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仙の道 23

第九章・雲(3)


「あ、和尚様…やはり、子供はいいですねえ…大らかで、天真爛漫で…俺あこうして子供たちと一緒にいると、本当の自分が取り戻せるような気がするんですよ…」
「善蔵さん、お主は生まれ持った運命のお陰で、普通なら誰もが経験すべき喜びや楽しさを見逃してしまっておるからの…多分、今が人生の春なのじゃろうて…」
「確かになあ…生きているってえ事が楽しいなんて思ったのは、この宿場に暮らし始めてからのことだぜ…でも和尚様…俺は本当に、ここでこうしていていいんですかね?」
「まあ、それでいいのじゃろう…今はな。今を楽しむんじゃ。今は楽しむ時なのじゃ。おう、そうじゃ、お主に話さなければならぬことがあったのだ…おお、丁度温かい陽が差してきおった。ここに腰掛けて話そう」久道は境内の陽だまりに置かれた石の上を平手で叩いた。
石の上に腰掛けると再び話を続けた…

「先日儂が京の御本山に上がった事は知っておろう?」
「ええ、大徳寺の御老子にお会いになったと…」
「そうじゃ、御本山に上がったのはかれこれ20年ぶりじゃ…京は変わらずみやびでのう…山の精霊と溶け合い…昔と同じく美しい街じゃった…でな、老子様に接見の折、お主の事を話したのじゃ」
「え?俺のことですか?」
「そうじゃ、この宿場に移って20年、儂にとってお主との事は最も大きな出来事じゃったからのう…」
「で、御老子様は何か仰っていらっしゃいましたか?」
「それじゃ。大変御興味を持たれての…古い記憶を懸命に辿っておられた。病に倒れず、刃に傷つかず、よわいに身をやつさず、不思議な力を自在に操る人物のことを微かに覚えていると仰られておった。お主と同じ身の上の人物じゃ」
「ほ、本当でしょうか?俺と同じ運命を持った者が他にもいると?…」
「いや、ずっとずっと以前、聞くところによれば70年以上も前の話じゃ。老子様がまだ御修業中の身であった頃、当時の本山の御老子様の元に、度々足を運ばれてくる御老人がおったそうだ。まだ幼年の小坊主だった老子様に飴などを授けてくれて、訪れる度に大変可愛がってくれたそうじゃ。何でも、長い髭を蓄え、山歩き用の杖を持ち、まるで絵の中の仙人の様ないでたちであったそうだが、小坊主たちと遊んでくれるに、風貌に似合わず大変身軽でどんな遊びでも器用にこなす不思議な御仁だったそうじゃ。で、ある日、御老子様のお世話に上がった折、その御仁の事を訊ねてみると、御老子様の話では、何とその方は足利将軍の時代からずっと生き続けていらっしゃる仙術の奥義を持つ御仁であると言われたそうな。刃に突かれても火に焼かれても決して傷つかぬ身体をお持ちだとか…その時はとても信じられず、きっと御老子様が小坊主相手の悪戯に話を面白うしておるのだと思っていたそうだ。それから間もなく御老子様が病で亡くなると、その御老人もぱたりと訪れることがなくなり、以来、今の今まですっかり忘れていたということじゃった。老子様は、儂がお主の話をしたので記憶が呼び戻されたのじゃ。それでな、もしもあの時御老子様が仰ったことが本当なら、何かに記されているやも知れんと、調べて下さると仰っておったのじゃ」
「そうですか…仙人ねえ…」
「話はまだ終わってはおらん。まあ、聞きなさい。それで今朝、本山の老子様から文が届いたのじゃ。果たして…記録は、あったそうじゃ。ただし、門外不出の文書ゆえ、詳しい事は書けぬらしいが、間違いなくその御仁は、お主と同じ宿命を持った者だそうだ。そして間違いなく、今も存命でいらっしゃる。何故なら、お主とその御仁は必ず出会い、そして交わらねばならない宿命を持っているからだと手紙には書いてある」
「…本当ですか?…でも、その方は、今何処にいらっしゃるんですか?どうやって探せば…いいんでしょうか?御名は何と仰る方なんですか?」
「お主が探す必要はない。出会うのじゃ…案ずる必要はない。必ず出会うのじゃ。お主が何処に居ようと、何をしていようとじゃ。儂は…このことをお主に伝える為に、この世に生まれ、京に修業し、この寺にやってきたのじゃ。お主は儂に出会い、そしてその御仁に出会う為に、生まれ、翻弄され、藩を追われ、ここに辿り着いたのじゃ。儂もお主も、そしてその御仁も、同じ道を歩んでいるのじゃ。分かるか?」
「同じ道……」
「そうじゃ。こう記されているそうじゃ…仙の道と…」
「…仙の…道…」


