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仙の道 20

第八章・解(4)


人が少なくなった日中に、3台の黒塗りの車が飯場を訪れた。

前後の車から数名の男達が降り立った。骨格のしっかりしたスーツ姿の男達は、その仕草からも護衛の様だった。さらに彼らに見守られながら、2人の男が中央の車の後部座席から降りてきた。バラック事務所の入口で2人を出迎えたのは善蔵、礼司、荒木、戸枝、雄次の5人だった。

「神谷善蔵様という方がこちらにいらっしゃいますか?」小太りの小男が先頭の雄次に訊ねた。
「待ってたぜ。おいらが神谷だ」善蔵が一歩歩み出た。

「お初にお目に掛かります。私、事を仰せつかりました官房長官の児玉と申します」小男は緊張した面持ちで深々と頭を下げた。
「ゼンさん…ここじゃ何ですから、まずは中に入って頂いた方が…」雄次がそっと口を挟んだ。
「おう、そうだな。それじゃ、お2人さん、中へ入えって頂こうか?挨拶はそれからだ。外のお兄さんたちはいいのかい?」
「あ、彼らは付き添いですので、車で待機させて頂ければ結構です。車はあのままでお邪魔になりませんか?」
「ああ、結構ですよ。昼間はガランとしてますから…まあ、どうぞお上がり下さい」雄次が2人を事務所に案内する。
礼司たちもその後に続いた。


「いろいろ、厄介なことお願いして、申し訳ないねえ。宜しくお願いしますよ」
それぞれが会議テーブルに着くと、善蔵が軽く頭を下げた。

「あ、初めまして…私は、宮内庁で侍従長を仰せつかっております荻原と申します」身長の高い、上品な雰囲気を漂わせた初老の男が名乗った。
「え?何で宮内庁の方がここにいらっしゃるんですか?」荒木が思わず疑問を投げ掛ける。礼司も戸枝も雄次も、同じ疑問を浮かべていた。
「いや、それはあの…」
「ああ、申し訳ないねえ…こいつ等には御所さんのことはまだ何も話してないんだ。お前さんたちも、ちっと質問は控えててくれねえか?まあ、聞いてりゃ分かるからよ。とにかくみんな、まずは腰掛けようじゃねえか」

全員がテーブルを囲んで腰掛けると、初めに話し始めたのは侍従長の荻原だった。
「あのお方から伺っております。ここに伺えば、神谷様とお会いすることが出来るとおっしゃられまして…」

「あのお方って…誰のことだ?…」戸枝が礼司にこっそり耳打ちした。
礼司は話を遮らせないように目配せを送り戸枝を黙らせた。

荻原は話を続けた…
「あの私も以前から神谷様のことは度々聞き及んでおりましたが、それは…震災のことですとか、終戦のことですとか…正直申しまして『神谷善蔵』という名前は何かこう…一種の隠語と申しますか、人知を越えた何かを擬人化されて例えていらっしゃるのかと…正直、我々は、いや少なくとも私は長年そう考えておりました次第でして…あの…宜しいでしょうか?こんな話から始めても……」
「ああ、こっちゃあ構わねえよ。続けていいぜ」

