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仙の道 25

第十章・活(2)


「やれやれ、うちん奴が近々四代様が帰って来なはるっちゅうばってん、いつ来なはってもお迎えば出るよう、毎日装束ば着て待っとりました。寿詞よごともしっかり忘れとるし…肩は凝るし…いやあ…ほんなこつ、たいがいきつかったとですばい。はは……ま、こいで安心しましたばい。うちん奴が腕によりばかけて作りますけん、四代様も皆さんも今夜はゆっくりくつろぎなはってはいよ」征夫は肩の荷を下ろして晴れ晴れした表情だった。

「さっきのあれは…よごと、って言うんですか?」礼司が興味深げに訊いた。
「はい。寿詞ですたい。祝詞のりとは上から下へ、寿詞は下から上に申し上げる言霊ことだまですたい。儂等の業界では、言霊は物と同じように大切なものですけん、もてなしみたいなもんですな…ははは…」


夕方も早い時刻から中山家での夕餉が始まった。
山女魚、田楽、厚揚、山菜、辛子蓮根、馬刺…
卓上には春江が用意した阿蘇の郷土料理が並び、地酒が振舞われたが、勿論昌美は酒には一切手を付けなかった。
宮司の征夫とその妻春江は素朴で気さくな気の良い夫婦だった。
手料理の美味しさは勿論の事、この地を初めて訪れた礼司や戸枝にとって、夕焼けに映える阿蘇五岳を眺めながら、征夫から淡々と語られるここに暮らす人々の山や水への深い信仰の話は心に染み入る様だった。
ひとしきり気心が知れると、昌美と葉月は台所に入り込み、早速春江から郷土の手料理の手解きを受け始めていた。

礼司は成人以来初めて酒を口にした。飯場でもたまに付き合いでビール1杯程度の経験はあったが、療養中の母の事や周囲のいざこざを考えると、今一つ飲酒には興味を持てなかったのだ。

「五代さん、こん酒はすっきり飲めるけん、どがん飲んでも悪酔いばせんですよ」礼司は征夫に勧められるまま次々に杯を重ねた。
地酒は思った以上に旨かった…アルコールが体内に浸潤してゆく…血管が広がり血流量が増えてゆく…身体がほんのりと温まるのは感じたが、いくら杯を重ねてもそれ以上の事は起きなかった…

「はは…礼ちゃん…いくら飲んでも、俺たちゃ酔うことはねえんだぜ…その辺でやめとけよ。そんな飲み方しちゃあ、折角の酒がもったいねえや」善蔵が急ピッチに杯を空ける礼司を窘めた。

「そうか…そうなんだ…」礼司は少しがっかりして杯を置いた。母の昌美を含め酒に酔う人達の気持ちを自分には測り知ることが出来ないことが分かると、寂しい気持ちは抑えられなかった。

