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動いている人間を見るとヘコむ

今、人生で1番のどん底にいる。

7月、大学に行けなくなった。たまたま用事で休んだ日を境に、授業の曜日が近づくと心が「無理」「駄目だ」と死にそうな声で嘆くようになった。

多分原因はいくつかあって、大学4年なのに卒業後の生活ことが全く見えなくて自分は停滞しているのに時間は容赦なく進んでいくことへの不安感とか、大学に行くと苦手な人と会わないと行けないストレスとか。後者の方が大きいと思う。

授業っていってもただの講義じゃなくて、映画専攻だから映画を作る授業(授業とは言いつつもほとんど放任主義で授業時間とか関係なく作る)で、それ自体も今年は何もかもうまくいっていなかった。去年と同じチームで作っているから、去年からの歪みの蓄積もあって結構高難易度でいつバランスが崩れるかわからないような状態。それでも、去年同じ人たちで作った映画を観て最高のチームだと思って参加してきた人たちもいて、そんな人たちに「実は壊れているんだ」なんて言えるはずもなく。壊れていくことに気づきながらもどうすることもできず、人に相談しても自分でどうにかするしかないよと言われ、逃げ場がどこにもなく気づいたら自分が潰れていた。

そんな最低な状態でも大学はあって苦手な人とは会わないといけなくて、5月ぐらいから授業の時間が近づくと気分も体調もズンと落ちるようになっていった。

大学を休んでいても、行くべき場所に行かない罪悪感もあり気分はずっと落ちていて、流石にしんどいと思って病院に行ったら適応障害と診断をされた。正直、診察を受ける前までは、自分が病気だとわかれば「病気だから休んでいても仕方ない」と割り切ることができて気持ちがすっきりするんだと思ってた。けど、人間はそんなに単純じゃない。駄目人間認定をされた気分になってもっと気分は悪くなった。

そして、大学の人たちからの連絡が怖くなった。今まで普通に話していた友達も、後輩もほとんどみんな。みんなには病気になったなんてわざわざ言ってないから、急にいなくなったやつと思われていると思う。

映画制作だからそれぞれに役割があって、もちろん自分にもやるべきことがある。でも、こうして文章を書いている今この瞬間も自分がやらなきゃいけなかったことは他の誰かが代わりにやっていて、ずっと罪悪感がある。それと同時にもし自分が通常通りに居たとしても、何も役には立てなかったんじゃないかということも考えて、毎日消えたくなる。

ときどき連絡をくれる友達は本当は色々思っていることがあるはずなのに、いつも何もなかったかのように話してくれる。その度にもし友達が自分と同じように、自分よりもずっと下に落ちてしまったら、自分には何ができるんだろうかと考える。何もできないのかもしれない。

その度に星野源の「ばらばら」を聴いて、世界はそういうものだからしかたないと自分に思わせる。

脳がちゃんとしていないからオチがないまま書き続けてしまう。もう少しだけ書く。多分いつもみたいに前向きな終わり方はしないと思う。

暗い気持ちでいて一つだけ良かった事もある。音楽を聴いて、今までさらっと聞き流していた歌詞を見るようになった。音楽がより好きになった。でも明るい音楽は聴けない。(この世界に星野源がいて助かった)「もう無理だ!」って思う日は2023/4/25の星野源のオールナイトニッポンを聴く。聴くだけで心が和らぐ。

話を戻す。今日はぐだぐだだな。

8月は撮影の期間で、撮影の様子の写真や動画がLINEグループで共有されたりする。その写真をみると、みんなは頑張っているのに自分には何もできないと思って、気分が落ちる。笑っている写真なんか見ると「何もかもうまくいってないのに、こんな状況で何で笑えるんだよ」と思ってしまう。自分もこの中にいる世界線があったのかな。みんなが写っている動画なんて見るとこの世の終わりだ。相当ヘコむ。死にたくなる。涙が出る。自分の居場所なんてもうどこにもないのかもしれないと思う。

時々、気分があまり落ちていない日もある。そんな日は、自分はこんなに元気なのに何もすることができないと惨めな気持ちになる。それでも、時々資料を作ったり大学のしごと(仕事ではないけどしごと。伝われ。)をしてみる。自分にはこんなことしかできないとまたヘコむ。そしていつも泣きながら資料を作っている。その度に、ばかだなぁ、と思う。

そして今は泣きながら資料を作っている自分を想像して泣きそうになっている。ばかだなぁ。

気分が落ちていない日には、病気が良くなっているかもしれないという事実に嫌悪感を覚える。僕の場合、病気が治ったって向かう場所なんてどこにもないんだから、このまま消えてしまった方がいい。

PEDROの「空っぽ人間」という曲に『だんだん薄くなって透けて消えてしまってもいいな』という歌詞がある。本当にそう思う。

書いている今は比較的気分が落ちていないはずなのに、文章を読み返すとすっごい暗いな。いつも誰かと電話で話す度に自分が想定していたよりも自分が暗いことに気付いてヘコむ。人間、声を出さないと案外自分ではわからないものなのかもしれない。

気分はずっと暗いけど、秋からは大学に行きたい。実は、学校に行けなくなったりするのは中学の時から定期的に繰り返している。診断はされていないけど、今思えば多分同じような病気なんだと思う。大学に行くと普通に悪化する病気だけど、治ったって定期的に繰り返すんだからどうでもいいとすら思っている。だから、全然前向きな決断じゃない。

ここ最近、数時間前の自分の言動が自分の言動じゃないように感じることが多い。それぐらい気分の波が激しい。だから、今度この文章を読み返したら「誰?」ってなると思う。

終わり方を見失ったので、最後に好きな歌詞を引用して終わる。

世界は ひとつじゃない
ああ もとより ばらばらのまま
ぼくらは ひとつになれない
そのまま どこかにいこう

星野源「ばらばら」より


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