ウオールデン

絶望に沈みことなく、新しい地平を拓くために、ともにこの時代をいきる有名無名の人たちに、…

ウオールデン

絶望に沈みことなく、新しい地平を拓くために、ともにこの時代をいきる有名無名の人たちに、さらにその時代を生きた過去の人々や、やがて出現する未来の人たちに手紙を書くことにした。

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  • エッセイ

    新しい文芸の波を生起させんと。

  • 目を覚ませと呼ぶ声が聞こえ

    渋谷 降りしきる雪の中を 連帯旗を掲げた一隊が 新しい国の建国を目指して旅立っていった。

  • 人文学

  • ゼームス坂物語

  • 実朝と公暁

    実朝と公暁。歴史小説。

最近の記事

真田広之さんへの手紙 1 

1999年 冬 役者真田広之はいつものように ロンドンの町を走っていた。 なぜ自分は、今、ロンドンにいるんだろう。 真田は今でも不思議に思うことがある。 日本の映画界ではすでに 主役を張り続けていた男が、 一転発起して ロイヤル・シェクスピア・カンパニーのリア王に 参加してすでに半年。 保守的なイギリス演劇界に身を投じ、 もがき、悩み、変わろうと努力する月日、 いわばそれは積み上げてきた彼のキャリアを、 ゼロに戻す冒険だった。 失敗すればこれまでの栄光を 一気に失うかもしれな

    • 目を覚ませと呼ぶ声が聞こえ 第10章

          第10章   その日曜日、令子と渋谷の《テミーローラサン》で落ち合うことになっていた。ぼくがその店で待っていると、令子は都会生活社に出入りしているフリーライターの須埼とカメラマンの稲垣を連れて入ってきた。すっかり葉狩たちの活動に魅せられた令子は、その活動をずうっと追いかけようとしていたのだ。  テーブルに座るなり葉狩たちの話になった。令子はいつにもまして饒舌に彼らの活動を語るのだ。それはなにか心に秘めた愛人を語るような熱っぽさなのだ。 「彼はひょっとするとペテン師

      • 小宮山量平さんに送った最後の手紙

         小宮山さんへの手紙は、いつも挑戦といったレターになってしまうのは、小宮山さんがさらなる剛球を投げ返してくるからであって、いままた「千曲川」の第五部に着手した、その副題は「希望」となるであろうという剛速球が投げ返されてきた。これこそ私が小宮山さんに挑戦していたことであり、昨年の暮れに届いたこの便りに、私は再び挑戦の手紙をしたためることになる。 「千曲川」第四部が刊行されたとき、安曇野の絵本美術館「森のおうち」で、その上梓を祝う集いがもたれたが、誰もがその営為を祝福するなか

        • 七日間のキャンプ

          七日間のキャンプ  冬休みに入ると、樫の木子供団は、草津で二泊三日のソリすべり合宿をおこなった。はじめての合宿生活だったが、その活動もずいぶん盛り上がって、これで完全に子供団の土台がつくられたように思えた。ところが三学期がはじまった最初の活動日に、泰彦と守と徹也が子供団をやめたいと言ってきたのだった。八人になっていた団員の三人がやめるという。なにやらそれは親の命令であり、しかも親同士が話しあっての連携であり、どう説得しても無駄のようだった。弘はがっくりしてしまった。 「まっ

        真田広之さんへの手紙 1 

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          22本
        • 実朝と公暁
          32本
        • 竹取物語
          17本

        記事

          小宮山量平さんに送った最初の手紙

           やがて現われる大きな日本の物語  このところ「草の葉」は、言葉の果実の贈呈をしばしば受ける。そんななか小宮山量平さんの『昭和時代落穂拾い』(週刊上田新聞社発行)が送られてきた。まさに黄金の果実である。「回帰の時代によせて」という副題がついている。長野県上田市で発行されている「週刊上田」に連載していたコラムを一冊に編集して上梓したのだが、上田は小宮山さんの郷里であった。ここで太郎山塾という、いわば人生の学びの塾を主宰してもいる小宮山さんの輪郭を「草の葉」で特集することにする

          小宮山量平さんに送った最初の手紙

          実朝と公暁  六の章

          実朝は殺された。しかし彼の詩魂は、自分は自殺したのだと言うかもしれない。 ──小林秀雄  源実朝は健保七年(一二一九年)正月二十七日に鶴岡八幡宮の社頭で暗殺された。この事件の謎は深い。フィクションで歴史を描くことを禁じられている歴史家たちにとっても、この事件はいたく想像力をかきたてられるのか、その謎を暴こうと少ない資料を駆使して推論を組み立てる。しかしそれらの論がさらに謎を深めるといったありさまなのだ。それもこれも、実朝を暗殺した公暁がいかなる人物であったかを照射する歴史資

          実朝と公暁  六の章

          目を覚ませと呼ぶ声が聞こえ 第9章

               第9章     外は雨だった。毎日のように雨が降り続いた。その日の昼下がり《バオバブ》の窓際のテーブルに座り、手紙を書いていた。コンコンと窓ガラスが叩かれる音に目を上げると、赤い傘をさした令子がおもてに立っていて、そこにいってもいいという仕種をした。ぼくはこいよと手招きした。 「まったく、よく降るわね」 「梅雨がやってきたみたいだな」 「なにやら都会生活の心象風景という感じがしない?」  都会生活社は、危険な傾斜をさらに深めているようにみえた。さすがにまだぼくら