「はい。申し訳ありません。で…昨日、本日の事を仰せつかりまして、実のところその…私と致しましては理解できないと言うか…それはまるで…神谷善蔵という人物が実際に実在されているということでしたので…」
「あんたが仰りたいことは、ようく分かるぜ。俺達もずっとそんな風にしてきたからよ。まあ、説明のしようがねえからなあ…世の中はよ、人の力じゃあ分からねえいろんな力がせめぎ合って微妙に釣り合いをとってんだよ。御所さんや俺達はよ、その力を感じたり、その力に触れることが出来んだ。それが何故なのかは、俺も知らねえ。多分誰も知らねえよ。受け入れるしかねえんだ。それぞれ役割が違うんだけどな。御所さんはよ。その力を血脈で伝えることの出来るお方だ。伝承出来るんだ。ざっくり言うとそういうことだな。で、神谷善蔵はこの俺だ」
「恐れ入ります…」
「あんたが恐れ入るこたあねえよ。俺達ゃおたく等とは全く違うやり方でこの世の中を見守ってるんだ。本来ならこうやってあんた達のやってる事に口出すことも、まずねえんだ。民主主義だろうと軍国主義だろうと、平和だろうと戦争だろうと、貧乏だろうと裕福だろうと、誰がどんな方法で国を治めようと、俺達にとっちゃ、知ったことじゃねえんだ。ところがよ、今回はちょいと事が込み入っててな。これから手え着けなきゃならねえ大事な仕事の折りも折りによ、うち等の何人かが面倒臭えことに巻き込まれちまっててよ、早えとこ片付けちまわねえとなんねえんだ。そいで、御所さんに一肌脱いで貰おうって事なんだよ。ま、言ってみりゃ反則行為なんだけどよ。分かって頂けるかな?」
「はい…大体のことは伺っております。出来る限り速やかにという御要望でしたので、本日は官房の児玉にも立ち合って貰っております。総理も了承しておりますので…」
「そうかい、じゃあこっちの紹介をしておこうか…あんたは俺達が龍族だってこと、聞いてるかい?」
「はい…昨夜、教えて頂きました。神谷様のことは智龍ちりゅう様と仰っておりました。御自分は浮龍ふりゅうだと…」
「じゃあ話は早えや。まず俺の隣にいるのは、聞き及んでるたあ思うが、春田礼司だ。俺と同じ智龍だ。まだ修業中だけどな。その向こうにいるのは戸枝勲、本人は気が付いていねえが佼龍こうりゅう、同じ龍族だ。で、こっちの隣は浅川雄次。横浜の浅川組の組長の弟だ。亡くなったこいつの親父と娘の浅川葉月が佼龍だ。それからその向こうにいるのは、弁護士の荒木洋一郎。こいつも自分はことに巻き込まれちまっただけだと思ってるが、やはり佼龍だ。なあ…龍族ってえのはよ、この世の中にだってそうそうはいるもんじゃねえ。それがよ、これだけの龍族がこの小さな飯場に集まってるって訳だ。これがどういうことなのか分かるかい?」
「どういう事なんでしょうか?」官房長官の児玉が堪らずに身を乗り出した。戸枝と荒木は自分たちがまだ気付いていない未知の運命を告げられ、思わず表情を強ばらせていた。

「事は重大だってことだ。これは必然なんだぜ。龍族たあそういうもんだ。このごたごたは起こるべくして起こったことなんだ。ある意味じゃ、俺達をここに集める為に起きたことなんだよ。俺一人じゃあどうにもならねえことが起きようとしているってこたあ確かだ…早く動かねえとならねえ…」
「何が…起きるんでしょうか?」
「悪いが、それは言えねえんだ。言ったって、あんた達がどうこう出来るもんでもねえからよ。俺もよ、若え頃は血気盛んでよ、大え変な事を目の当たりにすると、こりゃあ世間の人達に知らせねえとと思ったこともあったんだ。ところがよ、知らせたところで騒ぎになるばっかりでよ、何の足しにもなりゃあしねえ。ま、騒ぎったって、今みてえなマスコミってもんがねえ時代だからよ、それほどの事でもねえんだけどな。それどろか、あれだ…こっちが骨身い削ってよ、首尾よく事を収めりゃあ、今度あほら吹き呼ばわりだあ。良く考えてみりゃあ当たり前えのこった。誰の目にも見えねえことをいくら懸命にやってもよ、何がどうなってんだか分かる訳ゃあねえよな。古い時代にゃまだまだ信心ってもんがあったけどよ、言ったって仕様がねえや。それでよ、御所さんと話し合って…あ、御所さんたって、今の御所さんじゃねえよ。まだ御所さんが京にいた頃だから大分昔だな。それからは、俺達龍族はよ、一切表には出ねえことに決めたんだ。正体も、何をしてるのかも、人に明かすのは法度にしちまったって訳だ。ま、その方がやり易いしよ」
「京都……あ、あの…神谷様は一体今お幾つでいらっしゃるんでしょうか?」
「ま、御想像に任せるよ。あまり詮索しねえでくれよ。とにかくそういう訳で、俺達ゃ急ぎ大切な仕事をしなきゃならねえんだ。申し訳ねえが、人の欲や面子とこれ以上付き合ってる暇がねえんだよ。荒木先生、あれこしらえといてくれたかい?」

「あ、ああ、ここに出来てますよ」
荒木は用意していた封筒から数枚の書類を出して2人に渡した。

「お前さん達が御所さんから聞いた話の詳細はそこに書いてある。関わった政府側の連中の名前も記してある筈だ。当面の間こいつ等が俺達の邪魔あしねえように、全員きっちり退かしといて貰いてえんだ。出来るだけ早くだ。どうだい?出来るかい?」

