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<地政学>国力の三要素は領土・人口・経済水準である

 最近は地政学各論の記事を主に投下していたが、議論には総論も必要だ。今回は「国力」の背景にある総論的な考察をメインに展開したい。

 地政学を論じる上で重要なのは国家の国力だろう。この国力、一体どのような要素によって考えれば良いのだろうか。真面目に考えていくと無数にパラメータは存在するし、複雑すぎて手に負えなくなる。定量的に判断できるものなのかも疑問だ。

 しかし、ある程度の国力の概略を掴むので良いのであれば、もう少し簡略化することもできる。筆者が国力を論じる時に念頭に置いているのは三要素だ。「領土」「人口」「経済水準」の3つである。これらはそこそこ一般的にも通用するのではないか。

 それでは国力の三要素に関して見ていきたいと思う。

三要素の分解

 三要素とは具体的にどのような性質を指すのだろう。例えば国家が国力を増大させる時のパターンを例に取れば良い。

 秦の始皇帝やアレクサンダーの時代から領土拡大で国力を増大させる国は沢山存在した。最近の主権国家体制の下では露骨な侵略は忌避される傾向にあるが、それでも南部を征服したベトナムは国力を倍増させることに成功した。

 人口を増やすというやり方もある。アメリカ合衆国は移民によってどんどん人口を増やし、世界大国となった。第三世界の国は経済的に停滞していたが、人口爆発によって宗主国を追い出す力を得た国もある。

 最後に経済水準を上げるというやり方がある。日本は高度経済成長期に急成長を遂げて先進国の仲間入りをした。韓国や中国も急速な近代化で国力を増大させている。

 国力の変動は大体がこの3つの要素の変化によって説明が可能である。

 1871年にドイツ統一でプロイセンはヨーロッパ最強国に成り上がった。プロイセンではこの三要素の全てが起こっていた。プロイセンはバイエルンや西ドイツの諸邦を併合し、領土を増大させた。同時に当時のドイツの出生率は高かったので、フランスとの人口比は上昇するばかりだった。ドイツの19世紀後半の工業化は目覚ましく、それまで英仏に比べて遅れた国だったドイツは、世界で最も科学技術の進んだ国になった。ドイツの躍進は三要素の全てが上昇した奇跡によるものである。

 ロシア連邦はソ連崩壊によって領土の多くを失ったため、ソ連時代に比べて弱体化した。経済水準は石油ブームによって回復したものの、国家の絶対規模が小さくなったため、挽回はできなかった。ソ連懐古趣味のプーチンが中央アジアの資源やウクライナの工業地帯を手に入れたいのは相応の理由がある。

 大日本帝国も敗戦によって領土の大半を失った国である。しかし、日本の場合は戦後の経済成長があまりにも急速で、失われた国力を取り戻すことができた。お陰で日本の全盛期は帝国主義時代なのかバブル時代なのか良くわからない状態になっている。同様に韓国も南北分断で領土の半分を失っているが、史上最速の経済成長により東アジア最大の文化大国になりつつある。

 しかし、東アジアは人口面で爆弾を抱えている。日本はもちろん、韓国や中国はそれ以上に人口減少が深刻だ。中国の場合は人口の減少と経済水準の上昇が同時に起こっており、これからの国力は増加するとも減少するとも言えない状態である。日韓は経済水準の増加が見込めないので、人口減少はそのまま国力の減少を意味する。韓国が一発逆転として北との統一(というより併呑)を画策するのも人口面での劣勢を領土拡大で補いたいからだ。

 こんな感じで三要素を持ち出せば国力という概念のほとんどを説明することができる。

領土

 領土は地理に根ざしている。したがって地政学的考察が最も効きやすい分野である。全く異なる政体が似たような領土を持っていることは珍しくない。中国歴代王朝はどんな政権であっても必ず中国本土+周縁地域のオプションという形で成立している。どのような人間が統治していても、地理的構造は不変である。やはり中国の政権にとって四川省は簡単に征服できる土地であり、日本は永遠に手の届かない存在なのだ。

 国家の地政学的な強みと弱みを論じる上で領土は最重要だ。国土が平坦か山がちか、周囲が海に囲まれているか内陸国か、農耕可能な土地は多いか、それとも不毛の地か、これらは国家の性質に大きく影響する項目である。ただ、これらは国力とは別の項目として考えている。

