マガジン

  • コンサドーレ札幌 歴代ユニフォームの記録

  • 2006年2月 ブエノスアイレス滞在の記録

    大学卒業と就職を目前に控えた2006年、卒業旅行の旅先は南米一人旅を選んだ。2006年2月3日出国、3月4日帰国の一か月間の南米一人旅。ここではこの旅で最大の出会いと刺激に満ちたブエノスアイレスの旅日記をほぼそのまま記す。その後ブエノスアイレスには2010年、2018年と合計3回訪れている。リオデジャネイロは2014年にワールドカップ観戦で再訪。初めて旅した2006年以来、社会人になっても4年に一度南米を旅するとはこの時点では想像もしていなかった。

  • 街の記録

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2024.05.11 コンサドーレ札幌を応援して

 今シーズン初めての札幌の応援へ行った試合について、感じたことを記すこととしたい。ブログやPodcast、更には今年から復活した応援団によるフリーペーパーと、札幌に関するアウトプットに大きな刺激を受けており、私も行った試合については何か記録として残したいと思ったからだ。  ここまで札幌は苦戦を強いられているが、私は今シーズン現地観戦は勿論のこと、DAZNで生中継を一試合フルで観戦することすら一度も叶っていない。週末の午後は一人で子供二人と過ごすことも多く、昨年以上に札幌の試

    • 2023年振り返り

      【出来事】育児、服、コロナ  子供が2歳を迎えた。出産後過去2年と比べても生活における育児の比重がどんどん増えている。コロナの時代になっても子供が産まれても、時間を見つけて友達と遊んだり飲みに行くことが何よりも楽しかったのがその機会がかなり減った。子供の就寝時間がかなり遅くなったことで夜に飲みに行くことはできなくなり、保育園に通い始めたことで休日は子供と一緒に過ごすのが最優先となった。友達と会うハードルは上がり、そもそも自分の自由時間がほとんど無くなった。平日は子供が寝て家事

      • コンサドーレ札幌 ユニフォームの歴史(1998年)

        ◆はじめに  1997年、JFLで輝かしい戦績を残したコンサドーレ札幌は念願のJリーグ昇格を果たした。札幌の歴代ユニフォーム考察、今回は記念すべき1998年のユニフォームについて取り上げたい。ユニフォームサプライヤーは前身の東芝時代から継続のプーマ、デザインは前年と同様である一方で、後述するようにユニフォームが決定するまでには紆余曲折があったと思われる。 ◆1stユニフォーム  1997年のユニフォームをそのままにスポンサーロゴを変更している。胸スポンサーが「HUDSON」

        • 2022年の振り返り

          【出来事】 「育児、コロナ、友達、戦争」  子供が産まれて1年以上が経った。離乳食の開始あたりから一日の育児スケジュールが厳しくなり、月日が経てば経つほど毎日の生活は育児優先となる一方、子供が病気をせず順調に成長していることが何よりである。自分以外の人間の為に生きるという初めての経験だ。  今年になって子供を連れて散歩し始めると、店の人や道行く人から声を掛けられることが増えた。外国を旅していると街中で知らない人と話すのは普通の出来事だが、日本でも同じことが起きるのは不思議な気

        2024.05.11 コンサドーレ札幌を応援して

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        • コンサドーレ札幌 歴代ユニフォームの記録
          3本
        • 2006年2月 ブエノスアイレス滞在の記録
          12本
        • 街の記録
          2本

        記事

          アスンシオン1日目 2006/2/21(火)

           3時くらいに怖い夢を見て目が覚める。ジャージを着ているのにめちゃくちゃ寒い。毛布が欲しかった。姿勢が良くないから身体も痛いし、きつくてなかなか眠れなかった。9時くらいから車内のテレビでドラマが始まったのでまた起きた。コーヒーのサービス、砂糖たっぷりで美味しかった。そしてドラマを見た。後ろの席の女性とか隣の男性とか、みんなガンガン笑いまくっている。スペイン語なのでよく分からないが、隣の男のリアクションを見ていると自分も笑えてきた。コントのようなドラマだ。バスの車内で一斉にみん

