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仙の道 15

第七章・融(1)


「バッテリー上がってたってよ。全部整備させといたからもう心配ねえよ」
雄次は見違えるように磨き上げられた戸枝の乗用車のボンネットを満足そうにぽんぽんと叩いた。
「ずっと使ってなかったからな。手間掛けちゃいましたね」
戸枝は雄次から車の鍵を受け取った。
「個室に整備士が1人いるからな。バイトでやって貰ったんだ」
「すいません…じゃ、そろそろ俺たち行きますんで…」
「おう、気を付けてな。兄貴には電話入れとくからよ。ゼンさん、先生、宜しくお願いします」
「おう、すんなり片付きゃ、夜には戻って来るからよ。心配にゃ及ばねえよ」
5人は車に乗り込み、横浜を目指して出発した。


午前中には5人は浅川組長の自宅に到着していた。

「ゼンさん、ご苦労様です」組長の英一が息子の和夫と供に出迎えた。
周囲を取り巻く若い衆は何れも緊張した面持ちで、周囲を警戒していた。
「荒木先生、春田さんも、お久し振りです。いろいろ不自由掛けて申し訳ありません。雄次は失礼なくやってくれてますか?」
「御無沙汰してます。社長やスミさんからはとても良くして貰ってますよ。有り難うございます」荒木がそれに答える。
「トエちゃん、ご苦労様だったねえ…お、葉月も一緒だったか。まずは昼飯用意させますから、奥で少しごゆっくりして下さい」

広い応接間のテーブル、一番上座に座ったのは善蔵だった。5人に加えて英一と和夫が同席した。組員がおずおずと人数分のお茶を運んできた。

「えい坊、で、成和の方はどうだ?」真っ先に口を開いたのは善蔵だった。
「おい和夫、報告しろ」
「はい。先方は戸枝兄貴の時に若頭が大怪我しましたんで、急遽会長が名古屋から乗り込んできて、事務所の方で指揮摂ってる様です。結構命知らずも一緒に連れて来てますし、関係の組から応援に駆け付けてる奴等もいますから、見た所4、50人は集まってるようです。うちの事務所にも何人か見張りが張り付いてます」
「はは…戦々恐々ってとこか。で、お前え等は変な小競り合いなんぞしてねえだろうな?」
「はい、何されても絶対に手え出すなって言っておりますんで…でも…あっちも無理には難癖つけてくるようなこともしないんで…一応念のために親父は家にいて貰ってるんですけど…」
「そうか…成和には今日限りお引き取り頂くとしてもよ、ここ暫くは暴力沙汰は一切起こすんじゃねえぞ。若え衆に良く言っとけ。脅しもカツアゲも一切御法度だからな。成和の次はもっとやっかいだからよ。分かったな」
「はい、徹底させます」

「あの…ゼンさん…」組長の英一が恐る恐る口を挟んだ。
「俺、親父からは聞いてるんですけど…その…俺の代になって、こういうことは初めてですんで…本当に大丈夫なんでしょうか?全てゼンさんにお任せして…」
「おうよ。心配すんな。あん時ゃお前えはまだ若造だったからなあ…お前えの親父だってよ、俺がもちっと早めに出向いてやりゃあ、みすみす死なせずに済んだもんをよ…ま、今更言っても後の祭ってことだ。おう、それよりよ、えい坊、お前え礼司くんのことはどう思う?」
「ああ、春田さんのことですか…俺、若い頃、親父から言われてるんで…もし自分の頭で理解できねえことが起きても、そのまま受け入れろって…それが組を仕切る人間の器量だって…」
「なるほどねえ…いいことをちゃんと教えて貰ってるじゃねえか。この際教えてやるけどよ、俺と礼司くんはな、同じ種類の人間なんだよ」
「じゃあ…ゼンさんも春田くんと同じようなことが出来るんですか?」
「はは…まあ、そういうことだ。熟練者としてはあんまり一緒にして欲しくねえんだけどよ。あちらはまだ見習い修業中だ」そう言って善蔵は礼司に視線を送った。葉月がくすっと笑った。何故か礼司は、少し恥ずかしい気分だった。


横浜市街にある成和会の事務所へは、浅川組が用意してくれていた黒い大きなワンボックスカーに乗り換えて向かった。途中繁華街付近で葉月と付添いの若い衆を降ろした。

「じゃあ、その辺で買いもんでもお茶でも好きなことしててくれていいからな」
「本当?じゃ、あそこで洋服選んでいい?」
「ま、仕様がねえな。おい、何でも好きなもん買ってやってくれ」
「はい。分かりました」付添いはスーツ姿の大男だった。
「じゃ、行ってくるね」奥の席から礼司が声を掛けた。
「礼司くん、何にもしちゃ駄目よ。あたし、見張ってるからね」
「分かったよ…」

