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仙の道 26

第十一章・治(1)


正月が終わる頃から阿蘇の生活に礼司の父親の隆司、姉の佳奈、弁護士の荒木の3人が新たに加わった。
隆司は見る限り一回り痩せていたが、いたって健康そうだった。これまでの経緯から家族に対しては今一つ負い目があるのか、当初はどことなくぎこちない態度が目に付いた。しかし、親友の荒木がさり気なく隆司の心の不安やわだかまりを治めてくれたお陰で、程なく以前の父親の風格を取り戻しつつあった。

荒木が阿蘇に加わってから1週間後、いよいよ善蔵と礼司、佼龍4人揃っての訓練が始まった。
この頃にはそれぞれ全員が善蔵の助けなしに空間に足を踏み入れる事が出来るようになっていた。

そこには相変わらず実体らしいものは何も無かったが、彼等にとってはもはや暗黒だけの空間ではなかった。沸き起こる様々な『気』が、様々な色彩を放ちながら、あるところには帯状に漂い、またあるところでは線状となって流れ、そしてまたあるところでは澱み混じり合いながら塊となっている。
抽象的な色彩が渦巻く果ての無い広大な空間…
『気』が放つ色彩を感じ取って初めてそこが広大な空間であり、『世界』であることが分かる。
6人それぞれの存在はその空間に浮遊している。それぞれの存在や位置を知覚することも出来る。勿論視覚で認識出来る訳ではないので、それぞれの姿を見る事はできない。

この世界では龍族の存在はお互いに球体として知覚される。
それぞれの球体はそれぞれの力のあり方によって異なった色彩を放っている。
戸枝の球体は白く発光している。葉月は赤色、春江は青緑色、荒木の球体は黒く周囲の色彩を消し去っている。
善蔵と礼司の球体は一際大きく無色透明だが、その内部に様々な『気』のエネルギーが集まり凝縮され、お互いの色彩を打ち消し合っているのが分かる。その証拠に球体内に収め切れない七色の色彩の渦が周囲を取り巻いている。

全員でこの世界に集合してみると、不思議な事もある。お互いの交信が自在なのだ。言葉だけではない。言葉だけでは表現できない繊細な感情の機微までも自在に伝える事が出来る。
言葉や感情に限らず知覚そのものを共有することも出来る。全員がそれぞれの知覚を共有し印象や感情を共有し、文字通り心を一つにすることが出来るのだ。

唯一最も厄介な事は空間の中の移動である。
確かな実体もなければ、ここでは重力を感じる事が出来ない。
周囲は目眩く変化する抽象的な色彩の渦ばかりで、確かな方向も掴めないばかりか上下すら定かではない。じぶんがそこにじっと停止しているのかどうかも定かではないのだ。
何故善蔵がかくも自由自在に空間の中を動き回ることが出来るのか…皆全く不可解でならなかった。善蔵の言う『方位』とはどういう事なのか…掴む事が出来ず、確固とした存在の善蔵の周囲をおろおろとうごめく事しか出来なかった…

『おいおい、佼龍さん達はよ、あんまりおいらに近付き過ぎるんじゃねえぞ。何度も言っただろう?佼龍が智龍に近付き過ぎると、こう力がよ、流れちまうんだよ。おろおろするんじゃねえぞ。まずは距離だ。お互いの距離を一定に保つことだけに集中しろ』
『でも…これじゃ、どっちがどっちだか全然分かんないよお…』葉月が困惑を隠し切れず、訴えた。他の皆も同じ気持ちだった。
『ほらほら、あんまり礼司に近付くんじゃねえ、葉月…』
『だ、だって…礼司くんだってこっちに来るんだもん…』
『礼ちゃんもふらふら葉月に寄ってくんじゃねえよ。まあ、お互い気になんのは分かるけどよ。今はそういうことは全部忘れろ。お前えは取り敢ず邪魔にならねえように俺の横にへばり付いてろ』
『は…はい…』
『ゼンさーん…俺、どっち向いてんの?これってどっち向かってるのか…あれえ?…こっちが……どっち?』
『先生…動かんでください…先生に合わせとるけん…どこ行きなはっとですか?』
『いや…俺は…ここでじっとして…あれっ?これで俺、止まってないの?』

