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歌姫残像

 もとより、パンとサーカス、現代風なら、さしずめ、スイーツに動画であろうか。
 サーカスも色々と分岐し、スポーツ、格闘技、テレビ、音楽、映画、演劇、SNSと広がり続けている。
 
 ポップスとはポピュラー・ミュージック(大衆音楽)とやらの略と思うが、歌謡曲、演歌も最新のあれやこれやもひっくるめての総称である。
 演歌は、高度成長期に開花した分野である。負け組(支配層を構成しない多くの人々をいう。)に与えられるサーカスの一典型である。
 負け組の不平不満、怨念、呪詛の声を掻き消すために、これを慰撫、慰謝し、ふたたび労働力として資本に組み入れるために、日々消費される。
 通常は、ダメ男を支える健気な女、いい加減な男にいいようにして捨てられる女、男の飛躍を希う女の役回りが多い。ときに、怨嗟の声しきり、うらみ、つらみを吐露して、すっきりするパターンも常套的だ。
 それでも、人々は、年に一度の祭り(都市では、祭りは常態化し、非日常を再現できない)では満足できず、わずか数分でも一日の終わりまでには慰安を、癒しを求めてやまない。苛烈な労働環境に縛られた償いのようなものを急速に求めているのだ。
 
 こうして、百万、千万の人が泣き、笑い、さざめき、大ヒット作が生まれ、時代を刻印する。そうした、仕掛けが、数十年後も機能し、かつてありしものと思われる自身の青春を想起し、あの曲とともに己の加齢の有様に涙している。ものの哀れな一介の労働者が、数々の苦難を経て、生き延びて、今ここにある、そのイデアルタイプとして。
 一片の真実にすら触れない歌ならば、生き残ることはなかっただろう。
 人によって作られたものが生き残るとは、そこになにがしかの訴えるもの、真実の力があるからであろう。
 
 
 

 

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