成和会の事務所は、繁華街から少し離れた裏通りに面した小さめのビルだった。
正面玄関前には、それと分かる男達4、5人が緊張した様子で周囲に注意を払っている。

「この辺でいいだろ。あとは歩いてくぞ」善蔵が指示する。
「はい…おい、路肩に寄せろ。お前えは大通りの方で待ってろ。いいか、何が起きても絶対に手え出すんじゃねえぞ。分かったな」
「はい」

善蔵と英一を先頭に、戸枝と礼司、その後に荒木の5人は、狭い歩道を歩いて成和会のビルに近付いて行った…

「えい坊、ちょっとよ、俺あこけ脅しやらかすかも知れねえけどよ、本気じゃねえから、心配しねえでくれよ」善蔵が隣の英一にそっと呟いた。
「そりゃもう…お任せしますんで…」
「鉄砲もドスも一切気にしなくていいからよ。堂々としてろ」
「はい…」
もう入口は目の前だった…


「おいっ!来たぞ!浅川だっ!」
浅川の姿に気が付いた男達が走り寄ってきた。入口前で数人の男達に囲まれると、さすがに修羅場慣れしている英一が落ち着いた様子で男達に声を掛けた。
「浅川組の浅川と申しますが、成田さんにお取り次ぎ頂けませんかね?御本人に連絡はしてありますんで…」
男達は緊張して一歩後に距離を置いた。上着の中に隠した道具に手を忍ばせた者もいた。

「心配にゃ及ばねえよ。こっちゃあ全員丸腰だあ。どうこうしようって腹はねえよ。おたおたしてねえで、さっさと取り次いでくれねえかな?」善蔵が前に出て男達に指示した。
「…お前え、何もんじゃ?」先頭にいた男が、見るからに労務者風情の善蔵を睨みつけた。
「こちらは神谷さん。うちの世話人だ」
「あ…そりゃ、失礼しました。おいっ、会長に伺ってこい…」後の男たちの中の一人が慌てて中に走り込んだ。

「取り敢えず、ここじゃ何ですから、中へどうぞ…」

5人は男に導かれるままビルの中に入った。
一階のフロアは決して広くはないが内装の行き届いたオフィスビルのオープンロビーといった感じだ。まばらに応接セットが置かれている。ここにも10人程の男達が屯していた。

浅川たちが入って来ると全員が慌てて立ち上がった。案内した男がフロアにいた別の男に耳打ちをする…入れ替わって、その男が近付いてきた。飯場で礼司が応対した男だった。
5人の中に礼司の顔を見付けて、男は顔色を変えた。明らかに脅えていた。

「こちらへどうぞ…少し掛かりますんでこちらでお待ちんなって下さい…」男は伏し目がちに慇懃に近くの応接セットを指し示した。
「あ、先日はどうも…どうでした?大丈夫でした?」ソファに腰掛ける前に礼司が男に声を掛けた。男は目を合わせず、何の返事も返して来なかった。

「礼ちゃん、あのあんちゃんと知り合いなのか?」善蔵が訊いた。
「ほら、この間先生狙って飯場に来た人ですよ。ね」礼司は再び男に微笑みかけたが、男はばつが悪そうに会話の外側に逃れ、男達の群れの中に身を隠した。

「おい、一応言っとくけどよ、お前え等が血眼んなってタマあ狙ってる弁護士の荒木先生、戸枝とこの坊や、それに浅川の親分、全員丸腰でガン首揃えてんだからよ。それなりの対応してくれねえとだぞ。分かったら親分と良く相談してくれよ」善蔵が再び注文をつけた。
その言葉を聞いてさらに先程の男2人が階上に向かった。残された十数人の男達は皆緊張した面持ちで礼司たちを見つめていた。

数分が過ぎた…

「上じゃ、どうやら大分揉めてるみたいだねえ…」
そのまま膠着状態が続くと、英一が半分気抜けした表情で呟いた。
「相手の気持ちになって考えてみろ。可愛そうに、どうすりゃいいのか訳が分かんねえんだよ。ま、どう出るか…ゆっくり待ってやろうじゃねえか」善蔵はそういうと、深々とソファに座り直し、ゆっくりと目を閉じた。
 
さらに10分以上が過ぎただろうか…待ちくたびれていたのは礼司たちだけではなかった。周囲の男達も、緊張を維持出来なくなってきた。あちらこちらでひそひそと小さな話し声が響き始めた。

「おい…いいのかよ?このまんまで…」
「だって兄貴が待ってろって…見張ってりゃあいいんじゃねえか?」

「たった5人だけだろう?さっさと殺っちまえばいいじゃねえか…」
「馬鹿、お前え、あそこの小僧に何人やられたか知ってんのか?若なんてよ、チャカぶっ放した途端に片腕吹っ飛ばされたんだぞ…」

「しっかし…組長ともなると度胸座ってやがんなあ…あーあ。見ろよ、隣の爺さんなんて居眠りこいてるぜ…」

「何であんなに落ち着いてやがんだよ…やっぱ、後でよ、山のように兵隊が押し掛けて来んのかなあ…浅川組っていやあ、この辺りじゃでっけえ組なんだろ?俺、でけえ出入りは初めてなんだよなあ…」