それとは対照的に、礼司の隣で戸枝は酔った勢いを借りて今まで自分が言い出せずに抱えた疑問を善蔵にぶつけていた。
「だってさ…ここの奥さんだって、葉月ちゃんだって、先生だって、それに、俺だって…佼龍だって言うんだろ?一体さ、佼龍って何なんだよう?俺、全然自覚ないぜ…ほら、酒にだって酔うしさ、風邪もひくし、虫にだって喰われるし…それに、ゼンさんや礼司くんみてえによ、長生きでもねえんだろう?葉月ちゃんみてえなテレパシーもねえしよ。ねえゼンさん、俺の一体どこが佼龍なんだよ?」
「なんだイサオ、お前え酔ったのか?」善蔵は苦笑いを浮かべた。
「そりゃあ、俺は酔ったよ。普通酒飲みゃあ酔うんだよ。ゼンさんみてえに智龍様じゃねえからな。でもよ、俺あ生まれも育ちもろくなもんじゃねえし、ヤクザとつるんで長い事金貸し稼業でよ、もういい加減足洗いてえと思ってたら、龍族の仲間だって言われてよ、すげえ嬉しかったんだよ。だけど、佼龍ったって何が出来んのかも分かんねえし、ああそうですかってこうやって阿蘇くんだりまでくっついて来てよ、一体どうすりゃいいのか分かんねえんだよ。なあゼンさん、何かちょっとでもいいからよ…教えてくれよ。佼龍って一体、何なんだよ?」
「はは…仕方ねえな…ま、お前えにも明日から修行して貰わねえとだからな、少し話しといてやるか…いいか?俺達龍族っていうのはよ、ある大きな力を宿してるんだ。それは分かってるよな?…で、その力はちょっとやそっとじゃねえ、とてつもなくでけえ力でな、人が宿すにゃあちとでか過ぎるんだ。それでだ、龍族はその力を宿すと同時に封じ込めてもいるんだ。力の中心になるのは智龍、つまり俺や礼ちゃんていうことだ。ある程度の事あ智龍1人でも出来るんだけどよ、とてもじゃねえがこのどでかい力は1人じゃ上手く操れねえ。本当にでかい力が必要な時にゃよ一度分散して宿した力を1つに集めなきゃなんねえ。力はどう分散されて、どう封印されてるか…そこで登場するのが浮龍と佼龍ってことだ。いいかい?一人の智龍に対して佼龍は4人浮龍が1人、6人でひと組ってことだな。力は智龍だけじゃあなくって、他の龍族それぞれにも宿ってるんだ。おいイサオ、お前えの中にもその力が宿ってるんだぜ。ただし、それは封印されてる。ま、貯金みてえなもんだな」
「じゃ、俺にもゼンさんや礼司くんみたいな力があるってこと?」
「まあそうなんだけどよ。無駄に使わねえように仕舞われてるんだよ。その力を引き出すのは智龍だ。貯金てなあ引き出すのに鍵や判子や暗証番号がいるだろ?俺がお前え等の中に付けた印はよ、その為のもんだ」
「え?俺にもその印ってのが付いてるの?」
「あ、そうか…お前えはまだガキだったからなあ…俺のアパートに遊びに来るようになった頃に印は刻んであるんだ。お前えは覚えてねえかも知れねえけどよ、いつか必ず大切な仕事をすることになるって話をした時だ」
「あ…覚えてる…親父がのたれ死んじまった時だ…」
隆三りゅうぞうか…懐かしいな…彼奴も俺の佼龍だった」
「ええっ?お、俺の親父も佼龍…?」
「隆三はよ、実はお前えの本当の父親じゃあねえんだ。お前えは母親の連れ子でな…2人はお前えのことがきっかけで夫婦になったようなもんだ。言ってみりゃ、龍族所縁ゆかりの家族ってことだな。でもよ、俺が暫く目え離してる間に、浅川の親父と一緒に無鉄砲やっちまってよ…2人とも下らねえやくざ同士の諍いで命落としちめえやがった…2人ともいい佼龍だったのによ…」
「えっ!そうか…先代の組長と親父は同じ出入りで死んだんだ…先代と同じ佼龍で、俺の本当の親父じゃなかったって…何でそんな大事な事、今まで言ってくれなかったんだよ?」
「お前えは…やんちゃでよ、負けん気が強くて、向こう見ずだったからな、自分が龍族の一人だなんてえこと知ったらよ、何しでかすか分かったもんじゃねえ。それでよ、俺が力は暫くそのまま封印しとくことにしたんだよ。本当にその力が必要になるまではな…」
「…それが…今、だってこと?」
「ま、そういうことだ。お前えも礼ちゃんと知り合ってから、随分落ち着いたようだしな。分かったかい?」
「でも…俺は…もう40過ぎだし…もっと早く分かってりゃあ、いろいろよ、もっとこうゼンさんの力になれたんじゃねえのかなあ?」
「まあ、龍族が一堂に集まってやらなきゃあならねえことなんてなあ、何十年に一度のことでしかねえんだよ。だから、全く自分の力を使わねえで一生を終わっちまう龍族だって珍しかあねえんだぜ。細けえことはよ、俺と浮龍、つまり御所さんとでちょいちょいとよ…それで済んじまうんだな」

