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思い込みという名の牢屋

棒と人?何のこっちゃ、というイラストですが全貌を見ると少し切ないのです。

人からの期待は棒だった。私は自分の檻に使った。

他人の期待に応えられなかった自分を罰するために檻を作った、というニュアンスでしょうか。
短くも切ない言葉に衝撃を受けました。

身に覚えがあります。
親兄弟、友だちからの期待。上司や社長、同僚からの期待。
たくさん裏切ってきました。

私は期待に応えられなかった
私はダメな存在だ
私は罪深い
私は罰されるべき人間だ

人の期待に応えられなかった時、罪悪感を抱いてしまいます。そして、自らを罰してしまうのです。
この絵が描写しているように、自分を檻に閉じ込めて楽しさや喜びを奪うのです。

自分は楽しむこと、喜ぶことに値しないと。
勝手に期待されただけなのに。
檻を作ったのは自分。

そう簡単なもんじゃないよ、もうひとりの自分が反論します。人間は複雑ですね。
大切な人や身近な人が同じように思っていたら?
とても悲しい。それは確か。

さて。
気がついた今、この檻をどうしていきましょうか。

これからも期待を裏切る度に棒を増やし、他の人から見えないくらい自らを封じていきますか?
棒を一本一本取り除いて、再び自由に歩き回るチャンスを与えますか?

自分を罰するために作り始めた檻は、いつしか世界を狭くしてしまいました。

人との付き合いを檻の材料にしたくないです。
何だったら、もう一度立ち上がるための杖にしたいです。
うん、それがいい。

そう簡単なもんじゃないよ!という声も聞こえてきますが。
まだまだ修行が足らないようです。

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