りっちー

10年近く母親の介護をしました。 昨年3月にその母が旅立って、ぽっかりと心に穴が空いた…

りっちー

10年近く母親の介護をしました。 昨年3月にその母が旅立って、ぽっかりと心に穴が空いたような感覚です。 時間も出来ました。 昔好きだった「書く」、またチャレンジしてみようかと思います。

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自己紹介です 3月まで10年近く母の介護をしていました

はじめまして 母親を介護してきたこの10年(後半4年ほどは施設でお世話していただきましたが)。 3月にその母が旅立ちました。勿論悲しく寂しいのですが、大往生と言うやつ故に、そこは微妙な心持ちではあります。 認知症にもならず寝たきりでもなく、あっぱれと申しますか…。 自宅で介護をしていた時は、時間に追われきゅうきゅうとした毎日でした。私一人。年の離れた姉は遠方に嫁いでいます。近くに縁故者もおりませんでした。 ほぼフルタイムで働いておりましたので、デイサービスを利用しても、私

    • 介護生活 後半戦part4

      ある日、晩ご飯を食べた後。 母はため息をつきながら、言った。 もうきつい、行きたくない。 デイサービスのことを言っているのだ。 何と返したらいいか、暫く言葉が見つからなかった。 何日か前の朝、母に異変が起きた。 表情の無い顔つきでベッドに座ったまま、呼びかけてもぼんやりとして、反応がない。 母の身体を、ズボンのウエスト周りを握って引き上げようとしたが、ぐんにゃりとして立ち上がることが出来ない。 こんなことは初めてで、どうしたらいいかわからなかった。 ペチペチと頬の当たりを軽

      • 介護生活 後半戦part3

        発熱、血尿、足の浮腫、尾てい骨あたりの褥瘡(床ずれ)。 色んな不調が母の体に起きるようになった。 特に、原因不明の発熱が度々あった。 原因不明の発熱は、前触れもなく訪れる。 ある日。 朝、起きたあと、急に母は寒いと言い出した。 寒い季節ではない。違和感を感じた。 母の身体が震え始めた。びっくりして母を寝かせる。 母は、寒い寒いと繰り返して言っている。歯がカチカチと音を立てるくらい震えている。顔面蒼白で私はかなり慌てた。 その時は、救急車を呼んだ。 病院で39度の熱がある

        • 介護生活 後半戦part2

          神経質になり過ぎていたとは思うが、毎日、いつも目で、耳で、母の動きを追っていた。 夜中、母がトイレに起きる小さな音にさえ、目が覚める。 毎日眠りは浅く、身体が重かったが、それも当たり前の日常だった。 母の身の回りの世話も、大変だった。 母は、毎日丁寧に洗顔したがった。 古い家の洗面台は、タイル張りの風呂場の中にあって、使いにくく危ない。 台所の流し台で、歯磨きと洗顔をしなければならなかった。 流し台は、背の低い母には高すぎるため、踏み台に乗って洗顔する。当然、私はその場から

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        自己紹介です 3月まで10年近く母の介護をしていました

          介護生活 後半戦part1

          母のトイレでの転倒が、介護生活後半の始まりになった。 勿論、後々に思えば、の話である。 トイレでの転倒以来、母も私もやはり神経質にならざるを得なかった。 トイレはポータブル、室内の移動は杖と手すり。 1人の時間を極力無くすため、デイサービスの利用と、それ以外の時間は私が気をつけるしかない。 たちまち、時間に追われる生活になっていった。 古い家は水回りが不便で、何かと手間がかかる。湿気が多く、色んなところにカビが浮き出てくる。カビは肺炎などの病気を引き起こす可能性もある。 掃

          介護生活 後半戦part1

          介護生活の転機 part2

          トイレが怖い トイレでの転倒をきっかけに、母はトイレを怖がるようになってしまった。 リハビリで1週間入院した後に帰宅したが、家のトイレに入ろうとすると、トイレの入り口で足が進まなくなってしまう。 足腰などの問題ではなく、メンタルの問題ゆえ改善は難しい。トラウマというやつである。 病院ではポータブルトイレを使用していたので、本人も抵抗はないようで、その方が良いと言う。 身体的には、トイレ使用はまだ可能だと思われたので、複雑な気持ちだった。 可能であれば、出来ることは自分でした

          介護生活の転機 part2

          介護生活の転機 part1

          トイレで何が? 「お母様がお家のトイレで倒れられていて」 デイサービスの、お迎えの介護士さんからの電話を受けたのは、仕事中だった。 「今、救急車を呼んでいます」 頭の中が真っ白になった。 倒れた? 「すぐ帰ります。5分で着きます」 慌てて電話を切った。 仕事場から家まで、自転車で5分ほど。 早退させてもらい、家に向かった。 心疾患。 脳疾患。 のようなものを想像した。 朝は特に異常はなかった。 何が起きたのだろう。 もしやこのまま…。 家の前に救急車が止まっている。 玄関

          介護生活の転機 part1

          桜 さくら にまつわるエトセトラ

          タイトル 写真は、つい最近の、家の近所の桜並木。 桜が散り始め、通路に花びらの絨毯が敷かれている。 綺麗。 日本人が大好きな桜。 桜にまつわる思い出話しは、多くの人が持っていそう。 ご多分に洩れず私にも、いくつか思い出がある。 母も桜が好きだった。 再び一緒に暮らし始めた、翌年の春だっただろうか。 桜が見たいと母が言い出した。 私は気乗りしなかった。 休日の時間は、自分のために使いたかったからだ。 母が元気な頃、私は母の事をたいして気に留めてもいなかった。 むしろ冷たか