「あの…僕も質問していいですか?」礼司が口を挟んだ。
「おう、いいぜ。何でも訊きな」
「えーと…佼龍っていう人達は、僕やゼンさんと違って寿命は長くないんですよね?」
「ああ、そら普通の人と同じだ…」
「浮龍がいつも1人いるっていうのは分かるけど…佼龍もいつも4人いるってことですか?それに、なんで4人なんですか?」
「いいか?俺達龍族に宿る力は、いつもおんなじ量なんだ。それが、分散されてるってことだ。一人の龍族の力が衰え始めると次の世代の龍族にその衰えた分の力が宿り始める…そして龍族が一人命を終えると、その全ての力が次の世代に引き継がれるってえ仕組みだ。礼ちゃん、俺とお前えもその関係なんだぜ。今智龍は俺とお前えの2人だけどよ、その力は2人で1人分ってことだな。で、何故佼龍が4人かっていうとだなあ…そら、言ってみりゃあ方位みてえなもんだ」
「方位…ですか?…」
「ああ、例えて言やあ東西南北だな」善蔵はそう言いながら卓上を指でなぞって図を描き始めた。
「ほら、四つの方位に佼龍…その中心の中空に浮龍…」
「あ、それ…ピラミッド…」
「本当だ…」

「分散した力を1つに集めんのによ、都合のいい仕組みってことだ。お前え達が仕組みを上手に造れるようになりゃあ、俺と礼ちゃんはどっからでも力を倍増出来るようになるってことだ」
「ここの春江さんとか葉月ちゃんは、もうそういうことが出来るんですか?」
「まだだな。佼龍の力を引き出さなきゃなんねえことはよ、ここ何十年もなかったからよ。おいらが初めてこの仕事をやったのは、ありゃあ天明の頃だ。浅間せんげんさんが火い吹きやがった後だな。前の智龍さんからやり方教わってよ…もうかれこれ200年以上前のことだ。それからは今までにほんの3回だけしかなかった…だからよ、これからやることはよ、俺達龍族にとっちゃあとんでもねえ大仕事ってことだ。覚悟してくれよ。ま、俺たちゃ元々その為にいるんだけどな」
「そうか…大体の事は分かった様な気がするんだけど…ゼンさんが言ってるその急がなきゃなんねえ俺達の大仕事って言うのは…一体何なの?」戸枝が訊ねる。
「俺達全員の力じゃねえと抑え切れねえ別の力が暴れ始めてんだよ。ま、お前えらにとっちゃ一生に一度あるかないかの大仕事だって事あ間違えねえ。明日からじっくり付き合って貰うからな。覚悟が肝心だぜ」

善蔵の説明に、礼司と戸枝が思わず緊張していると、台所から春江、昌美、葉月の3人がそれぞれ晩菜の支度を手に部屋に戻ってきた。

「はいはい、そろそろご飯にせんですか…」
「美味しそうよお。だご汁と高菜ご飯…あのね、春江さんがね、明日美味しいお米やお野菜、沢山くれるってさ」葉月がすっかり打ち解けた様子で顔を上気させていた。
「葉月ちゃん、さすがにお料理上手よ。あたしびっくりしちゃった。明日から2人で美味しいもの一杯作ってあげるからね」昌美も上機嫌だ。
「まあ、しっか召し上がんなはってください。明日からはちいときつかですもんなあ」それまで会話から一歩引き下がって酌の世話に徹していた宮司の征夫が口を開いた。
「そうだぜ、そろそろ酒はお仕舞えにして、明日からの鋭気を養わねえとな。たっぷりゴチになってよ、今夜は皆ゆっくり休ませてもらおうぜ。な…」

中山家を訪れた5人は、夫妻の温かいもてなしを受け、一夜の夕餉を大いに楽しんだ…


翌朝、5人は征夫と春江の先導で、神社から数キロ離れた阿蘇中岳中腹の庵を目指した…

観光用に整備された麓の国道からペンションや別荘地等多くの看板が掲げられた三差路を脇の山道へと入る…
曲がりくねった細い急な坂道を登る…
数々のペンションや別荘地を通り過ぎ、さらに上へ上へと登ってゆく…
ところどころにあった住宅も消え去り、ぶなや杉の木々が生い茂る深い林を抜けると、やがて目の前に国有地の牧野の広がりが見える…
その境となる場所にあるうっそうとした雑木林…征夫と春江の軽トラックがスピードを緩め、『八尺神社管理地』と書かれた小さな看板の脇道を林の中へと入ってゆく…
下草が奇麗に手入れされた雑木の奥に大振りの二階家が姿を現した。
善蔵が『ねぐら』と呼び、中山夫妻が『庵』と呼ぶからには、さぞかしとてつもなく古い農家のようなところなのだろうと礼司は勝手に想像していたが、意外やモダンで堅牢な建物で、一時代前の洋式の別荘といった佇まいだった。