          アスンシオン1日目 2006/2/21(火)

          ブエノスアイレス11日目 2006/2/20(月)

           ブエノスアイレス滞在11日目に書いていた日記である。10泊した安宿をチェックアウト。夕方にレティーロのバスターミナルから次の目的地、パラグアイ・アスンシオン行きの長距離バスに乗車してブエノスアイレスを後にした。  8時半に起床。眠すぎる。出発準備していたらソンが来た。もうお別れだねと言われて握手すると、握手が優しすぎると突っ込まれた。9時50分、部屋を出た。アメリカ人のおじさんがいたので少し話す。ボカの話や旅の話、この後はブラジルに行き、4月にアメリカに戻るらしい。そして

          ブエノスアイレス11日目 2006/2/20(月)

          ブエノスアイレス10日目 2006/2/19(日)

           ブエノスアイレス滞在10日目に書いていた日記である。いよいよボンボネーラでボカーサンロレンソの試合を見に行く。安宿の隣人、ヒデさんが買ってくれたチケットは最も安いゴール裏の席。流れでボカの応援団が陣取るアウェイ側2階席に入り、ボカの試合の観戦ではなく応援を行うことができた。試合後は安宿で親しくなった人たちとみんなで遅くまで食事、楽しかったブエノスアイレス滞在の最後の夜を過ごした。 サンテルモのマーケットを散策 7時半に腹痛で起きてトイレに行き、また寝て11時20分に起きた

          ブエノスアイレス10日目 2006/2/19(日)

          ブエノスアイレス9日目 2006/2/18(土)

           ブエノスアイレス滞在9日目に書いていた日記である。この日も昼間は近所を散歩、そして翌々日のパラグアイ出発に向けてバスチケットを購入しに行っている。ブエノスアイレスの毎日も残り僅かとなった。  今日は8時半に目覚めてトイレに行き、廊下でソフィーに会ったので挨拶をして、次に起きたら11時40分だった。シャワーを浴び洗濯をして12時半頃出発。しかし相変わらずお腹の調子が悪い。そしてネットカフェへ。久々のネットだ。友人Yが南米を旅するらしい!2/22に出国してトロント4日、サンテ

          ブエノスアイレス9日目 2006/2/18(土)

          ブエノスアイレス8日目 2006/2/17(金) ウルグアイ モンテビデオから戻る

           ブエノスアイレス滞在8日目に書いていた日記である。この日もウルグアイショートトリップ中。コロニアからモンテビデオへ移動し、夜にフェリーでブエノスアイレスに戻った。  今日は9時半起き、8時半くらいには目覚めていたけどダラダラ過ごす。ドミトリーだと他人がいるからちゃんと目覚めるのだけは良いな。9時50分にユースを発ち、10時半頃にモンテビデオ行きのバスが出発。すぐに田舎の景色になる。牛が沢山いるし北海道に似ている感じがする。バスは途中までは空席だらけだったものの、途中の田舎

          ブエノスアイレス8日目 2006/2/17(金) ウルグアイ モンテビデオから戻る

          ブエノスアイレス7日目 2006/2/16(木) ウルグアイへショートトリップ

          ブエノスアイレス滞在7日目に書いていた日記である。事前の計画通り、この日から1泊2日でウルグアイへ。この旅ではカナダ、チリ、アルゼンチンに次いで4か国目となる。ブエノスアイレスの安宿には宿代を払い、部屋に荷物を置いたままウルグアイのコロニア・デル・サクラメントへフェリーで向かった。翌日にはモンテビデオからブエノスアイレスに戻る予定だ。  昨日は1時半に寝て8時20分起床、9時過ぎに出発。インデペンデンシアからスブテに乗って、サンマルティンには9時半に到着。今は10時のアメッ

          ブエノスアイレス7日目 2006/2/16(木) ウルグアイへショートトリップ

          ブエノスアイレス6日目 2006/2/15(水)