          目を覚ませと呼ぶ声が聞こえ 第9章

          旅立ちの日に 能登半島の卒業生たちに

          すごく素敵でした。思わず涙ぐんでしまいました。 素敵なピアノ伴奏と歌声をありがとうございました。 そして、卒業生のみんながそれぞれの道で輝いておられることをせつに願います。 75歳の爺さんです! 何故か涙が止まらない!  感動の歌です! 貴方方の未来が充実したものでありますように。 うちの子どもも卒業しました。歌声と青春を楽しむ若者達に胸が熱くなりました。 ご卒業、心からおめでとうございます。 まるでドラマのワンシーンのよう…感動して涙が溢れました。 我が子も先日大学を

          旅立ちの日に 能登半島の卒業生たちに

          能登半島地震  5

          平安時代末期、平清盛によって栄華を極めた平家は、文治元年(1185)壇ノ浦の合戦で源義経率いる源氏軍勢に破れ、この時、平家団結の象徴であった安徳天皇は御歳八歳で二位の尼に抱かれ入水する。平家方生存者の殆どは、鎌倉幕府の厳しい追求の中、離散の生活を始めた。 生存者中最高重臣であった平大納言時忠は、源義経との約束により能登の地へ配流され、文治五年二月二十四日この地で没す。 当家の初代は文治元年(1185)、能登に配流された平大納言時忠。時忠の子、時国の代より当地で農耕を営み、時

          能登半島地震  5

          能登半島地震   4

          何というか、ほとんど清々しいくらいに見えるこの方の語り口に逆に心が痛みます。元のように漁のできる穏やかな暮らしに戻られることを心から祈ります。少しずつですが復興支援の募金をしていきます。 港を作り直すしかないだろう。費用も時間もかかるが、諦めたら終わりだ。 素敵なおじいさんだな、地元を愛する気持ちすごい伝わる、ほんとに切ない。 被災者も、役所の人も、土木の人も、水道局の人もボランティアの人たちもみんな、すごく頑張ってて、映像見てても涙が出てくるけど、首相と知事が話す言葉は

          能登半島地震   4

          能登半島地震   3

          360度の大画面、この大惨事、ただ言葉がない。 コメントなしでひたすら歩いて取材撮影をするマスコミがほとんどなので貴重な映像ですね。足音と鳥の鳴き声くらいしかしない閑散とした様子に被災地の時の止まった寒さ感じられます。テレビはこういう静かな報道をせずにスタジオで騒いでいるように思えます。 個人でこんな動画をアップしている人もいますが、人員のいる報道機関にこんな冷静な報道をもっとしてほしいです。 去年の芸術祭の時に起こらなくてホントに良かった。 これからも報道続けてくださ

          能登半島地震   3

          能登半島地震 2

          能登半から三か月 家族を亡くした出口彌祐さん どうにもならないね 家はいくらつぶれてもいいけど 命はもとに戻らないからね そういう意味じゃ つらいなという気はしますよ 元旦の地震で裏山が崩壊、自宅が押しつぶされて長年連れ添った妻と長男の命が奪われました。二人と出口さんをつなぐのは千枚田の存在です。 長いことやってきたから 生きがいにもなっていて 私としてもね 家内や長男の気持ちの中にも 千枚田は生きていると思うんで それをしょって少しでも頑張ってみようと 輪島

          能登半島地震 2

          能登半島地震 1  

          皆がびっくりするような町を作って、待っとるし 平野敏 みなさん、卒業おめでとうございます。 大切な方を亡くした方もいます。大事なものを燃やしてしまったり、失くしてしまったり。先生も、スーツとか、全部なくなって、一月一日からずっと一緒の服で過ごしていました。でもね、この服、今年の入学式が終わったあとずっと校長室に置きっぱなしだったんですよ。なので、今日はきちんとした格好で、みんなの卒業をお祝いすることができます。 みんなは中学のときにコロナで、そしてその後、高校に入ってきて

          能登半島地震 1  

          雨の遠征

          「あなた……」  とつい口をついて出かかるときがある。しかし空っぽの部屋にただよっているのは、ひんやりとした空気だけだった。邦彦は家を出ていったのだ。二人を残して。自分の心を整理して邦彦と笑って別れたはずなのに、智子はいまでも彼の影を追っていた。新婚生活のなんと甘かったことだろう。アメリカでの生活は楽しかった。あんなに愛しあっていたのに。彼女のなかに甘く懐かしい思い出が、なにか胸をしめつけるようによみがえってくる。  邦彦を憎もうとした。彼は若い女性と恋に落ち、裏切っていった

          実朝と公暁  五の章

          実朝は殺された。しかし彼の詩魂は、自分は自殺したのだと言うかもしれない。 ──小林秀雄  源実朝は健保七年(一二一九年)正月二十七日に鶴岡八幡宮の社頭で暗殺された。この事件の謎は深い。フィクションで歴史を描くことを禁じられている歴史家たちにとっても、この事件はいたく想像力をかきたてられるのか、その謎を暴こうと少ない資料を駆使して推論を組み立てる。しかしそれらの論がさらに謎を深めるといったありさまなのだ。それもこれも、実朝を暗殺した公暁がいかなる人物であったかを照射する歴史資

          実朝と公暁  五の章

          竹取村のかぐや姫  七の章

          七の章   石作皇子  かぐや姫に求婚した五人の皇子も、とうとう残るは一人になってしまった。五人のなかで一番地位の低い皇子であったが、しかし頭のきれるロマンにあふれた石作皇子(いしづくりのおうじ)が。いったいこの最後の皇子はどうなったのだろうか。  この皇子も姫の館からもどると、身辺の整理をし、自分が不在の間にもその役目が勤まるよう重々に備え、四人の従臣たちをひきつれて海路太宰府にむかった。その当時、外国との貿易の最大の拠点が太宰府だったからだが、幸運なことに皇子の一行

          竹取村のかぐや姫  七の章