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【47エディターズ】能登地震からウクライナ侵攻までデスクが語る!今知っておきたい注目ニュースも

共同通信では、注目ニュースの背景や、知られていなかった秘話、身の回りの素朴な疑問などを深掘りしたインターネット向けの記事「47リポーターズ」を随時配信しています。

当コーナー【47エディターズ】では、現場の記者が書いた記事の最初の読者であり、その狙いや内容を精査し、時に議論を交わして編集を重ねたデスクが、3月に出した47リポーターズ計19本を2回に分けてご紹介します。


■ 「普通の家族に戻る。それだけで2年もかかった」ウクライナ避難民のダンサーが語る「祖国が戦場になる」ということ

ロシアによるウクライナ侵攻から2年を機に、徳島支局の別宮裕智記者が、徳島でサーカスのダンサーとして踊っていたウクライナ避難民イリナ・ボロンケビッチさん(31)に取材しました。

イリナさんは2年前、夫から「起きろ、起きろ、戦争が始まった」と起こされたといいます。1歳の男児を抱える家族は、そこからどうしたのか…。戦争という不条理・不正義は、こうして市民一人一人の身に降りかかるということが分かります。(角南)

■ 海底の坑道には、今も183人の遺体が閉じ込められている…82年たっても政府が調査に後ろ向きな理由 山口「長生炭鉱」の犠牲者と、戦没者との差

現在進行形のウクライナでの戦争とは違い、太平洋戦争は既に終わった過去の戦争と思われがちです。しかし、戦争に巻き込まれた人々にとっては、不正義がただされない限り、終わりはありません。
山口支局の丹伊田杏花記者は、戦時動員された朝鮮人136人が今も海底に沈んだままの問題を取り上げました。

韓国人遺族や、山口の市民団体は「遺骨を引き揚げる調査をしてほしい」と日本政府に詰め寄ります。しかし、政府の答えは「見えない遺骨は調査が難しい」との回答。政府は硫黄島や南洋で「見えない戦没者遺骨」を調査しているはずなのに、なぜ…。難しいテーマの記事ですが、かなり多くの人に読まれました。
遺族にとって、戦争はまだ終わっていないということがよく分かります。(角南)

■ 「生涯をかけ、入所者の生きた証しを伝えたい」歌手・沢知恵さんとハンセン病療養所の30年 瀬戸内海の小島に歌声響かせ

高松支局の吉田梨乃記者は、高松市にある国立ハンセン病療養所「大島青松園」に通い、取材を続けています。今回は、歌手の沢知恵さんの半生を追いながら、沢さんを通してハンセン病の問題を掘り下げました。しなやかな歌声が、生き方や行動にも表れている感じがしました。

ここにも、ハンセン病患者や回復者を、根拠なく隔離し続けたという不正義があります。私たちメディアの仕事は、こうした不正義を忘れ去られないよう、こつこつ掘り起こしていくことだと思います。(角南)

■ 自転車より遅い超赤字「JR芸備線」は残すべき?廃止?…乗って考えた 「ここで暮らせるのか」嘆く住民、初協議の行方は

広島支局の本間優大記者が、存廃が取りざたされているJR芸備線に乗り、沿線で取材し、ルポを書きました。過疎であっても、人は住んでいる。学校に通い、仕事をしている人たちがいる。そんな人たちの声を、今後の議論にきちんと取り込んでほしいという思いが伝わる記事です。

リニアや新幹線が話題の上る一方で、全国各地で赤字路線の存廃が議論されています。金を稼ぐ路線と、赤字路線。この関係をどうするのかを考えるとき、やはり沿線住民の声は大切です。(角南)

■ 「こんなこと許されるの?」調査委員会が認定した「いじめ」は裁判で一転否定、どん底に突き落とされた母親の怒り 命を絶った娘のために闘い続けた11年

奈良支局から昨年仙台支社編集部へ異動した酒井由人記者の記事です。

私も中学生時代にいじめられたことがありました。その時の悲しく、つらい気持ちは今でも忘れられません。今、親になり、自分の子どもがいじめられているとしたら…。胸が苦しくなります。いじめというのは驚くほど身近で、そして想像以上に残酷です。このニュースを読んだ人が、一瞬でもその思いを共有していただけたとすれば、とてもありがたいことだと思います。悲しい思いをする人が、1人でも少なくなってくれればと願ってやみません。(清田)

■ 「この現実を知って欲しい」能登を一歩離れると「普通」に暮らせる罪悪感 現地出身記者が思い返した美しい風景と〝語り部〟の言葉

能登出身山﨑祥奈記者(秋田支局)の被災地ルポです。
1月1日の地震発生以降、全国から記者が能登に応援に入っています。被災地での取材を通して感じたことをnoteに書きませんか? そう呼びかけたところ、大津の岡田篤弘記者富山の西尾陸記者、秋田の山﨑記者がそれぞれ異なる立場から見た被災地を伝えたいと手を挙げてくれました。