          ブエノスアイレス滞在6日目に書いていた日記である。宿の隣の部屋の住人ヒデさんと知り合い、ブエノスアイレス独特の言葉遣いやサッカーについて色々教えてもらう。以降ブエノスアイレスを発つまで毎晩遅くまで部屋で飲みながら話をするようになる。ブエノスアイレス滞在が更に思い出深くなる出会いの始まりである。  昨日は2時半に寝て今日は10時40分に起きた。11時半に出発しサンテルモのネットカフェへ。大学の奨学金の報告書を出し忘れていたことをメールで知る。2/28までに提出しないとダメら

          ブエノスアイレス6日目 2006/2/15(水)

          ブエノスアイレス5日目 2006/2/14(火)

          ブエノスアイレス滞在5日目に書いていた日記である。美術館を巡りつつアルゼンチンリーグのサッカーユニフォームを購入した一日。今となっては外国に行くたびに試合観戦したチームのものを中心に必ず現地のサッカーシャツを買うのが定番となったが、以前は荷物になるし値段も高いのでなかなか手が出せなかった。しかし2006年当時のアルゼンチンの物価は日本の3分の1、正規品を3000円~5000円で買えるなら買わない手はない。街のど真ん中の繁華街にサッカーシャツを扱う店が無数にあるブエノスアイレス

          ブエノスアイレス5日目 2006/2/14(火)

          ブエノスアイレス4日目 2006/2/13(月)

           ブエノスアイレス滞在4日目に書いていた日記である。この日はボカ・ジュニオルスの本拠地であるサッカー場、ボンボネーラの見学に行っている。1996年、中学生の頃にウルトラス・ニッポンを通じてサッカーの応援に興味を持ち始めた私は、日本代表を応援する人々が着ていたウルトラス・ニッポンのTシャツにも憧れていた。背中に12の背番号が入った青いTシャツはボンボネーラという東京・千駄ヶ谷にあるサッカーアパレルショップで売られていることを知る。ボンボネーラとはアルゼンチンのボカというクラブの

          ブエノスアイレス4日目 2006/2/13(月)

          ブエノスアイレス3日目 2006/2/12(日)

          ブエノスアイレス滞在3日目に書いていた日記である。宿の近所を歩き、夕方からサッカー観戦ツアーでリーベルプレート-バンフィエルドを観戦。これがアルゼンチンリーグ2試合目だ。 サンテルモのマーケットへ  今日は10時半に起きた。シャワーを浴び、洗濯をして12時に出発。サンテルモ地区に行く。日曜日は骨董市があるらしい。10分ほど歩くと到着。絵とか雑貨のマーケットが並んでいて活気がある。観光客が多い。カラフルでいい感じの絵があった。30ペソ(10USドル)とかだし欲しくなった。あと

          ブエノスアイレス3日目 2006/2/12(日)

          ブエノスアイレス2日目 2006/2/11(土)

          ブエノスアイレス滞在2日目に書いていた日記である。昼過ぎから23時まで街の中心であるセントロをブラブラして、本格的にブエノスアイレスの街を好きになった。 ブエノスアイレスの街をひたすら歩く  3時半に寝て、11時に起きた。シャワーを浴びて日本から持ってきたFLASHを読んでいたら13時になっていた。出発からまだ1週間なのに、日本の雑誌を読むと少し日本が恋しくなるな。こうしてはいられないと外に出る。今日は土曜で店は閉まっているものの、やはり街の雰囲気が良くてテンションが上がる

          ブエノスアイレス2日目 2006/2/11(土)

          ブエノスアイレス1日目 2006/2/10(金)

          大学卒業と就職を目前に控えた2006年、卒業旅行の旅先は南米一人旅を選んだ。前年の夏休みに人生初の海外一人旅でバックパックを背負い、シリア~フランスまで一か月の陸路&海路の旅の成功に味を占め、今回は一か月かけて陸路で南米大陸を横断することにした。飛行機の都合が良いのはエアカナダでチリ・サンティアゴIN~ブラジル・リオデジャネイロOUT。地図とにらめっこして事前に考えた旅程は、サンティアゴからアルゼンチンのメンドーサを経由しブエノスアイレスへ。現地でサッカー観戦が目標だ。可能な

          ブエノスアイレス1日目 2006/2/10(金)