記憶が、思い出が、視覚から触発され連鎖的に蘇る。 ペアリングはレンカからプレゼントされたものだった。 付き合い初めた年のクリスマスプレゼントだった。その年のクリスマスは平日だった。クリスマス明けの土日に仕事が落ち着いてから会おうと言った。多分言ったのはケイゴの方だ。お互い十代の男女じゃないんだ。レンカはクリスマスの夜に会いたかっただろうか。分からない。 ケイゴの仕事は、そうだ、グラフィックデザイナーだった。もう二月のバレンタインに向けた展示のポスターやサイネージ用のグ
「ちょっとそこに腰かけて待っていてくれ」 事務所の奥から嗄れた声がした。 ケイゴは言われたとおり椅子に腰を下ろした。肘掛けのついた立派な椅子だが、フレームが曲がっているのか体重をかけるとガタついた。 『タイトウ探偵事務所』 事務所の看板は色褪せて傾いている。事務所名の下に『信頼と実績の探偵社』と手書きで書かれている。 ケイゴが座る目の前にはデスクがあり、その上には散らかった書類と灰皿が置いてある。部屋には甘いチョコレートのような香りが漂っていた。 しばらくして、三つ
ケイゴはクローゼットの前に立ち、扉に手をかけた。しかし、前回と同じくびくともしない。ケイゴの中で不安と苛立ちが湧き起こる。核心に迫りつつあるという直感が、その先へと駆り立てる。 ベランダから工具箱を持ってきた。雨ざらしになっていたようで、工具箱の鉄製のケースは錆だらけになっていた。中からマイナスドライバーとハンマーを取り出した。 ケイゴはクローゼットの扉の隙間にドライバーの先端を差し込み、グリップの末端をハンマーで叩いた。耳を塞ぎたくなるようなけたたましい音が鳴る。ドラ
ケイゴは財布に入っていた名刺を頼りに、駅前の医療ビルの一角にあるクリニックに足を運んでいた。 アカハネメンタルクリニック。看板に『心療内科・精神科』と書かれている。ケイゴは、今の自分の状況が心因的な問題なのかと考えると疑わしいが、全く無関係とも思えなかった。何に頼ったらいいのか分からないこの不安な気持ちの行き先は、過去にはこのメンタルクリニックに向かっていたのかと思うと、妙に腑に落ちるところがあった。 医院長と思しき人物は、ケイゴの顔を見るなり、「イリセさん」と呟いた。
静かな夜、月明かりが薄く照らす竹林の中で、一人の男が黙々とシャベルを動かしていた。 シャベルが土に突き刺さり、しっとりとした音が響く。湿った土の感触が指先に伝わり、掘り返された土のにおいが鼻をつく。男は汗を流しながら、静かに作業を続けていた。 男の顔は影に隠れ、表情は読み取れない。だが、その動作には確かな決意が感じられる。 月光が手元を照らし出すが、すぐに闇が包み込む。男は無言のままシャベルを振り下ろし、土を動かす。作業は一心不乱に続けられ、その手つきはどこかぎこちな
先日作成した『過去を写すポラロイド』 https://note.com/mahiro_yamaki/n/n0c02820f9a80 こちらを展開しようと思い、同タイトルを〝#ショート版〟に変更しました。規定を超えれば、せっかくなので創作大賞に応募したいです。クローゼットの中にはなにがあるでしょうか。私にも分かりません。
セイヒの一日は、日の出とともに始まる。 神殿の掃除や清めの儀式を行い、瞑想に備える。 神殿は緑豊かな山中にあり、鳥のさえずりや風の音が心地よく、静かで平和な空気が満ちている。 しかし、市井を濁らせつつある淀んだ空気は、神殿にも少しずつ届いていた。 多くの弟子を抱えるセイヒは、彼らの不安を一刻も早く取り除きたかった。家族を故郷に残し、神殿にて修行をおこなう彼らの胸中を思うと、穏やかではいられない。 務めを果たさなければいけない。セイヒは、その使命に心血を注いでいた。
「本日のお天気は〝閃光〟。本日は閃光です。ため込んだお洗濯物を干すチャンスです。また、海水浴などにお出かけするのもいいかもしれませんね」 閃光の予報を聞いてマナミは小さくガッツポーズをした。今日はミッチと海に行く約束をしていたからだ。 先週ショッピングモールで買った新しい水着が着られる。フリルがついたかわいい水着だ。 駅でミッチと待ち合わせして、モノレールで海へ向かう。終点の二駅手前で景色が開け、車窓に海が広がる。雲一つない閃光。今日は夏のいい思い出になりそうだ。
