学び、食べ、たむろする

上陸という同人は、たのしい。下北沢のファミレスや、居酒屋や、カフェを移ろいながら、いろいろな話をする。お互いの小説について意見を交わしたり、さいきん読んだ小説の話をしたり。ときには、ひいきのスポーツチームの話をしたりする。
けれどそれは、暇だからとか、お酒を飲みたいからとか、そういうことじゃない。僕らがよりよい文学をつくるには、そのゆったりとした時間が必要だ。
いろいろな人が、くる。同人だけじゃなく、そのバイト仲間や、学科の友人や、そのまた友人たちや、恋人たちだっている。もちろん来ない人も、来れない人もいる。けれど、下北沢のゆったりとした時間と空間は、その境界を溶かしてくれる。

さいきん、僕らは日曜会なるものを開いている。場所はもちろん、下北沢。同人が研究していることや、調べたことや、気になることについての、テーマを問わない勉強会だ。初回は『十六夜日記』を読んだ。和歌の名家が直面した、どろどろのお家騒動を知る。高校ぶりに、古文を音読する。漢字がわからなくて、ちょっぴり恥ずかしい。そういうたのしい時間だ。学びは、たのしい。
この前の日曜会では、僕が担当者になった。『ナチ・ドイツと戦争』というテーマで、ナチス研究の現在であったり、彼らにとっての戦争がどのようなものだったかについて、拙い知識をなんとか伝えた。
伊藤が言った。「ナチスって、みんなの周りになんとなくあるガスみたい」
張が言った。「ドイツ的な精神の蓄積が、ナチスにつながったようなきがする」
おお、と僕は思った。たとえば「感情政治」であったり。「特有の道」であったり。研究の概念として大事なもので、僕がよくわかっていなかったものを、ある観点から言語化してくれたきがした。学びは、みんなでやれば、もっといいものになる。

お茶を挟みつつ、2時間くらいかけて、勉強会は終わった。僕らは雨の下北に繰り出した。古本屋を出たあとは、カレー屋にはいった。4種のカレーの食べ放題か、カツカレーか。その空間のくうきというか、僕ら上陸の精神は、おそらく食べ放題を要請していたのだが、僕は謎のためらいから、カツカレーを選んだ。カツはとてもとても美味しかった。次は必ず食べ放題を選ぼう、と思った。そのときになったら、ぜったい同じ二択に苦悩するのだが。
カレー屋を出て、いつものカフェに行く。あとはそこで、ゆるゆると流れる時間に身を任せるだけだ。ずいぶん遅くなって、友人が合流した。あまりに店の雰囲気に似合いすぎていたので、そのことしか考えられなくなった。彼はさっき店の床から生えてきたみたいだ、と誰かが言った。
あとはこうして、家でこれを書いているこの瞬間まで、あの下北沢の時間がのんびりと続いている。そして、終わることはない。またすぐに、のんびりさが失われる前に、僕らはまた下北沢に集うだろう。(文責:宮﨑)


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