K.Narita

私は29歳の冬にやっちゃばの世界に足を踏み入れ、採用先には野菜博士が!未知の野菜に30…

K.Narita

私は29歳の冬にやっちゃばの世界に足を踏み入れ、採用先には野菜博士が!未知の野菜に30年以上関わり、日本に新野菜を広めた野菜博士の一代記を綴ります。

最近の記事

やっちゃば一代記 思い出(30)

大木健二の洋菜ものがたり  ずんぐりもっくりの逞しさ失せる! マッシュルーム  フランスではシャンピニオン、日本ではつくり茸または馬糞茸と呼ばれています。和名はおよそ飾り気がありませんが、栽培が人工的かつ馬糞を必要とする点で、こちらの方が生産実態に即した呼び方と言えるでしょう。  日本で種菌を用いる栽培に初めて成功したのが大正11年です。 森本彦三郎というキノコつくりの名人によって生産方法が確立されましたが本格的な生産、販売は戦後になってからです。その戦後マッシュルーム産業の

    • やっちゃば一代記 思い出(29)

      大木健二の洋菜ものがたり  男心くすぐる?ニューフェイス プティ・ベール  芽キャベツとケールを交配してできた純国産の新野菜ですね。 1991年11月に産声を上げて以来、消滅寸前の芽キャベツに代わり、サラダや肉料理の付け合せとして定着しました。ただし、産地の移り変わりは激しいようです。最初は茨城、北海道、千葉県成田、浜松、磐田と移動し、長崎県唐津からも出荷がありました。  芽キャベツの生産量が全国一多かったのは静岡県磐田市でした。このままではいずれ消えたしまう、という危機感を

      • やっちゃば一代記 思い出(28)

        大木健二の洋菜ものがたり  チーズとワインにピッタリ 生食ソラマメ(ファーべ)  在来のソラマメは16世紀に渡来し、いまや和食の膳、ビールのおつまみとして欠かせませんが、生で食べる習慣はありませんでしたね。  生食用は私が1991年にイタリアから取り寄せた種をソラマメの大産地鹿児島は指宿の生産者に委託して3年間栽培してもらいました。その後、栽培を中断した鹿児島県の他に適地はないかと、当たりをつけていたところ、 1994年の秋、当時の東京築地青果の高橋勝男専務の紹介で、千葉県の

        • やっちゃば一代記 思い出(27)

          大木健二の洋菜ものがたり  命綱つないで採取 クレソン  戦前、三国園という関東屈指の生産者、というより採取家がいました。 唐草模様の風呂敷に柳行李(やなぎこおり)を担いで、わたしが奉公していた持倉と梅村屋、持丸(すべて卸売業者) の三店をよく訪れてきました。店頭で必ず「おたの申します。」と挨拶する腰の低い人でしたが、クレソンの採る方法を聞くや、たまげました。採取場は多摩川の是政付近(現府中市)で、まだ河川が整備されていない時代ですから、かなりの難所です。 奥さんが握る命綱を

        やっちゃば一代記 思い出(30)

          やっちゃば一代記 思い出(26)

          大木健二の洋菜ものがたり  玉レタスの攻勢でじり貧?! ローメインレタス  戦前、レタスといえばチシャ系のローメインレタスの琴でした。産地の八丈島から週一回、船便だけの入荷で、思惑買いの対象にもされました。海がシケると一気に品薄高となるので、市場の業者はお天気の加減を見ながら、冷蔵庫にしまって置きます。それで儲けたり、損したりしていたわけです。 また、当時の八丈島ではセロリ、パパイヤも作っていました。セロリは米国コーネル大学が育種した「コーネル619」が先駆けです。これを昭和

          やっちゃば一代記 思い出(26)

          やっちゃば一代記 思い出(25)

          大木健二の洋菜ものがたり  パリっ子の生活に浸透 パリジャンキャロット 名前も歴史もユニークなニンジンです。資料をひも解いてみるに、フランスの古(いにしえ)の家庭生活まで透かし見えてきます。 1390年、グッドマンという紳士が新婚家庭の奥さん向けに、家政に関わる書物を著わしています。グッドマンは蚤(のみ)の撃退法から、夫をベットに迎える方法まで、微に入り細をうがつ解説をしていますが、ニンジンについても言及し、市場での買い方として『丸いピンポン玉のような赤い根っ子のニンジンが良

          やっちゃば一代記 思い出(25)

          やっちゃば一代記 思い出(24)

          大木健二の洋菜ものがたり  戦時の配給物資 トッピーナンポ(キクイモ)  中国から復員(昭和21年)、市場に戻って間もない頃のことです。店の前を通りかかった人が「あれ!、憾み骨髄のキクイモ(トッピーナンポの和名) があるよ!。」と懐かしそうに近寄ってきました。戦時中、キクイモは配給物資として長野県などで大々的に栽培されていました。中国に5年間赴任していた私は、その頃の日本の食糧事情が良く分からないままに、たまたま通りかかった人から、戦争にまつわるキクイモのことを聞かされたので

          やっちゃば一代記 思い出(24)

          やっちゃば一代記 思い出(23)

          大木健二の洋菜ものがたり  なぜか細めは不人気 レホール  網走の小高い山に登った時、道端に野生のレホールがびっしり生えていました。北海道では、タコの足みたいになったレホールをすりおろし、醬油と合わせて、ご飯にかけて食べるそうです。ただし、栽培種はもっぱら粉ワサビの原料となり、生鮮品としては北海道以外への出荷はありませんでした。 それにしても、寿司や刺し身に使う本ワサビとはまったく違う品種なのに、 【粉ワサビ】という呼び名はいかがなものでしょうか?。消費者を紛らわすことになら