書類に記されたリストに目を通していた児玉が顔を上げて、真直ぐ善蔵を見つめた。
「分かりました。直ちに取り掛かります。事務方の抵抗があるでしょうが、あのお方のお墨付きがありますんで、根回しに数日もあれば、何とか…」
「それで…彼らはどう処分致しましょうか?」代わって荻原が訊ねた。

「退けてさえくれりゃあそれでいいんだよ。俺達ゃ別に、そいつ等を恨んでる訳でも何でもねえからよ。邪魔できねえところに追いやっといてくれりゃあそれでいいさ。表沙汰にする気もねえからよ。無理のねえところでやり易いようにやってくれ。あ、そうだ…成和会の方はもう手え引かせてるからよ、お構いなしってことで、一つ宜しく頼むぜ。それとよ、昨夜尾崎って野郎には引導渡しといてやったから、話は早いと思うぜ。ま、あとは宜しく頼む」
「宜しくお願いします」礼司たち4人も2人に頭を下げた。
「確かに、承りました。それでは早速…私共はこれで、失礼致します…」
2人は善蔵の話に納得すると、早々に飯場を引き揚げていった。


飯場の上には星空が広がっていた。

礼司は1人敷地の隅に置かれた資材に腰掛け、夜空を眺めていた。自分に与えられた途方もない運命をどう受け止めたらいいのか…なかなか心の整理がつかない。いつになくくっきりと広がる満天の星空を眺めていると、自分が決して孤独な存在ではなかったこと、そして自分が思っていた以上に孤独な存在であること、この2つの事実が1つに結び付いてゆく気がした。

礼司に足音が近付いてきた…

「今日は随分と星が多いんだなあ…それにしても、ぐっと冷えやがるな。礼司くん、こんなとこにずっといると風邪引くぜ」戸枝は寒そうに肩を縮めると防寒ジャンパーのジッパーを引き上げた。
「大丈夫ですよ。僕、風邪引かないんです」
「そう…寒くもないわけ?」
「いや、そりゃあ寒いですよ…でも、病気にはならないんです」
「そうか…そうだったな。しかし、おんなじ龍族なのにさ、なんで俺は風邪引くんだろな?」
「さあ…ゼンさんは、何て言ってました?」

あの後部屋に戻ると、戸枝と荒木は善蔵に詰め寄り、自分たちの龍族としての役割について詳しい話を聞き出そうとしていた。

「それぞれ役割が違うから、それぞれ出来る事も違うんだってよ。俺には俺にしか出来ない事があるから気にしなくっていいってよ」
「そうですよ。イサオさんにはイサオさんにしか出来ない事があるじゃないですか」
「でもよ、礼司くんや先生の縁を結ぶってことだけじゃ、なんだかちょっと地味だなあって思ってさあ…そしたら、ゼンさんに言われちゃったんだよ」
「何言われたんですか?」
「まだとばっ口だってよ。俺にやって貰うことはまだまだ山ほどあるんだって。…へへ…俺、この歳になるまで自分が価値のある人間だなんて、思ったことなかったもんなあ…なんだかちょっと嬉しくてさ…」戸枝は笑みを浮かべた。
「僕は最初からそう思ってましたよ。恐そうにしてるけど、この人きっといい人だなあって、僕の事分かってくれるんじゃないかって…」
「そう言えば俺もそうだったなあ…礼司くんやお袋さんのことは、他人事だと思えなかったもんなあ…お、そうだ。お袋さん、そろそろ大丈夫だってよ」
「大丈夫って?…」
「さっきよ、連絡入れたんだよ、事務長に。もう事は片付いて安全になったってよ。そしたら、少し早いけど、そろそろ退所しても大丈夫だろうってよ。念のため暫くは酒のない環境がいいだろうって言ってたけどな。俺達も晴れて自由の身だからよ、とにかく一度会いに行こうぜ」
「そうか…良かった…僕、お父さんのとこにも面会に行きたいんですけど…姉ちゃんとも会いたいし…」
「そうだな…もう大丈夫だろ。でも…いいよなあ…礼司くんには家族がいてよ…」
「イサオさんには、ゼンさんがいるじゃないですか。それに、僕も先生も葉月ちゃんも、今日からずっと家族なんですよ」
「そうか…そうだな…そういうことだよな…へへ…」戸枝は嬉しそうに目を細めた。

第21話につづく…

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連載小説『仙の道』では表紙イラストを、毎回一点イラストレーターであり絵本作家でもあるカワツナツコさんに描き下ろして頂いています。

カワツナツコさんの作品・Profileは…
https://www.natsukokawatsu.com





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