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ちょいちょい書くかもしれない日記(喋る)

友人たちが帰って、自宅はまた静かになった。
猫たちはたくさん構ってもらって、大満足でホワホワしている。
ここしばらく本当に切羽詰まった気持ちで過ごしていて、猫たちにゆったりした接し方をなかなかしてやれなかったので、本当に助かった。
キリキリ巻きの日々はまだ当分続きそうなのだが、他愛ないお喋りで気持ちを緩めることができたのもありがたかった。
お喋りといえば、去年の夏までは、母と毎日夕食を作って食べながら、一時間あまりは必ず話していた。
認知症の母は、テレビ番組の進行の流れや、取材されている人のバックグラウンドを記憶しておくことができない。
頓珍漢な感想や意見が多かったし、内容をあんまり理解できていないな、と思うことも多かったけれど、それでもまあ、現在進行形で見ている番組について話すことは何とかできていた。
特に、可愛い動物動画を集めた番組やら、芸能人が旅をする番組などについては、そこそこ話が弾んだ。
「かわいい」と「アホやね」は、なんだかんだ言って強い。シンプル中のシンプルだからだ。
「どこのテレビ番組も、急に同じ土地でロケしてる。あれはきっと、あっちこっちの局の仕事を下請けしている会社があって、全部いっぺんに済ませてしまうからああなるのよ、きっと」なんて推理を、母は突然繰り出したりしていた。
そういうことは記憶しておけるのか、と驚きもした。
認知症患者の記憶のムラには、未だに理解が及ばない。
古い記憶は残っている、新しいことは記憶できない、というような単純なものではないのだ。
日によってもかなり記憶のレベルは違っている。
未だに、母に会うたび、記憶については困惑することが多い。

何にせよ、父が死に、母が長期入院の後に施設入居して以来、日々のどうでもいいような会話が消えたなあ、とつくづく思う。
仕事柄、打ち合わせや講義などで人と話す機会は多くある。
それでも、気心の知れた人と、何の気遣いもなくしょーもない会話をするというチャンスは格段に減った。
自分のこれからを見つめる時期なのであろうし、沈黙はそれに役立つだろう。
でも、やっぱり人と会う機会をできるだけ掴もうと思っている。

こんなご時世なのでお気遣いなく、気楽に楽しんでいってください。でも、もしいただけてしまった場合は、猫と私のおやつが増えます。