「なんだよ…ひっちゃきんなって探さなくたって、待ってりゃ来るんじゃねえか…でも、何で奴等わざわざ出向いて来んだよ…?」
「何考えてんだろうな?爆弾でも抱えてんじゃねえか?」
「組長が鉄砲玉?そんな訳ねえだろ?」

「弾が届かねえって…本当かよ?」
「弾だけじゃねえぞ。束んなって殴り掛かっても、みんな吹っ飛ばされちゃうんだよ。相手はあの小僧一人だぜ。俺あこの目で見たんだからよ」
「へーえ…そんな風にゃとても見えねえけどなあ…」

さらに暫く待つと先程の男が降りてきた。

「会長が上にお越し頂くように申しておりやすんで、どうぞ…」

善蔵が目を開いた…
「おっせえな、客待たせるにも程があるぜ。まあいいや、上ってなあどっちだ?」
「はい、こちらです。どうぞ…おい、何人か一緒に来い。あとはここに残っとけ」
「大丈夫だよ。俺たち以外はだあれも来やしねえよ」
「いえ、エレベータがそれ程大きくねえんで…すいません…」
「なんだ、そういうことかよ…」そう善蔵が呟くのを聞いて、英一が思わず苦笑していた。

一行は最上階の5階に向かった。

5階のエレベータホールではさらに数人の男達が出迎えた。
到着を確認してその内の2人が素早く後方の扉を開き、中に声を掛けた。
「来ました!」

そこは大きな会議室のようなスペースだった。部屋の中央には大仰な会議テーブルが置かれており、両脇の壁際にはさらに十数人の男達が立っていた。

「何だよ…うじゃうじゃいやがるな、ここは…しかし見事に男ばっかだな。女はいねえのか女は…」再びの善蔵の呟きに、遂に英一は可笑しさを堪え切れない様子だった。

大きな会議テーブルの一番奥には広い窓を背に男が2人座っていた。その後方には厳つい2人の男が両手を後に組みこちらを向いて立っている。後ろ手に何か武器を備えているのは明らかの様子だ。
5人が部屋に入ると、右側の中年の男が左側の30絡みの男を促して立ち上がった。

「初めまして…成田です…」
成和会の会長成田は見た所60前後だろうか、戸枝の会社の社長中川と良く似た風貌の人物だったが、体格は中川より一回り小さい様だった。
平静を装ってはいたが、不謹慎にもニヤニヤと笑いを押し殺している様子の英一たちを見て、気分を害しているのは明白だった。
隣で一緒に立ち上がった細身のスーツを身に着けた男は、おどおどと落ち着かない様子で、礼司たちを見ようともしていなかった。かつて戸枝と礼司が乗り込んだあの建設会社で社長の飯田と一緒にいた男だった。もちろん男の右腕は失われたままだった。

「どうも…組長の浅川です。先日は電話で失礼しました。こちらがお探しの荒木先生、それと、サンキの戸枝、その隣が春田さん、それとうちの世話人の神谷です」
「これは、うちの若頭を任せている息子のとおるです。おい」挨拶を促された片腕の男は、軽く頭を下げたものの、こちらに視線を送ることもなく、言葉を発することもなかった。
「ま、とにかく、どうぞお座りください…」

5人は勧められるまま2人に対峙してテーブルに付いた。

「いやあ、大した度胸だわ。感服しました。実のところ本当に浅川さんがいらっしゃるとは、夢にも思っていませんでしたよ。てっきり出入りになるもんだとばっかり…正直なとこ、わしらも少し仰天してまったで、すっかりお待たせして、ごぶれーいたしました」
こちらに大きな敵意がないのを感じたのか、成田は少し余裕を取り戻した様子だった。

「いや、無理を言って押し掛けたのはこちらですから…」落ち着いた様子で浅川が応えた。
「ほんで…御用向きは、何やね?まあ、言わんでも分かっとるが…」
「その辺は、世話人の神谷の方から…」英一はいよいよ主導権を善蔵に渡した。
「で…会長さんは、どう分かってるんだい?」
「丸腰で来て下さったっちゅうことは、侘びい入れなさるっちゅうことと、違うんかいの?」
「はは…馬鹿あ言っちゃいけねえよ。うちらが侘び入れなきゃならねえ理由がどこにあるってんだよ」
「お前えら…銭いかすめて…おまけに息子わやにしおって…ただで済むと思っとる訳ゃなかろうが?おお?」
成田は大きな目を見開いて善蔵を見据えた。

第16話につづく…

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連載小説『仙の道』では表紙イラストを、毎回一点イラストレーターであり絵本作家でもあるカワツナツコさんに描き下ろして頂いています。

カワツナツコさんの作品・Profileは…
https://www.natsukokawatsu.com





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