撮りがいのあるギャルに感銘をうけた日
とかく変わったもの、突飛なものはネタにされやすい。
先日の話。成人式の前撮りにいった。前撮りとはいえ、この蒸し暑い時期に振袖とは珍しい。
聞けばおじいちゃんの体調がよろしくないそうだ。元気なうちに振袖姿を見せたいという御家族の心遣い。いい話だ。きっと黒髪で清楚でどこか古風な芳根京子みたいなお嬢さんが、はにかみながら待ってるはずだ。そう思い、ご自宅にうかがった。
芳根はいなかった。代わりと言ってはアレだが気合いの入ったギャルがいた。
撮られることに積極的な子。上のポージングも僕の指示じゃない。カメラ向けると自分でやってくれる。ありがたい。
最初の話を思い出してみる。ギャルなんてそれこそネタにされやすい。
「成人式であんなカッコして、10年後見返した時に恥ずかしく無いのかね」
こういう言葉をよく耳にする。実際、彼女の親御さんも「カメラマンさん、すみませんねぇ、こんな感じで」と苦笑いしながらおっしゃっていた。
僕はね「そうかなあ、10年後、写真を見返した時、きっと誇らしいんじゃないかな」と思った。本気で。
今年20歳を迎えた人々が、それこそ10年後、自分の成人式写真を見返したとする。意外と、こういう反応をされる方が多い。
「はずかしい」
「撮って以来一回も見てない」
「親が撮れって言ったから撮った」
こんな感じ。みなさんも覚えは無いですか?よくよく考えてみると残念な話だ。楽しい記念のはずなのに。成人式写真はそういう扱いを受けることが多いのだ。
さっきのギャルに戻る。もう一度言うが、彼女は撮られることに積極的な子だった。
「たんぼで下妻物語みたいに撮りたい!」
了解。そういや目の前たんぼだな。
「おじいちゃんと撮りたい」
もちろん撮ろう。
ちなみにこのポーズも僕の指示じゃない。自分で勝手にやった。手にしたマグカップはマイメロディ。完璧じゃないか。撮りながら「カッコいい子だな」と僕は感心していた。
カッコよさの理由は簡単だ。
この子は、今の自分が写りたい姿、場所、ポーズ、メイクに衣装、全部分かっててそれを実践していた。
そして、その自分の好みが、結構な割合の人に理解されがたいことも実はしっかり自覚していた。自覚してるのに、やり通せる19歳って意外と少ないと思うんだ。
ほとんどの19歳はそんなに確固としていない。少なくとも19の僕はそこまでソリッドではなかった。そして「成人式とかダサくない?」とかうそぶいていた。
明確な主義主張が無くても、そうやって斜に構えとけば格好がついたような気になれるからね。実際に格好がついてるかどうかは言わずもがな。
斜に構えること無く、真正面から写真に写りに来る彼女はとても魅力的だった。そして「カメラマンさん、すみませんねぇ、こんな感じで」と言いながらも、楽しそうに彼女を囲む御家族も、また、あたたかかった。
そんな家族に囲まれ、ピンクの花柄にも囲まれたギャルい彼女が、はじめに撮りたがった一枚は、おばあちゃんに振袖姿で挨拶する姿だった。
心のゆたかさってこういうことだと思うんだよね。
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