 国力という観点で領土の持つ重要性は人口と天然資源である。ここで言う人口は地理に根ざした人口という意味だ。人口を増やす方法は人口動態の変化によるものと領土の拡大によるものがある、国力の三要素で指す「人口」は前者を指す。

 現代の世界において、領土の拡大を通した国力の増強は難しくなっている。現代は主権国家体制が確立しており、世界の警察であるアメリカが国境線の変更を認めないからだ。戦後の世界でこの方針を取ったのは北ベトナムと西ドイツくらいである。 1990年のイラクと2022年のロシアは珍しくこの路線を取ったのだが、大失敗に終わった。今後領土の拡大で国力の増大を図る国として、韓国が考えられるだろう。北朝鮮との統一を見込めるからだ。

 一方で領土の縮小はしばしば起こっている。ソ連崩壊に伴いロシアは人口の半分を失った。経済力を回復してもソ連時代の半分にしか国力が戻らないのはこのためだ。ユーゴスラビアも同様の状態にある。

 領土の拡大に伴う国力の増大が難しい点は他にもある。大帝国にとって「国土」と「占領地」の区別が曖昧なところだ。ドイツ統一でドイツが強国になったのは西ドイツの征服地の住民が自分のことをドイツ国民だと考えて積極的に協力したからだ。ところが征服地の住民が帝国に反乱を起こすような状態では国力は「赤字」になってしまう。後にドイツ帝国はフランスを征服するが、フランス人はドイツに従順ではあっても積極的に協力する意思は無かったため、フランスの国力のうち第三帝国に編入できたのは一部だった。オーストリアはドイツ系なので「国土」であり、チェコはスラブ系なので「占領地」という扱いがされるが、結局のところ住民の意思しだいなので、曖昧である。

 また、法的に領土であっても、実質的な領土ではないこともある。例えば日中戦争の時の中国国民党は正統政府ではあっても、領土の一部しか支配していなかった。中華民国が内戦状態だったからだ。中華民国の国力は領土から推定されるよりも小さいことになる。以前の記事で取り上げたコンゴ民主共和国もまた、実質的な領土が国際的に認められた国境よりも狭い例だろう。シリアのアサド政権もまた、戦前の領土の7割ほどしか支配できていない。

 領土をめぐる議論でやや面倒なのは領土の定量化が困難であることだ。国土面積は指標として役に立たない。国土の大半が砂漠や永久凍土である国が多いからだ。可住地面積をベースにすれば説得力があるだろうが、それすらも工業化の時代にどこまで役に立つか分からない。江戸時代の「石高」は極めて優れた指標だったが、土地あたりのGDPは人口や経済水準が絡んでくるため、循環論法になりやすい。したがって領土をめぐる議論は増加と減少を論じることはできても、定量化した指標は作りにくいのである。

人口

 ここでいう人口とは一般的に言う人口動態のことを指す。人口を増やす方法は「自然増」「社会増」「領土の拡大」があるが、最後の「領土の拡大」は前述の「領土」の項目に入れて論じている。人口統計学でも領土の変更は考えないことになっているので、整合性が取れる。

 人口も地政学的要因でそこそこ考察できる項目である。近代以前は特にその傾向が激しい。近代以前は経済水準が地域によってほとんど変わらなかったので、その地域の文明のレベルは人口密度だった(詳しくはマルサスの罠で調べてみよう)。その文明のレベルも多くは地理的要因で説明可能である。ジャレド・ダイアモンドはこの手の論者の中で最も有名だろう。

 近代以前の中国は世界で最も国力が強大だったが、その要因は中国本土の人口が多かったからだ。中国は農耕可能な温帯地域の土地に恵まれ、人口密度が非常に高かった。その分、何かを発明する人間も多かったので、高度な文明を築いていた。同様にヨーロッパもそこそこ進んだ文明を持っていた。

 第三世界の国々の発言力も人口増加によるものが大きかった。第二次世界大戦後、第三世界の国と先進工業国の経済格差は開く一方だったが、第三世界の国の人口は急速に増加していたため、力関係の差は広がらなかった。中国のように国力を適切に動員できた国の場合は大国として振る舞うことができた。

