしてくれているのでそんなに古くはないけれど、押し入れの戸は驚くほど重かった。 「知らない間に

雪が解けたら、なにになると思う?

タクシーを待っていると、年上の男性に声をかけられた。俺は仕事で23億を動かす、なんてことを話していた。 私が個人事業主であることを話すと、仕事の話をいろいろと聞いてきた。フリーランスで働くひとの話を聞きたいといったので、私は私の感性を話した。 別に、私は個人事業主代表でもないけれど、今の生活と今の仕事には満足している。 10年後ぐらいの展望もある。そのために今何をしていきたいかの中期目標もあるが、でもそれは人生の絶対ではない。 私は思ったように生きていくし、もしかしたら突

水をあげないと枯れるし、水をあげすぎても花は腐っていく

「すべて、経験したことしか人間はできないからなぁ」 学生時代、結婚式場のアルバイトをしていたころの上司が話していた。 19歳だった私は、たくさん経験を積んだらできるようになる仕事や、理解できることが増えるんだなぁ、って聞いていた。経験として得たものでしか、人は自分のモノとして表現できないらしい。 28歳になる今。個人事業で独立し、写真を生業として生活をする。 やっと少しずつ、あの言葉のその本当の意味が分かってきた気がする。 いろんな場所にいって、いろんな人に出会った。ア

12年越しの花が咲いた日

中学3年生のころ、入学する予定の高校のオリエンテーションで知り合って仲良くなった友達がいる。 当時から身長168cm、スタイル抜群で、真っ青のカラフルなカーディガンを着ていた。気がきつそうに見えがちな彼女は、実は中身はおっとりしたやさしい女の子で、友達のために怒ったり泣いたりもできる情に厚い女だった。 「わたしあんまり親友ってわからへんねん」といった高校生の彼女に、まだまだ若い言葉の意味さえ深く考えていなかった私は「私が親友になったるやん!」と言った。 彼女は大学に進学し

27年目の失恋

これが最後かもしれないと思えるぐらい、初恋みたいにまっすぐな気持ちで好きになれた27歳。 初めてみた時からずっと目で追ってた。 3年と少し前。「私なんて興味ないんだろうな」って何もしてないのに諦めるぐらい、一目見た時から好きだったんだと思う。理由はわからない。もちろんかっこよかったけど、もっとかっこいい人だっていっぱい出会ってきたのに。 だから、約3年の友達期間を経て、「デートしてみる?」って聞かれた時は心がどこかに飛んでいくぐらい嬉しかった。 1ヶ月先のその約束を毎日楽

少年少女だった頃の裸足のままで

朝起きたときにまぶしいと思うほどの快晴だった日。雨の日に新しい雨傘を差すとき。ずっと行きたかったお店の看板メニューを食べるあの瞬間。友達とゲラゲラ笑って、時間を忘れるとき。 きちんと私は幸せを感じる。正真正銘の自分の幸福だけど、そうなんだけど、他人と生きていきたいと思うあの感情は、他人と分かち合うのを愛というものからくる、あの特別な幸せってなんなんだろう? 私と大阪に住む親友のあいだには、日本酒が置かれることが多かった。 お酒に強いふたりで夜通し飲んだこともあるし、やっぱり

古いものは、宝物。

小学生のときにもらった友達からの手紙。置手紙であっても捨てられない。あと母にもらった絶対使わない趣味のキーホルダー。それでも捨てられないんだよなぁ。 これだけの文章が、いらない紙と思われる母の仕事書類の後ろに書かれている。 サイズはA4用紙を半分に乱雑に折ってあるだけ。仕事書類は母のメモが書かれており、昔から硬筆を習っていただけあって達筆だ。 いまではこの手紙がどんなタイミングで渡されたのかわからない。 仕事を始めたあとに一人暮らしをしていた私の家に寄ったのか、私がまだ学

クリムトを いつかと待つわ 寒椿

長い石の階段を上ろうと右足をかけた。階段の3段目ぐらいの右手に、赤い椿が咲いているのが目に入り、「あぁやっぱり来てよかった」と思った。 京都は夏は暑いし、冬は寒い。夏のジメジメとした湿気の多い空気が、そのまま冬の冷たさで冷やされたかのように寒くなる。 大寒というのは、日本の季節を表す二十四節のうち最も寒くなるころのことらしい。そんな大寒の日にわざわざ出かけたくなるほど、まぶしい快晴の日だった。 朝が起きるのが大の苦手だった私でも、最近はいつも明るくて目が覚める。和室におい

有給休暇

あんまり、悲しいことばかり考えたり、過去を悔んだりしていても、しょうがないことぐらいわかってる。今日を生きていない私は、とてもダサい。キラキラしている女じゃないと、一緒にいたいなんて思われないことぐらいわかってる。いつだって好きでしょう、男は、シンプルな女が。毎日おいしいごはんを食べて、甘いモノでご機嫌になって、新しい服がほしいと望んで、でも堅実に自炊してお弁当つくって、ボディクリーム塗って、寝るような女じゃないと。だめでしょ。 どんどん考え方がドライになってきている気がし