          やっちゃば一代記 思い出(23)

          やっちゃば一代記 思い出(22)

          大木健二の洋菜ものがたり  普及の芽を摘まれる 芽キャベツ  大正末期から昭和の半ば(三十年代)まで青み野菜といえば芽キャベツでしたが、いまは絹サヤやインゲン豆にその座を明け渡し、消えかかっています 落ち込んだ原因は明白です。栽培に手間がかかりすぎることと、調理が難しかったことです。  芽キャベツは草丈が1メートルから1メートル半に伸び、その茎に40個から50個の芽がつく形で生育します。生産者は下から順繰りに摘み取っていくのですが、出荷にちょうど良いサイズの芽キャベツを穫るに

          やっちゃば一代記 思い出(22)

          やっちゃば一代記 思い出(21)

          大木健二の洋菜ものがたり  トレビッツの犠牲に! 湘南レッド  東京オリンピックのちょっと前の昭和37、8年でした。築地市場の卸売会社や小売商組合の関係者と、神奈川県農政部、生産者ら50人前後が丸の内のとあるレストランに集まりました。「赤タマネギ」の試食を兼ねた販売促進会議が開かれたのです。赤いタマネギは当時は非常に珍しく、わたしたちも強い関心を持っていました。大玉から小玉まで、茹でたり、煮たりした料理が出され、結局、大玉を生食用として生産、販売していこう、という事でした。オ

          やっちゃば一代記 思い出(21)

          やっちゃば一代記 思い出(20)

          大木健二の洋菜ものがたり  ヨーロッパの山菜 アスペルジュ・ソバージュ  アスパラガスの野生種です。原産国のヨーロッパでは、野山で採集されたものが種です。出荷されます。時期になると、イタリアでは大束、小束様々な荷姿のアスパラソバージュで市場は所狭しの趣きとなります。さしずめ日本ならワラビのような山菜です。つくしんぼうに似た形で、茎から上はすべて食べられます。イタリアでは、大束は買ったその場で茎を少し切り落としてもらいます。当時の値段として一束が150円程度ですから、大衆的な山

          やっちゃば一代記 思い出(20)

          やっちゃば一代記 思い出(19)

          大木健二の洋菜ものがたり  元祖、激辛野菜 マスタードグリーン 口が曲がるくらい辛く、文字通りマスタードそのものといった野菜です。 サラダ、漬け物、サンドイッチに使われ、独特の風味を楽しむにはやはり サラダにしてフレッシュで食べること。ただ、熱をかけると辛みが飛んでしまうので、夏は氷を敷いた容器で出荷されています。 派手に売れてはいませんが、需要は安定していると思います。 かつて、マスタードグリーンの仲間のザーサイを見たくて中国の四川省に出かけたことがあります。長年、焦がれて

          やっちゃば一代記 思い出(19)

          やっちゃば一代記 思い出(18)

          大木健二の洋菜ものがたり  市民権取れません 食用タンポポ  新しい野菜、珍しい野菜なら私のところに必ずある、と周りから見られていたものだから、あまり儲からない野菜でもついつい揃えてしまっていました。食用タンポポもそんな野菜のひとつでした。わたし流にいうと、いまだに市民権を取れていません。築地時代に取り扱っているたのは一軒か二軒ぐらい。イギリスでは古くはピサンり(おねしょの意味)と呼ばれていました。 その意味から分かるように、あまり愛着を持たれていなかったらしいですね。一方、

          やっちゃば一代記 思い出(18)

          やっちゃば一代記 思い出(17)

          大木健二の洋菜ものがたり  薬草か、野菜か? フェンネル  野菜というより薬草のイメージが強く、日本の消費は今一つ伸びません。イタリアのシチリアでは時期になると、野山の至る所に原生種が百花繚乱。 家庭では煮込みやサラダの隠し味としてよく使われています。  日本では食用として注目されたのは進駐軍が駐留した頃の第一次洋菜ブームからです。当時は房州(千葉県)の農家が葉をつけたまま出荷していましたが、独特の香りはあっても食味や形が本場のイタリア産にはほど遠く、今では国内産は夏場の長野

          やっちゃば一代記 思い出(17)

          やっちゃば一代記 思い出(16)

          大木健二の洋菜ものがたり  ムスクラン 水耕栽培で活路が  いわば七草の西洋版です。 スカロール、レタス、トレビッツ、タンポポ、エンダイブ、ルッコラ、セルフィーユまたはマーシュを加えたサラダ用野菜の総称を指します。 イタリアでは北部のリグリア地方で1860年代に栽培されて以来のものですが 【ミステカンツァ】の愛称で大衆化しました。一方、フランスでは高級野菜として広まり、1981年2月ニースの野菜管理局が〔ムスクラン〕の呼称を正式に認証、市民権を与えたのです。国境ひとつで、野菜

          やっちゃば一代記 思い出(16)

          やっちゃば一代記 思い出(15)

          大木健二の洋菜ものがたり  除草剤で夢も消える オゼイユ 俗にいう「スカンポ」で、本物の野菜と言えるようになったのは1980年代、全国に自生しているスカンポを折あるごとに齧って歩きましたが、日本ではヨーロッパ産に匹敵するような特有の酸味を持つものにお目にかかれません。国産は抽苔(ちゅうたい)した茎のところに酸味が付くだけですが、ヨーロッパ産は葉にも酸味が行き渡り、サラダにすると絶妙の味を出します。 終戦直後から特定の愛好家だけに珍重されているので、一般に普及するまでには至って

          やっちゃば一代記 思い出(15)