 ただし、最近は人口減少が世界的トレンドになっている。日本や韓国で急速に少子化が進み、国力が低下することが懸念材料だ。ロシアが大国として振る舞えたのもヨーロッパで最も人口が多かったからだが、ロシアの人口は減少傾向にあり、西側と張り合う体力が無くなっている。

 一方で神に祝福された国、アメリカ合衆国は人口減少とは無縁である。この国は移民社会なので、社会増によっていくらでも人口を増やすことができる。アメリカは19世紀以降に相対的な経済水準も領土もあまり変わっていないが、人口がどんどん増えているため、ヨーロッパの国に対して優位に立つことができた。1900年のアメリカの人口はイギリスの2倍だったが、現在は5倍である。

 人口の優れた点はGDPの統計に比べて遥かに予測性が高いことである。人口モーメントは50年100年という単位であまり変わらない。日本の人口が突如として急増することは考えられないし、どんなに少子化が進行したとしてもアフリカの人口は当分の間、増加し続けるだろう。

経済水準

 経済水準は政治経済をはじめあらゆる社会学的な考察において最重要の項目だ。「近代化」や「文明化」という概念も経済水準を指し示すものだ。一人当たりGDPが最も順当な指標である。他に人間開発指数とか一人当たりの工業生産高とか、優れた指標は沢山存在する。しばしば誤解されるが、GDPが二倍三倍になってもそれと比例して人口も二倍三倍になれば経済水準は上がらない。この場合は国力は増えても国民はちっとも豊かにならない。

 経済水準は地政学的な考察ではあまり説明することができない。特に近代以降にその傾向が顕著だ。A国は地理的に交易に有利だ不利だといったことは説明できるのだが、先進国と発展途上国にある圧倒的な格差を説明するのには不十分なのである。例えばスペインが工業化に失敗し、イギリスとオランダが成功した理由は地政学的要因では説明がしにくい。特に地理的な問題は無いのに、ハイチがいつまでも貧しい理由も同様に説明できない。ラテンアメリカやオセアニアを見ていても、白人が入植している地域は等しく豊かで、現地人の多い地域は等しく貧しい。イスラエルは周辺アラブ諸国より圧倒的に豊かだが、どう見ても地政学的には不利だ。地理よりも重要な点があることは明らかだ。

 実のところ、先進国と途上国の格差をめぐる議論は社会科学における最大の未解決問題といっても過言ではないだろう。この疑問を扱うだけで「開発経済学」という分野があるくらいだ。近代においては「ヨーロッパ人種が優れている」で片付いていたが、日本や韓国の経済成長によりこの論拠は揺らいでしまった。中国人は中世まで優等人種で、近代になって劣等人種になり、再び優等人種に戻ろうとしていることになるが、DNAはこんな短期間には変化しない。同様に文化的要因という説も怪しさが残る。発展途上国の文化が先進国と違っていることは間違いないが、これが原因と結果のどちらかなのは釈然としない。

 経済学者のダロン・アセモグルは「国家はなぜ衰退するのか」の中でこの謎に挑んでいる。アセモグルは「地理説」や「人種説」を否定しており、代わりに「制度説」と呼ぶべきものを提唱している。一言でいうと途上国が貧しいのは政治が腐っているからであり、その収奪的な政治的文化は政権が交代しても長年引きつかがれるということだ。

 しかし、筆者は学生時代にこの説を信奉していたが、現在は懐疑的である。腐った政治が途上国の停滞の原因であることは疑いようがないが、これは貧困の原因ではなく、結果ではないのかという反論が可能である。同じ国の中でも貧困層に関する政治勢力は収奪的であることが多い。逆に植民地の国では白人の社会の内部は民主的に運営されていることが多い。筆者の見解では効率的な政治制度と経済水準は相補的な関係にあり、どちらか一方が原因とも結果とも言えないのではないかというものである。