「皆さんが暫くお住まいんなんなはるっちゅうことですけん、足らんもんばなかごつしときましたあ。ばってん何かあんなはったら、気兼せんで言うてください。すぐに用立てますけん」征夫が軽トラックに積み込んだ食材を降ろしながら言う。

渡された鍵で玄関の重い引き戸を開くと、そこには石畳の大きな土間が広がる。奥の仕切り戸を開き上がり口を上がる…
一階は大きな薪ストーブと座卓が置かれた広い板の間に大きなウッドテラス、調理場、二階には広めの和室が3部屋ある。男女5人で暮らしても充分に余裕のある間取りだ。
さらに家屋の脇には大きめの浴室と納屋、ポンプ小屋、薪小屋が設置されている。電力、プロパンガス、そしてふんだんに供給される地下水…
山あいの隔絶されたこの場所で申し分のない住環境が揃っていた。

「すげえな…ここ…山ん中の庵って言うから、もっと渋いとこかと思ったら…立派な山荘じゃんかよ…」戸枝が呻いた。

「昔ゃもっと慎ましいもんだったんだぜ。ガスも電気もねえ…薪とかまどとランプの生活だ。そうだなあ…40年くらい前だったかな、先代の御所さんの計らいで新しく建て直して貰ったんだよ」
「ねえねえ、凄いよーここ!ほら、こっから目の前に阿蘇が見える…奇麗なとこねえ…」
テラスに出ていた葉月が感激して部屋の中に声を掛けた。
全員がその声に誘われてウッドテラスに出た…
目の前の木立の向こう側に朝日に照らされた阿蘇中岳の雄大な姿がそびえ立っていた…
「本当だ…凄い…」礼司もその優美な風景に思わず魅入られてしまう…
「ここはよ、この阿蘇さんの御霊力が一番の御馳走なんだぜ」後方から皆に向かって善蔵が呟いた。


戸枝、葉月、春江の佼龍としての修行は、早速その日から始まった。
勿論それに合わせて礼司にも力のやりとりの方法が伝えられ始めた。
それぞれの訓練は一日に1人2、3時間が費やされた。訓練は厳しいものだった。
現実のこの世に身を置きながら全く違う別次元の世界の自分の存在に意識を移動させることは思った以上に高度な技術を要する行為だった。
春江、葉月、礼司の3人はそれぞれある程度善蔵との精神的な交信は行なっていたものの、これから体得しなければならない技術は全く別のものだった。自分の内側から潜在する力を引き出すのは、善蔵の導きがあれば容易に出来る。しかし、その力自体を自分の主体として自意識を成立させるには、自分の自我の表裏を入れ替えなければならないのだ。

善蔵は毎日1人1人に時間を掛けて、何度も何度も繰り返しその状態へと導いてゆく…

「どうだい?礼ちゃん…さすがに疲れたかい?」
「ええ…少し…頭の中が熱くなる感じで…」
「そりゃあ、まだまだ抵抗があるんだな。俺がよ、連れてく時にお前えのどこに触ったかちゃんと感じてくれよ。そこが自分で動かせりゃあ自分で出来るようになるんだ。俺の気配を追いかけるんじゃねえ。自分で行くんだ。分かるか?」
「でも…真っ暗で、どっちに行ったらいいんだか…」
「そりゃあお前え、見ようとするからいけねえんだ。目で見ようとしても何も見えねえ、耳で聞こうとしても何も聞こえねえ、まだまだ解脱が足りねえんだよ。ま、何度もやってりゃ、そのうち掴めるよ。自転車とおんなじだ。一度乗れるようになっちまえば、いつでも自然に出来るようになるからよ。じゃ、もう一度行くぜ。いいかい?」
「はい…お願いします…」

善蔵に導かれ、掴み所のない暗闇の空間に足を踏み入れる…そこには自分の意識と善蔵の気配以外何もない…
もしも善蔵の気配を失ってしまえば、微弱な自分の存在すら消し飛んでしまいそうな危うい自意識でしかない…
そこに踏み止まる…有らん限りの思念を集め、捕らえ所の無い希薄な存在を懸命に維持する…
何とか踏み止まることが出来ると、善蔵はさらに進んでゆく…それがこの暗闇の奥なのか底なのか、方向を掴む事は出来ない…自分以外の唯一の存在である善蔵を探し出してはそこに踏み止まる…
その果てしない行為を何度も何度もひたすら繰り返すのだ。
2時間も続けると、心が痩せ細ってゆくように今まで感じた事もない疲労感が全身を包む。それを日課のように毎日根気強く続けてゆく…


