マガジンのカバー画像

黎明期のPCゲーム開発記

15
今から考えたら、なんだか不思議な時代だったように感じる1980年代。 サブカルチャーが台頭し、世の中には言葉では形容し難い「熱量」が溢れかえっていた1980年代。 その時代に少年… もっと読む
運営しているクリエイター

記事一覧

黎明期のPCゲーム開発記 (最終回)

前回の「第14回」は、初めての SFC での開発で中々作業が進まない話と、名古屋での楽しい軟禁…

115

黎明期のPCゲーム開発記 (14)〜進まない開発〜

前回の「第13回」は、SFC版サークを開発するにあたって考えていたことをまとめました。 今回は…

52

黎明期のPCゲーム開発記 (13)〜OS的発想によるゲーム制作〜

前回の「第12回」は、スーパーファミコン (以下、SFC)の開発環境に触れ、サーク(Xak)の移植の…

45

黎明期のPCゲーム開発記 (12)〜はじめての SFC〜

前回の「第11回」は、MSX版ソーサリアンの開発完了後のお話でした。 今回は、ソーサリアンの後…

49

黎明期のPCゲーム開発記 (11)〜「戦国」から「Xak」〜

前回の「第10回」は、MSX-FAN との関わりから MSX版ソーサリアンのリリースまでのお話でした。…

72

黎明期のPCゲーム開発記 (10)〜turboR !?〜

前回の「第9回」は、PC-88 から MSX への移植に伴う苦労のお話でした。 今回は、雑誌との関わ…

70

黎明期のPCゲーム開発記 (9)〜移植性とジレンマ〜

前回の「第8回」は、プロジェクト開始直後にして最大のピンチのお話でした。 今回は MSX版ソーサリアンの開発に関して考えたことに関するお話です。 MSX の特性以前にも紹介しましたが、当時の私は MSX を触るのは初めてでした。そんな私が PC-88 から MSX へ移植するということは、プロジェクト開始の時点で「ある程度の批判」は覚悟しなければならない、ということを意味していました。 これは当時の私が開発時に書き留めたノートに書かれていたことですが、、PC-88 という

黎明期のPCゲーム開発記 (8) 〜プロジェクト最大の危機?〜

前回の「第7回」は、全てが初めての状態ながらも、プロジェクトをスタートするために準備を始…

83

黎明期のPCゲーム開発記 (7) 〜はじめてのプロジェクト〜

前回の「第6回」は、友人の推薦からゲーム開発会社に就職するところまでのお話でした。 第7回…

91

黎明期のPCゲーム開発記 (6) 〜ゲームプログラマになる!〜

前回の「第5回」は PC-88 用の「ソーサリアン」という市販のゲームを独自に解析し、その後 16b…

68

黎明期のPCゲーム開発記 (5) 〜ソーサリアンを探検する〜

前回の「第4回」では、ソフトハウスにお手紙を送り、自分専用の「ゲーム用OS」を作るところま…

50

黎明期のPCゲーム開発記 (4) 〜自分専用のOSを作る〜

前回の「第3回」では、N88-BASIC の MON コマンドを使ってマシン語プログラミングを始めたとこ…

52

黎明期のPCゲーム開発記 (3) 〜マシン語の沼に入る〜

前回の「第2回」では、N88-BASIC で作ったゲームと市販のゲームとの処理速度の違いから、マシ…

45

黎明期のPCゲーム開発記 (2) 〜はじめてゲームを作る〜

第1話では、はじめてコンピュータに触れ、映画影響を受け「謎の英数字の羅列と格闘」し始めようとするところまでをご紹介しました。 第2話は、プログラムというものを作り始めた頃のお話です。 はじめてのプログラム (N88-BASIC) 1980年代後半、私は中学生になり、英語の授業などで少しずつ理解できる英単語も増えていきました。下敷きの裏側(第1話参照)にある「プログラムに違いない」ものも少しずつ理解できるようになって来ました。また従兄弟の家で触ったコンピュータが、当時 NEC