 ここに関して論じるとそれだけで記事が何本も書けてしまう。経済水準に関して地政学的要因で説明できるのは2割くらいだ。例えば海に面している国は経済成長に有利である。海に面していなくても、スイスのように陸で先進国と接していればやはり経済成長を遂げることができる。民族的に近いフィンランドが豊かでエストニアが貧しいのは地政学的要因により共産主義の支配を受けたか否かの差が生じているからだ。ポーランドが経済成長を果たし、ブルガリアが低迷しているのは前者が欧州の中心であるドイツに面しているからだ。アメリカが他の先進国に比べて豊かなのは西側世界を勢力圏として莫大な投資を呼び込んでいるからだ。

 しかし、こうした説明も経済水準に関する議論の一部しか示すことができない。ヨーロッパが世界に先んじて工業化を果たし、中東や南アジアがいつまでも低空飛行なのはなぜなのか。東アジアが貧困から突如として離陸したのはなぜなのか。アメリカとメキシコが隣接して交流も盛んなのに経済格差が埋まらないのはなぜなのか。気候や天然資源は全く関係がないようだ。こうした疑問は地政学だけで説明することは不可能である。

天然資源と国力

 今までの国力をめぐる議論の中で意図的に触れなかったのが天然資源である。しばしば天然資源は地政学的議論の中でも重視されるし、資源小国日本の中には天然資源が全てかのように語る人間もいる。

 しかし、筆者は天然資源をそれほど国力において重要視していない。理由はいくつかあるが、一つは天然資源が産業を作らないからである。天然資源の富は他の産業への影響が限定的だ。石油収入があるからと言ってその国の技術水準が上がるわけでもなければ教育水準が上がるわけでもない。宝くじに当たっても年収が増えるわけではないのと同じである。要するに、臨時収入だ。サウジアラビアは巨万の富を持っているが、それ以外に何も無いため、GDPでは劣るはずのイランやイスラエルに全く対抗できないでいる。

 大日本帝国が石油資源を欲したのも経済制裁でアメリカの石油会社と取引ができなくなったからであり、石油収入で国力を増大させようとしたからではない。日本の国力の礎は一にも二にも工業だったことは明白だ。日本がアメリカに対して劣勢だったのは、石油云々以前に人口と経済水準で圧倒的な格差が存在していたからである。当時の日本がせいぜい中進国だったのに対し、アメリカは欧州全体に匹敵する工業力を持っていた。

 というわけで、天然資源は筆者の見解では経済水準というよりも領土の方に分類される。天然資源が豊富なことは山脈で敵国から守られているのと同じくらい有利だが、工業化の進展ペースとは無関係なのである。サウジアラビアのような資源国はGDP以上に経済水準は低く、北朝鮮のような共産主義国はGDP以上に経済水準は高いと思われる。

 それでも地政学的議論で天然資源が重視されるのは、領土との結びつきが強いからだ。土地に振り回される一次産品の宿命とも言える。金融やITは資源産業よりも更に重要度が高いが、これらの産業は経済水準との結びつきが強いため、地政学的要因はほぼ無関係である。

まとめ

 地政学的に扱う国力とは主に「領土」「人口」「経済水準」の掛け算である。これらを総合した数値がGDPとか工業生産高と呼ばれるものだ。この3つはオーバーラップするのでやや定義が難しいが、ここでいう人口とは領地あたりの人口のことであり、経済水準とは人口辺りの経済力(GDP・資産・労働生産性など)のことだ。人口動態が変わらなくても領土を拡大すれば国力は増えるし、労働生産性が変わらなくても人口が増えれば国力は増える。

 この3つは経済の三要素である土地・労働力・資本に対応する。近代以前は農業が中心だったし、地理的な交通の障壁が大きかった。したがってある国家が強大な国力を持つか否かは地政学的要因によってほとんど決まってしまっていた。現在でも天然資源は土地との結びつきが強いため、どの領土を国家が支配するかで全く動向が違ってくる。人口もほとんど農地面積で決まっていた。

 ところが近代に入ると産業革命によって経済水準の格差が大きくなり、国力には地政学的要因では説明できない格差が生じるようになった。その真のメカニズムはまだ未解明である。人種や宗教が原因ではなさそうだ。もちろん地政学的要因で説明できることも多いのだが、全体の2割から3割程度に留まる。

 それでも経済水準に地政学的相関性が無いわけではない。経済水準の上昇は地理的・文化的・政治的に近い地域に広まるようだ。この手の議論は筆者の興味関心の的ではあるが、長くなるのでまたの機会にする。

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