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最悪な日々と、その側で


2022年秋、映画「カフネ」の制作が終盤に差し掛かった頃、当時卒業制作の企画を進めていたあるスタッフから映画「人生最高の日」のアイデアを聞いた。「アイドルの映画を作りたい」と聞いた時、規模が大きくて自分たちが知らない世界のことを形にするのは流石に難しいんじゃないかと思った。前作の頃からのチームの状況をみていても杵村組にそんな大きなことを抱えられる器はないと思うから、この企画には賛成出来ないというのが正直な気持ちだった。

でも、音楽が好きでいつか音楽に関する作品に関われたらいいなと思っていたから「やってみたい」という気持ちもあって、だから今年制作が本格的にスタートした時は本当に複雑な気持ちだった。

2023年春、ある地下アイドルが様々な事情により解散する物語の脚本執筆が開始。大学生活最後の年で「卒業」を目前にした自分たちにとって「解散」は大切な終わりのピリオドとして共感できる部分があり、この映画は自分たちが最後に作りたい、作るべき作品だと前向きな気持ちで制作に挑んだ。

しかし、一部のスタッフの目指す理想の物語とその他のスタッフが作りたい物語の間に考え方の違いが生じ、脚本執筆は難航し、一番大切な「解散」というテーマはどんどん有耶無耶になっていき、チームからもコミュニケーションがどんどん減っていった。その結果、どこで誰が脚本構成を進めているかどうかも、それ以外のすべての撮影準備がちゃんと進んでいるのかどうかもほとんど誰も正確に把握出来ていない、撮影なんて到底出来るような状況じゃなくなっていった。

最終的に自分たちの手元に残ったのは、自分たちが作る意味を見出せない物語とそれでも多くの人たちに迷惑をかけられないというプレッシャーだけだった。

夏、そんな状況でも撮影は開始され制作はからっぽのまま進行した。そして、その時期に自分は主にこの映画が原因のストレスにより精神疾患を患い、撮影には参加できるわけもなく、それ以外の自分の仕事も、この映画に関する情報に触れることさえも無理になった。毎日、暗い部屋でただ何もせず過ごす日々、一方で撮影は進み、杵村組のLINEグループでは毎日業務連絡が飛び交い、スタッフのSNSには撮影の様子がシェアされ、「みんなはどうしてこんな映画のために頑張っているんだろう」という考えても仕方ないことと「みんなが頑張れていることが自分には出来ない」という罪悪感で頭が一杯になり、そのすべてに触れるのが本当に辛かった。

そうして、この映画のことも大嫌いになっていった。正直この世界からこの映画が消えてほしいとも思っていた。それでもあるスタッフが言ってくれた「頑張らなくていいよ」という言葉にとても救われた。

秋、俳優の降板により撮影は何度も止まり、現実問題的にもスタッフのモチベーション的にももうこれ以上は続けることがかなり難しい状況になっていた。その頃、自分は病状が少しましになっていて、約3ヶ月ぶりに杵村組のしごとに復帰した。

撮影を続けるかどうかの話し合いになった時、大事な撮影の時期に全く関わってこなかった自分にどうこう意見を言う権利なんてないだろうと思った。だから、この映画と向き合ってきた他のスタッフが続けるというなら、自分は今までできなかった分、自分がすべき努力をしようとだけ決めていた。

そして、撮影は開始され自分はメイキングカメラマンやクラウドファンディングの準備をするために約2週間の撮影に参加した。撮影に参加してから、多くの人たちが頑張っている姿を見て、それまで撮影に対して感じていたストレスや、暗い感情は少しづつ和らいでいった。撮影を再開したからといって問題が全てなくなったわけではなく、いろんな憎悪を生む結果にもなった。

この映画に参加してから、始まりは一度だけだけど、終わりは永遠と続くんだなということを深く知った。

12月、クラウドファンディングを開始した。何度も撮影が終わり、資金は何百万円にも膨れ上がり、スタッフも多額の借金をした状態で進めていたから、クラウドファンディングはどうしても成功させる必要があった。

でも、ほとんど誰にも愛されていないこの映画のためにお金を集めることは多くの関係者にとってとても複雑なことで、現状、映画「カフネ」の頃のようにスムーズに進められてはいない。

何度も諦めそうになったし、何度も辞めたいと思った。こんな映画、誰かに見られたところで不快な気持ちを広げてしまうだけだし、今自分がクラウドファンディングを進めていることに罪悪感を感じてしまうこともあった。今もある。

でも、それでも、この1年間この映画のそばで最善の努力を尽くしてくれた人たちが本当にたくさん居て、そんな人たちの努力を伝えるための努力は最後の最後までやりたかった。

クラウドファンディングで支援してもらってメイキング映像を観てもらえれば、映画には乗せられなかったたくさんの想いと努力を多くの方々に届けることができる。だから、自分はそのために最後まで努力を尽くすことに決めた。

こんな風に考えているのは、客観的に見るとすごく身勝手で都合の良いように思われてしまうかもしれないし、普通に考えると間違っているのかもしれない。

でも、きっと、間違っていない。

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