「小枝坊、お前え…随分と達者になったじゃねえか…」境内に新築された手習い所の机上で、小枝が算盤そろばんと小筆で熱心に取組む計算を覗き込んだ善蔵が呟いた。
明和めいわ3年5月…

「ゼンさん、あたしゃもう15だよっ!坊呼ばわりは止めてって、何度言ったら分かるのよっ!」すっかり娘らしく髷を結った小枝は、計算の手を止めて善蔵を睨みつけた。
「あはは…済まん済まん…いや、小せえ頃から見てると、ついついな…堪忍してくれよ」
「分かりゃあいいのよ…もう…」小枝は再び計算に取り掛かる…紙に書かれている図式や計算は、もはや善蔵には見当も付かない高度なものの様だった。
あれから東海寺の手習い所にはますます多くの子供が集まるようになっていった。
読み書き、習字、算盤、算術、論語、老荘…善蔵と久道2人の師範ではとても手に負えなかったが、その頃にはそれぞれに熟達した若い師範が育ち始め、ここ2年ほどはほぼ善蔵の手を離れていた。
小枝は今では算術の手解き師範を務めながら、独学でさらなる高みを目指していた。

「いってえ、そりゃあ何をやってるんだい?」善蔵は50も半ばとなっていたが、見た目は20代のままだった。
「橋脚の強さの計算だよ」
「きょうきゃくってえと…橋のことかい?」
「そうだよ、一昨年和尚さんが買ってくれたろ?九章算術の本…いろんな事が出来るの。お寺の向こうの川に橋を架けるとすると、どんな強さの材料で、どんな形にこしらえると、どの位頑丈にできるのか計算してるんだよ」
「誰かに頼まれたのかい?」
「ううん、だって…面白いんだもの。算術って凄いんだよ。この一枚の紙の上で、家だって、お蔵だって、お城だって、橋でも、道でも、堰も…何だってこしらえられるんだ…おっ父は、そんなことしてると嫁に行けなくなるから止めろって言うけどさ…」
「お前え…まさに神童だな…でもよ、小枝ちゃんもいずれお嫁に行かなきゃだろう?」
「まだまだ、当分行かないよ。だって、その前に旅に出なきゃならないじゃないか」
「え?旅って…どこに行くんだい?お伊勢さんかい?」
「何言ってんの?惣次郎そうじろうさんとこにゼンさん案内しなきゃなんないだろう?」
「惣次郎さん…ってな、誰のことだい?」
「ゼンさん…惣次郎さん、本当に知らないの?…おかしいなあ…惣次郎さん、ゼンさんと自分は同じだって言ってたから、てっきり知り合いかと思ってたんだけど…」
「同じ?…おい、小枝ちゃん。その惣次郎さんって人の話、もう少し詳しくしてくれねえか?」

