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3か月の無給休暇を言い渡された春の日-2020-

2020年当時に書いた記事が下書きにあったので、懐かしくなりリライトしてみました。加筆・修正していますので新鮮に読んでいただけると思います!



「今から3か月、無給休暇になります」

浅黒い顔した社長がこう言い放った。

コロナ禍の不安が一番ひどかった2020年4月20日。会社の売上が激減した結果、3か月の無給休暇を言い渡されました。

人生でこんな経験もそう無いだろうから、備忘録として残してみようと思います。


海外を飛びまわる日々

私は当時イベント専門物流企業に勤めていました。海外展示会に出展する日本企業の展示品を輸送する会社です。

貨物を引き取りに行き、梱包して、通関を切り、船/飛行機で海外の展示会場まで輸送する。物量が多い時には、実際に現場まで行き、会場への搬入出の現場監督を行うこともありました。

2019年は、

・1月 ラスベガス
・4月 上海
・5月 サンノゼ
・9月 フランクフルト

と、年間4回の海外出張に行きました。国内出張も年間5~6回はあるという、忙しくも充実した毎日を送っていたわけです。

2020年も年始のラスベガス出張で幕を開け、例年通りの慌ただしい日々が始まるな、なんて思っていた矢先。ラスベガスから帰国して数カ月で事態は急変しました。

謎の流行り病で海外展示会は軒並み中止

世界中でコロナウイルスが猛威を振るい始めました。得体のしれる新種のウイルスの蔓延に世界中が大パニック。悠長に展示会など行っている場合ではなくなり、3月の時点でその先数カ月の展示会は、軒並み延期になりました。

被害の大きかった欧州では、秋以降開催予定だった展示会でも、早々と中止を決めるものが出てきました。あれほど忙しかった展示会業界は、すっかり仕事がなくなってしまったのです。

どの業界もコロナで経営が厳しかったと思いますが、イベント業界も大打撃。当時私が勤めていた会社も、存続も危ぶまれる状態へと転がり落ちていきました。

同僚の解雇・緊急全体会議

3月。一人の同僚が解雇になるかも、と噂に聞きました。残念ながらその噂は本当でした。

アメリカのドラマでよく、

”You are fired" 

と突然言い渡されるシーンを目にしますよね。それが実際に自分の身の回りに起きました。さすがの私も動揺したのを覚えています。

ところが、これはまだ序章に過ぎず、事態はこのあと悪化の一途をたどります……。


4月末。緊急全体会議の招集がかかりました。この頃すでに在宅勤務に入っていた私は、緊急全体会議への招集のメールをみて嫌な予感しかしませんでした。

給料削減か、さらなる解雇か、はたまた……。

緊急全体会議で、色黒で且つ腹黒の社長はこう言いました。

「6月から10月の半年間で一人60日、無給休暇を取ること」

……。

は?

無給休暇って何?

色黒で腹黒の社長によると、1か月の稼働日を20日とし、トータル60日間=3カ月を強制的に「休めませる」と。

社長は自慢げに言いました。
本社(香港)は「無給」で休ませろというが、我々日本法人の経営者の計らいで、雇用調整助成金を利用して6割までは給料を出してやる。

……。

は?

え、まって。
なにどや顔で言ってんの?
給料6割しかでないんだよね?
4割カットってことだよね?

会議で話された内容を補足すると、

・本社からはあと一人解雇するように言われているが、日本法人としてはそれは避けたい

・代替案として管理職を除く4名で10月までの6か月間の内、一人3か月間の無給休暇をとることにする

・ダブルワークを認める

・10月までの間にさらなる数字の落ち込みがあれば、その時は人員削減を断行していくしかない

ざっくり言うとこんな内容でした。つまり、会社の「愛」ある措置により、わたし(達)は首の皮一枚つながったわけです。


回顧録

とまあ、4年前の私はこんなことを思って、こんな記事を書いていたわけですね。

無給休暇中、私は荒川の土手に座って、

「あ~、これからどうなっちゃうんだろ」

とぼんやり思っていたものです。自分でも忘れていた感覚が蘇って懐かしくなりました。

さて、当時書いたこの記事、どう締めくくっていたのかというとこんな感じでした。

ここからが大事。時間のある今の時期に私は何ができるか。

削減になった4割分の支出を抑えるために縮こまって過ごすのか。自分の知識や、スキルを磨く時間に充てて、少額でも稼いでいこうとするのか。

私は後者です。

「真面目に生きてきたのに何でこんな目に?」

答えもない、誰にぶつけていいかわからない思いで悶々とする間に、after coronaも生き抜くための「何か」見つけたい。そう思ってライターの副業を始めました。

起こることはすべて必然

つまり、このピンチに直面したのにも、何か意味があるはずです。一見ネガティブに思える事情の " the other side"を見る。これは自分がいつも肝に銘じていること。

「何か」がなんなのか、いまだにわかりませんが、今できることを粛々とやっていこうと思います。

おー!
ナイス!当時の私!
かっこええ!

そうです。これがきっかけで私は書くことを興味を持ち始めました。そして今年、ライティングを3か月学び、先日電子書籍を出版するに至りました。

https://amzn.asia/d/ielmAZK

https://note.com/maymaytokyo24/n/n508f59530e81

この時の一念発起が4年後に「電子書籍」という形で結実したと思うと感慨深いです。何がどこでどうつながるか、わからないものですね。だからこそ人生は面白いんだけど。

最後に、Xもやってるんでよろしければフォローミー。






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