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ちょいちょい書くかもしれない日記(寝こむ)

ここのところ、急に暑くなったせいか、新型コロナウイルス感染の後遺症が強めに出ている。
血圧が安定しないし、あちこちの筋肉が運動もしていないのに炎症を起こすし、突然猛烈な疲労感に襲われて、変な時間にバッタリ寝てしまったりするのでわりと困る。
後遺症外来に定期的に通ってはいるが、未だわからないことが多い、長期的な追跡データがまだない病だけに、先方も現時点できることは限られている。
「そういうときはすぐ休む。今はそれしかないし、そうしないとまあまあ死にます」と主治医は真顔で言った。
死ぬのは困るので、なるべくすぐ横になるようにしているし、わりとそれで復活する。充電がすぐ切れる古いスマホみたいなものである。
一時はまるっと失われた嗅覚も、戻ってはいるがいささか鈍い。
嘆いても抗っても仕方がないので、そのときどきの身体と折り合いをつけてやっていくしかない。
ただ、出先でこの突然の電池切れが起こったらどうしよう、たとえば講義中なんかに……と、少々怖くもある。
まあ、案じたところで、なるようにしかならないのだが。

両親の救急搬送で天国と地獄を両方見たので、保険証と共に、地元総合病院の診察券を持ち歩くようになった。
当該病院の「かかりつけ患者」であるか否かは、受け入れの判断において重要な要素なのだ。
母は検査も治療も投薬も全部拒否というめんどくさい人だったのが仇になり、近隣の病院がすべて初見だった。
そのおかげで受け入れ先が見つからず、救急救命士に「どこかの時点で諦めていただくことが必要になるかもしれません」と言われたほどだった。
唯一、だいぶ前に帯状疱疹で入院したことのある少し遠くの病院にも、あっさり断られた。
後からそこに勤務する知り合いに聞いたところでは、病棟の看護師長と揉めて、密やかに入院お断りリストに載せられていたらしい。
今思えば、おそらくその頃から、認知症がもたらす攻撃的な衝動が、少しずつ表に出始めていたのだと思う。
父もやはり、医者のくせに自分が患者になることは大っぴらに嫌っていたが、目だけは仕事のためにきちんと治療を受けており、そのおかげでスムーズに入院できた。
運だなあ、と思う。
実際、父はいつも、「俺は強運の持ち主なんや」と豪語していた。
とはいえ、母は施設で今も身体のほうはそれなりに元気にしており、父はあっさり死んでしまった。
運がどこまで続き、どこで尽きるかは、人間ごときにはわからない、ということなのかもしれない。
私は自分の不運をむしろ信じているほうなのだが、できれば猫たちが快適に暮らせる程度に稼げて、彼らを皆、見送るまではどうかどうか……と、誰だかわからない神様に日々、願っている。


こんなご時世なのでお気遣いなく、気楽に楽しんでいってください。でも、もしいただけてしまった場合は、猫と私のおやつが増えます。