小枝の話では、惣次郎と名乗る人物が小枝の前に最初に現われたのは1年程前のことだった。
姿はなく声だけが聞こえると言う。初めは死霊に取り憑かれたのかと脅えたが、何度か接する内に惣次郎はどこか遠方に暮らす老人で、気を送って小枝と話をしているということが分かった。小枝の周囲に不死身の人物がいる筈だと訊ねられたので、善蔵のことを伝えた。惣次郎は時が来たら、然るべき場所を訪れるので、善蔵をそこまで連れて来なければならないことを小枝に告げた。それが出来るのは小枝だけなのだということも教えられていた。

「そりゃあ、どんな御仁なんだい?」
「知らないよ。会った事あないんだから…でも、優しくて、物知りで、面白いおじいさんだよ。そうかあ…ゼンさんも会った事ないんだ…」小夜は不思議そうに首を捻った…


7月……上野国こうずけのくに館林たてばやし藩・吾妻ごつま嬬恋つまごい

浅間山麓、深い松林の中に朽ち果てかけた小さな庵が見える…
朝から続く霧雨の中、善蔵と久道、小枝の3人が藁傘を被り庵の前に到着する…

「ここだよ…」小枝が庵を示す…善蔵は笠を外し、緊張の面持ちで引き戸の前に進み出る…
中に声を掛けようとする前に、引き戸が開いた…そこには擦り切れた作務さむ姿の老人が笑みを浮かべて立っていた。

白く長い髭を蓄え、目を細めて3人それぞれの顔を眺めた。
「出迎えもせんで、えらい申し訳ありまへんな」老人は西方の町人訛りで少し頭を下げた。
「あ、惣次郎様でいらっしゃいますか?」
「はいな、わしが惣次郎です。あんたはん善蔵さんですやろ?」
「はい、神谷善蔵です。お初にお目に掛かりやす…あの…」後に控えた2人を紹介しようとする善蔵を惣次郎が遮った。

「あんさんが善蔵さんなら、あとは分かりますわ。久道和尚はんと…あんたが小枝ちゃんか?なんや元気なお嬢さんやと思とったら、えらい別嬪さんやないか…まあこないな華奢な娘おに、こんな遠くまで足運ばせてもうて、えらい難儀やったやろう。ま、みなさん、入ってください。狭いところやけど堪忍やで。遠慮せんと、くつろいでや」

「失礼致します…」「惣次郎さん、はじめまして…」「お邪魔いたしますよ…」
3人は引き戸を潜り、庵に上がり、惣次郎に勧められるまま囲炉裏端のむしろの上に座った。

「いや、そろそろ到着する頃や思て、鮎う焼いてますさかい、呼ばれてや。雑炊もあんじょう炊けてるよってな…吾妻川の鮎は、そらあんたごっつ旨いでえ…あ、そや…しもた、和尚はんとこは禅寺やったな…魚、あかんかったんやろ?こら、うっかりしたわあ…」
「はは…殺めてしまったものは…食して差し上げなければ、とても成仏は叶いませんでな、頂きましょう…」
「いや、上手い事言いよるわ、あんた…そやな、そこいらの雲水さんとはちゃうもんなあ、そら悟ったもん勝ちや。食いたいもん食うたらええがな。吾妻くんだりまで足運んだんや、鮎の1匹2匹食うたかて罰なんぞ当たりますかいな」
「ねえ、惣次郎さんはずっとここに住んでるの?もっとずーっと西の遠くの方にいる感じがしたんだけどなあ…」小枝が訊ねた。
「ああ、そら、阿蘇さんや。あそこが儂のねぐらやからな。ここは、ここ暫くの間だけや。なんせ浅間せんげんさんがもうぐつぐつきとるさかい、静めたらんといかんのや。ま、その話は後や後…そろそろいい案配に焼けてきよったで…」

楽しい昼餉ひるげだった。
惣次郎は善蔵と会えたことが余程嬉しいらしく、食事の間中上機嫌で、この日をどれ程待ち望んでいたか、小枝を探知出来た時にどれ程心を踊らせたかを、何度も何度も繰り返し話していた。