          桜 さくら にまつわるエトセトラ

          還れなかった子たちへ

          いつか会えなくなる運命なら 出会わなければよかったのだろうか 別れの痛さに身を捩る 慣れることのない痛みを もう味わいたくなければ 目を閉じるしかない 心を閉じてしまうしかない 私の魂は夜の海を彷徨った そこにあの子たちが行き着いているのなら 会える気がして 冷たい風に晒されながら あの子たちを探した 幾度となく 身体は灰色の街を歩いた どこかにあの子たちが潜んでいたらと ひたすら奇跡の邂逅を求めて 歩き続けた 何度も 何度も どうせ損なわれてしまうのなら 創られなけ

          還れなかった子たちへ

          がみちゃんとぽーちゃん

          がみちゃんはぽーちゃんのお母さんです。 4年ほど前のこと。 がみちゃんは、ある公園のトイレでぽーちゃんを産みました。 本当は、もっとひっそりしたところで産むはずなのですが、がみちゃんはかなりポジティブタイプの猫なので、ま、ここでもいいか的なノリで産んでしまいました。 その後、さくら耳になりました。 なので、それが最後のお産となります。 ぽーちゃんは、がみちゃんの娘です。兄弟がいるはずですが、兄弟たちのことは覚えていないのです。 物心ついたころには、母親のがみちゃんと一緒に行

          がみちゃんとぽーちゃん

          covid-19の日々

          コロナ禍の中、母が有料老人ホームに入居して1年ほど経った、 2022年2月。 施設長から電話があった。 職員がコロナに感染したと言う。 私はかなり慌てた。 オミクロン株と呼ばれる変異株が、流行し始めていた。初期の株より、症状は軽そうだという話だったが、高齢者には死亡者もまだまだ多く出ていたし、何より母はワクチンを打っていない。 新しいタイプのワクチンは、因果関係はよくわからないものの、接種後に亡くなる方もいて、どれほどの効果があるのかも不明で、超高齢者には、どのような副反応が

          covid-19の日々

          お母さんへの手紙

          前略 早いものですね。 もう1年経ちましたね。 去年と同じ日、今日も雨です。 この1年、お母さんのことをたくさん思いました。 昔のことも 最近のことも。 幼い頃、お母さんを探して、商店街まで走って行ったことを思い出しました。 家でお父さんにお母さんの居所を尋ねると、買い物に行ったと言われたのです。 何故、お母さんを追ったのか覚えていないけれど、お母さんを見つけて、私は泣いてしまいました。きっと探す間、不安だったんでしょうね。 お母さんの割烹着を握りしめて泣く私の涙を、お

          お母さんへの手紙

          猫好きによる 猫好きのための 猫の話(感動編)

          ミステリアス母さん猫 勤め先の電器店が閉店になって、何年か後の話。 私が30代前半の頃だったと思う。 4階建てのアパートの、2階の角部屋に住んでいた。玄関は北側、ベランダは南側。 ベランダ側に駐車場があった。 その駐車場を、子連れで歩く母さん猫を見かけるようになった。子猫は3匹。 ベランダから食べ物を落とすと、母さん猫は、顔を上げて私を見た。 猫たちを見かける度、食べ物をベランダから落としていると、そのうち駐車場の隅の方で、親子で私がベランダに現れるのを、待つようになった。

          猫好きによる 猫好きのための 猫の話(感動編)

          猫好きによる 猫好きのための 猫の話(ちょっぴり悲しい編)

          ボス猫 小鉄の話 猫を飼ったのは一度だけ。はるか昔のことだ。 でも猫好きだからだろう、猫には何かと縁がある。 まだ私が20代の頃。 勤めていた郊外の小さい電器店には、よく野良猫がやって来た。 売り場部分の裏が倉庫や、事務所、休憩室になっていた。従業員用の駐車場も、店舗の裏側にあった。舗装もしていない、殆ど荒地みたいなそこには、引き取った古い電化製品や、屋根用のソーラーパネル(展示用)などが雑然と置いてあり、いかにも野良猫が集まりそうな場所ではあった。 色んな野良猫が、入れ

          猫好きによる 猫好きのための 猫の話(ちょっぴり悲しい編)

          母とのお別れ そしてそのあとの私 part2

          寒いと呟いてベッドに入った母は、次の日、ずっと眠ったままだった。 朝と夕方、会いに行って、何度も母に呼びかけてみた。 お母さん、お母さん。 返事はない。 もうすぐそう呼べる人は、いなくなる。 この世から。 そう思うと、寂寥感が胸に広がっていった。 次の日、仕事は休みだった。 朝に会いに行った時、母はまだ眠ったままだった。 もうこのままなのだろうか。 その時はいつなのだろう。 昼頃再び訪れた時、 さっき目を覚ましましたよ、と玄関口で施設長が笑顔で告げてくれた。起き上がり、ジ

          母とのお別れ そしてそのあとの私 part2

          母とのお別れ そしてそのあとの私 part 1

          もうすぐ母が旅立って、1年になる。 そう言うと、周りの人達は皆一様に早いねぇ、と言う。 本当にね、早いね、 もう1年。 あの日から。 母は、亡くなる2年ほど前から、有料老人ホームに入居していた。 施設長=経営者という、こぢんまりとした有料老人ホームであった。 ちょうど、コロナ全盛期の頃。 おおかたの老人施設では、面会は全面的に禁止というような状態が続いていたが、特別に、玄関先で、週に3回ほど、短時間という条件付きではあるが、面会を許可していただけた。 母の年齢や、私たちの家

          母とのお別れ そしてそのあとの私 part 1