編集の過程で、自らの生まれ育った地の美しさを忘れないでほしい、という思いが詰まった山﨑さんのルポが47リポーターズになりました。

災害が多い日本列島の新聞記者は、誰もが被災地取材を経験することになります。初めて被災地に足を踏み入れ、地元の方々に話を聞いたときのことをいつまでも胸に止めて長く寄り添い、取材を続ける。それが、再び来る大災害に備えるための報道につながるのだと思っています。(中田)

noteには岡田記者、西尾記者のルポも。読んでいただければ、幸いです。

■ 真っ暗闇の被災地に、全壊した書店の看板だけ明かりがついていた…なぜ? 83歳店主が込めた、ある決意 「がれきの下に今も1万冊が埋もれている」

惨敗でした。

能登半島地震の被災者が今回の災害をどう受け止め、どのように立ち向かおうとしているかを、被災地での取材を踏まえて紹介しました。書店が全壊したにもかかわらず、被災翌日には再開に向けて動き始めた店主のストーリーです。書いてくれた記者の記事も、撮った写真も、多くの読者にきっと届くと思える内容でした。

残念ながら、ほとんど読まれませんでした…。

加盟社の紙面向けに配信した記事は、地元・北國新聞も含めて大きく取り上げられました。以下のリンクではその一部をお読みいただけます。

無料公開のタイミングが3.11に近すぎて、能登の話題が埋没してしまったのか、見出しが目を引くものになっていなくてクリックしたいと思ってもらえなかったか、あるいはそれ以外に理由があったのか。いずれにしても、エディターである私の力不足で、玉稿をむざむざ「討ち死に」させてしまいました。

筆者の森脇江介記者は、写真がとにかく上手なんです。店主・八木さんの笑顔も、とっても素敵です。この欄にお目通しいただいた皆さんには、写真だけでもご覧いただけたらありがたく思います。

ちなみに森脇記者は3月からケニア・ナイロビ支局長に着任しました。アフリカから加盟社の紙面向けに、これから素敵な写真がたくさん届くと思います。(関)

■ 「とても孤独」なクジラのオスが、またしても大阪湾に迷い込んだ 温暖化や港の構造だけじゃない、その切ない理由

二匹目のどじょうはそうそういない、と思い知らされました。

大阪湾のクジラといえば、昨年1月に淀川河口に迷い込んだ末に死んだ「淀ちゃん」が記憶に新しいのではないかと思います。河口部での動静が連日テレビで伝えられ、死後、和歌山県沖に沈められた際も民放各局が生中継するほどでした。その一部始終を振り返った47リポーターズを昨年2月に出したところ、多くの方の目に触れることとなりました。

今年もまた、クジラが大阪湾にやってきました。淀ちゃんと同じ、マッコウクジラのオスでした。なぜこうもクジラが迷い込むのか。2025年大阪・関西万博をはじめ、多くの取材テーマを抱える大阪社会部行政担当の伊藤怜奈記者が、専門家への取材でその謎を解き明かそうとした読み物です。

新聞向けの配信記事では書ききれなかった「へえ、そうなんだ」のエピソードを盛り込んでいます

「動物ものだし、秘話もあるし、これは去年に続いて読まれるに違いない」と皮算用していましたが、ネットの世界は甘くありませんでした。反応が全くなかった、というほどではなかったものの、前回に比べると少し寂しい結果に終わりました。これもエディターの打ち出し方に問題があったと反省しています。

地球温暖化の影響で、クジラだけでなくイルカや他の動物も、これまで見られなかった場所に迷い込むケースが増えているのだそうです。次にクジラのニュースに接した時に役立つ、かもしれない分析を伊藤記者がふんだんに盛り込んでくれましたので、こちらもお目通しいただけたら嬉しく思います。(関)

■ 後藤田知事も激怒、高校生に配備のタブレット「3年もたず半数超が故障」の異常 後手に回る教育委員会、中国メーカーからは返答なし

徳島県の全県立高校に「1人1台」配られたタブレット端末1万6500台のうち、半数以上が故障し、生徒の学習環境に支障が出ています。タブレットは国内の学校現場ではほとんど使われていない中国の新興メーカー製で、主にバッテリーの膨脹が原因です。夏場の酷暑によるものなのか、製品そのものが不良品だったのかー。徳島支局の別宮裕智記者が背景を取材し、記事を書きました。一見、地域ニュースですが、ネット上の反響は大きく、非常に多くの人に読まれました。その後も、ごたごたは続いています。タブレットを納入した業者は「学校の保管環境が要因」との調査結果を公表。これに対し、後藤田正純知事は「あり得ない」と反発しています。果たして真相はー。続報に期待します。(楠本)

■ 時価総額10兆円を突破した任天堂、ファミコン誕生40年にマリオ映画も大ヒット 気になる後継機は?ゲームに迫る「スマホ対応」にどう向き合うのか

大阪経済部の小林笙子、木村遼太郎記者の記事です。

デスクの私はまさにファミコン世代。40年前(小学校1年生だったか)、おねだりして買ってもらったファミコンは今でよく覚えています。ちなみに、コントローラーのA、Bボタンは丸形と認識されてますが、初期は四角型だったと記憶してます。ファミコンがヒットすると「花札やトランプを作っていた任天堂が」と驚く声があったと思います。確か、亡くなった祖父(ファミコンを買ってくれた人)もそんなことを言ってました。

時はたち、ファミコン発のマリオは世界的人気キャラクターとなり、任天堂は日本を代表するグローバル企業に成長しました。3月、単身赴任中の私は妻と子どもを大阪に呼び寄せ、USJでニンテンドーワールドに。

昔は「ゲームメーカー」の社会的存在感は低かったと思います。日本企業が国際的な競争力を失っていると指摘される今、成長を続けた任天堂のすごさを担当の小林記者がまとめました。この記事でそんなことを感じていただければと思います。(久保田)

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