食事が終わると、惣次郎はここに居る4人はある一つの共通の目的を持ってここに集まったと告げ、それぞれの体内にその印を与えた。

そして善蔵と向き合った…惣次郎は真顔だった。
「さてさて…一番の肝心はお前や善蔵…呼び捨ててええか?」
「…はい…」
「今からお前には、お前だけが持つ運命の本当の意味を授けたるよってな。お前の身体が何故傷付かへんのか、何故歳取らへんのか、何故死なへんのんかが分かるやろ。ええか?目え閉じて静かにしとるんやで……ひの…ふの…みと」

いきなり善蔵に向けて惣次郎から大量の気が一気に送られた。気を失いそうな衝撃の後、善蔵は自分がこの世のものでない、全く別の世界の何かとてつもなく巨大なものと太い絆で結び付いていることが実感できた。その結び付きを永遠に一定に保つ事が大切であることも感じた。
結び付く力…その力の強さ、方向、そして太さ、この3要素が保たれて初めて、結び付きは保たれるのだ。それが何故大切なのだろうか…善蔵や惣次郎の役割は、その結び付く力そのものを宿し、保ち、そして発することであった。

全ては残像のように茫洋としたイメージで伝えられた。それが惣次郎から与えられたものなのか、善蔵が自分なりのイメージとして心の中に創り上げているものなのかも分からなかった。

太古の昔…2つの対峙するあるもの…それはそれまで見た事もない巨大な2匹の生き物…
2匹の力の均衡が崩れ始めた時、その力は人の世に生まれた。
そして、宿し主が1人選ばれた。しかし、人の身体に宿るにはその力は強大過ぎた。そこで、選ばれた者は補強された。それは…何ものにも傷つく事のない身体、強い思念、そして…通常の数倍もの寿命…

こうして初めの宿し主は、次の宿し主が現われるまでの長い年月を生き長らえ、目に見えない別の世界へ力を注ぎ続けた…次の宿し主は…また次の宿し主へ…綿々と役割を繋いでいった…幾千年もの間…

善蔵は、自分が見たことを理解するまで、暫く呆然とした時間を過ごさなければならなかったが、これまで暗闇を手探りするように送ってきた人生に一筋の光が見えた気がした。

「これが…これが、俺の…運命なんでしょうか?」
「そうや、言うてみたらお前んは儂の跡継ぎや。儂もようやく跡継ぎを見付けることが出来たんや。いやあ、そら待ち兼ねたでえ…とにかく、お互い目出度いこっちゃ!」惣次郎は屈託なく満面の笑顔を見せていた。

「それで…その力を用いて、やらなければならねえ事ってなあ、一体何ですかい?」
「それは、まあ追々儂が教えたる。安心せえ、儂と暫く一緒におったらええんや。和尚はんと小枝ちゃんにも、きっちり手伝うて貰うよってな…まあ、目出度いこっちゃでえ…ははは…」
惣次郎は晴れやかに笑った…


「どうだい?俺もお前えも同じだろう?」目を開いた礼司の顔を善蔵が窺っていた…


尾崎は議員を辞任し、政界から姿を消した…
国交省、検察庁、警視庁、裁判所、今回の事件に関わった多くの官僚たちが更迭され、罷免され、左遷された…
岐阜に戻った成和会は、浅川組との契りを結び、極道の本流に戻った…
礼司の父親は特別措置によって近く仮出所できることとなった…その手続きに奔走した荒木は横浜に戻り、英一の力添えを得て弁護士の職に戻った…
そして礼司は『智龍』としての初めての仕事に向かうこととなった…

第24話につづく…

第一話から読む...


連載小説『仙の道』では表紙イラストを、毎回一点イラストレーターであり絵本作家でもあるカワツナツコさんに描き下ろして頂いています。

カワツナツコさんの作品・Profileは…
https://www.natsukokawatsu.com





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