あれ以来、善蔵はこの庵に篭りきりだ。礼司、戸枝、葉月、春江1人1人の訓練を行なうだけでなく、遠く横浜に住む荒木とも交信して、同じような訓練を施している様だった。阿蘇での共同生活の整備には全く感心を示さず、早朝から夜までひたすらこの作業に没頭していた。

こうして平穏な時間が過ぎていった…
宮司の征夫だけは例年通り年末の祭礼に追われていたが、阿蘇の龍族たちは日々の精進を坦々と続けた。戸枝と荒木は早々に交信の技術を身に付けたので、外界の様子は逐次荒木から伝えられていた。

礼司と戸枝は訓練以外の時間を、広い敷地の手入れや薪割り、買い出しや神社の手伝い等に充てた。山の暮らしでは、探せばやることは山ほどあったが、礼司は今まで味わった事のない自然の中での生活をゆったりと満喫する事にしていた。一方戸枝は空いた時間を利用して、南阿蘇周辺を探索している様だった。

昌美は、阿蘇に移って以来、療養期間中長く遠ざかっていた料理に没頭していた。
嬉々として台所を占拠し、葉月、春江と供に郷土料理に工夫を加えて自分なりの味付けを創り上げていった。春江や征夫から日々差し入れられる食材を使って昌美らしい家庭料理に仕上げていった。
正月には昌美のお節料理が食卓に並んだ。
なます、煮しめ、ひともじ、黒豆、田楽、きんとん、山女魚寿司、錦卵、雑煮…昔ながらの正月料理には味付けにも調理法にも昌美の繊細なアレンジが加えられていた。

「こらぁほんなこつ味んよかばい…こら、旨か…」お節に呼ばれた征夫は迷い箸を繰り返していた。
「礼くん…お母さんって、本当にお料理上手よねえ。あたし感心しちゃった…あんな風にどんどん自分の味にしちゃう人って初めて…もう、目から鱗よお。あたしね決めたんだ。ここで暫くお母さんの弟子にして貰うんだ」葉月が目を輝かせて訴えた。

「だろ?本当に旨いんだよ…ほら、礼司くん、俺の言った通りだろ?やっぱ奥さんの料理って凄いんだよ…」戸枝も嬉しそうに舌鼓を打つ。
「そうかなあ…だってこれは、お母さんの味だし…僕は普通だと思うけどなあ…」

礼司が素直に首を傾げていると、二階で横浜との交信を行なっていた善蔵が食卓に降りてきて加わった。
「おい、もう少ししたら先生こっちに来るってよ」
「え?じゃあ、お父さんや姉ちゃんも?」礼司が思わず身を乗り出した。
「ああ、今朝仮出所の日取りが決まったってことだぜ。12日だ。そのまんま3人で羽田からこっちに向かうってよ。良かったな、礼ちゃん。ま、詳しい事は先生から聞いてくれ」

「佳奈とお父さんと…ここで暮らせるのね…」昌美は少し顔を強ばらせていたが、それでも嬉しさは隠し切れない様子だった。
「お、今日はまたえれえ御馳走が並んだなあ…そうか、今日は元日か…じゃ、俺もゴチんなるとするか…もう腹あぺこぺこだ」
「まあ四代様、まずは一杯お上がんなはってから…」春江が杯を勧める…
「おう…ありがとよ」杯を空けながら小皿に取られた料理を箸で口に運ぶと、善蔵の表情が見る見る強ばった…
「こ、こりゃ…このお節は、一体え誰がこしらえたんだ?…」
「礼司くんのお母さんよ…どしたの?ゼンさん…そんなに、美味しい?」善蔵の只ならぬ様子に、葉月が不思議そうに顔を覗き込んだ。
「…こんな……こんな不思議なことが…こ、こりゃあ…どれも…俺の…俺の母様かあさまの味だ…」
箸を進める度に、善蔵の目に涙が溢れ出した…

第26話につづく…

第1話から読む...


連載小説『仙の道』では表紙イラストを、毎回一点イラストレーターであり絵本作家でもあるカワツナツコさんに描き下ろして頂いています。

カワツナツコさんの作品・Profileは…
https://www.natsukokawatsu.com





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