ケイゴは散々部屋の中を歩き回った末に、ベッドに腰を下ろした。 なにも思い出せない。 この部屋は、おそらく自分のものだ。アームチェアの座り心地、パソコンを起動させるパスワードを体が覚えている。 ふいに、ナイトテーブルに置かれたカメラが気になり、ケイゴは手を伸ばした。 ポラロイドカメラだ。これはインスタントカメラで、撮った写真がその場で現像される。 とても古いもののようで、手によく馴染んだ。 とくに意味もなくファインダーを覗き、とくに意味もなくシャッターボタンを押し
太郎坊ルナさんが『守人』の後編を書いてくださいました。 『守人』は私が数日前に投稿したショートストーリーです。 いままで投稿してきたなかで、いろいろnoteについて考えていたのですが、ただ物語を投稿するだけではもったいないなと思うようになりました。 『守人』は一つの投稿にしてもよかったのですが、あえて前編と後編で分けてみました。それは、後編を皆様に想像してもらいたかったからです。 私はもともと話の設定を考えるのが好きで、昔からあれこれ想像をしていましたが、最近はせ
Umbrella Human Co.(アンブレラ・ヒューマン・カンパニー)、日本名〝株式会社傘人〟は、傘の国内シェア最大手を誇る会社だ。しかし、近年業績が悪化している。 傘人の社運をかけた会議が、企画室で開かれていた。 開発部のマキタがスクリーンの前に立つ。幹部や他社員に向けて始めたプレゼンテーションは、次第に熱を帯びていった。 マキタに与えられた社命は、『絶対に濡れない傘を作ること』だ。 「いいですか。まず、これまでの傘は、多少濡れてしまうことを良し、仕方ないこと、
「線香花火? なんで私、花火なんてしてるんだっけ? あれ? それに暑っつい。まるで夏じゃない」 「え……、ナツミ、分かるのか? 嘘だろ。俺、分かるか?」 「分かるかって、当たり前じゃん。ヒロト。あれ? ドライブしてて……、寝ぼけてるのかな。頭が」 「や、やった! 先生に報告しないと!」 「先生? あ、花火が……」 「あとあと! ナツミ、おいで」 「……うん。あ、待って。落ち――」 「あれ、また、線香花火?」 「ナツミ、分かるか?」 「うん。なに? なにが起こってるの?」 「
宇多川教授は、研究室の机の上に散らばった書類をざっと片付けると、長谷部に腰掛けるよう促した。 対面して座る教授の背後には、天井まで届く本棚がびっしりと並び、古い書物や研究資料と思しき書類が所狭しと積み重ねられている。その中には、奇妙な骨董品や不思議な機械も混じっていた。 「すまないね。呼び出してしまって」 「いえ、こちらこそお時間をいただきまして、ありがとうございます」 「メールや電話じゃ分からないこともある。実際に君の目を見て話を聞いてみたいと思ってね。さあ、君がみた夢
長谷部は商品棚の整理に没頭していた。 最終電車が去った深夜、コンビニエンスストアを一人で切り盛りしている。 つつがなく作業は進んでいた。 そんななか、それはなんの前触れもなく起こった。 ゾクリ。 戦慄、悪寒が背筋をはしり、長谷部は胸騒ぎを覚える。 店内に客がいないことを確認し、長谷部はすぐに休憩室に向かった。 鞄に入っているクッキーの缶を取り出す。缶の蓋を開けると、中にはスイッチが入っていた。長谷部は、そのスイッチのボタンを指先でしっかり押し込んだ。 ため息
はじめてつぶやき機能を使います。 創作大賞に関して作成する中で、以前書いた以下の記事と考えが少し変わったので、記事内の下部に追記しています。 誰が覚えているんだ、という感じですが、自分への筋として、書き残しておきたいと思いました。 https://note.com/mahiro_yamaki/n/n9b3e0dac4279
『顔のない男の子』※一部抜粋 作:ソータ 監獄の街 灰色の街を歩く。 堅牢な石造りの街に降り注ぐ雨は、サトルがこの地を訪ねてから一度もあがっていない。 サトルは、少年期を過ごした故郷と、この灰色の街を重ねて見ていた。あの街もサトルが去る間際まで、雨が降り続いていた。 「お前が探している人は、八十一番の監獄にいる男かもしれないよ」酒場の店主が言った。 監獄の街は、サトルが人探しの末に辿り着いた街だ。顔に特徴のあるその男は、この街の監獄に囚われているらしい。 九十九