『おいおい、佼龍さんたちよ、ちょっと聞きな。お前えさんたち、大きな勘違いしてるんじゃねえか?どっちだあっちだこっちだってよ、いくら方向を探そうたって無駄なんだぜ。ここにはよ、方向はねえんだ。方角も方位もねえ。お前さんたちが普段いるところみてえに、自分の外側に方向や方位があるようなところじゃねえんだ。この世界じゃあ方位を決めるのはよ、お前さんたちなんだぜ。っていうか…お前えたちが方位そのものなんだよ。方向は外にあるんじゃねえ。力の仕組みなんだ。つまりはお前えらが方位を作るんだ。分かるかい?』
『じゃあ…俺達…居場所を探せったって…どうすりゃいいんだよ?』戸枝が堪らずに訊ねた。
『だからよ、言ってるじゃねえか。まずはお互いの距離を一定に保てってよ。4人ともお互いは見えるだろう?それに自分以外の3人がどう見てるかも見るこたあ出来ねえかい?出来るだろう?4つのよ、絵を重ねてみな。それがおんなじなら距離もおんなじってことだからよ』
『あ、そうか!…おい、みんな…他の3人を見るんだよ。それをさ、他の3人にも送るんだよ。4つの映像が上手く重なればいいんだ…』最初に気が付いたのは荒木だった。

『でもさ…ふらふらしちゃうよー。1ヶ所にじっとなんて出来ないよ…』葉月が言った。
『まあ、文句ばっかり言ってねえでやってみな。ただし簡単に出来る事じゃねえぞ。ぴったりくりゃあそこがお前えらの落ち着き場所ってことだあ。見付けられりゃあぶれる事あねえから心配すんな。こっから先ゃあおいらが教えられることじゃねえからよ。4人で根気よく見付けてくれよ。それが出来なきゃあ事あ始まんねえんだからよ。頼んだぜ。じゃ、俺は礼ちゃんに見せとかなきゃなんねえもんがあるからよ、暫く離れるぜ。おい、礼ちゃん、おいらに付いて来な』
『あ、は、はい…』

善蔵はその場から離れ始めた…移動が慣れていないのは礼司も同じである。引き離されないように懸命に善蔵の玉を追いかける…礼司が少し移動に慣れてくると、それに合わせて善蔵は速度を上げてゆく…佼龍たちの4つの玉はもはや遥か遠方にケシ粒のようになり、やがて見えなくなってしまったが、彼等がどの辺りにいるのかは見なくても何故か知覚できた。

『大分慣れてきたようだな…』礼司が一定の距離で付いて来られるようになると善蔵が声を掛けてきた。
『一体、どこまで行くんですか?』
『どこはなしだぜ。さっきも言っただろ?俺達智龍がやることはよ、この世界の核が見えなきゃあ出来ねえんだ。先ずはそれが見えるとこまで行かなきゃなんねえんだよ』
『何だか…凄いスピードですね…』周囲の色彩環境が目まぐるしく次々と遠ざかってゆく…

『こんなんで驚いちゃいけねえよ。まだまだ序の口だ。お前えに合わせてやってんだよ。本番にゃもっとすんなり移動できねえとだからな。じゃあ続けて行くぜ』

善蔵はますます移動速度を上げてゆく…礼司は懸命にそれに付いてゆく…もう周囲の変化に気を削ぐ余裕もなかった。


『そろそろこの辺りでいいだろう…おい、礼ちゃん、あれが見えるかい?』善蔵が速度を落としていった…やがて2人は浮遊状態に入った。
周囲の色彩はうっすらとした微弱なものになっていた。遥か遠くに巨大な光の渦が見えていた。4人の佼龍たちの気配はその渦の中の1ヶ所から発せられていた。

『見えます…僕らがいたところですよね?…』
『そうだ。いいかい?あれを見てろよ。俺の方を見るんじゃねえぞ。目が眩んじまうからな』善蔵がそう言うや否や、善蔵の玉から物凄い量の白光が発せられ、世界を照らした…遠く色彩が渦巻くところに巨大な何かが見える…礼司は必死で目を凝らした。

礼司たちが皆といた場所は、単なる色彩の渦ではなかった。そこに見えたのは…周囲に七色の色彩を発する純白の生物…長い身体をくねらせて身悶える蛇のような…いや、龍だ…息を荒げて何かに組み付く巨大な白龍だった。様々な色彩の渦はその白龍から発せられるものだった。
戸枝たち佼龍の存在は丁度その頭部付近に感じられる。

『凄い…龍だ…』礼司が呟く。
『そうだ…見えたかい?』
『ええ…でも…あの龍は…何なんですか?』
『俺達だよ。俺達が宿してる力の本体だ』
『でも…あの龍は、一体何を…あ、もう1匹、龍が…』色彩の渦の中から白龍の姿がはっきり見えてくると、組み付いているものの姿も見えてくる…
暗黒の闇に見えるが…そこにははっきりとした形が…漆黒の身体に周囲の光を吸収する黒龍だ。
その肢体は白龍をさらに一回り大きく凌ぎ、同じく身体と四肢の爪でしっかりと相手の白龍に組み付いている。

『分かったかい?あれは黒龍だ。白龍の力を呑み込もうとしてるんだ』
『僕たちとは違う龍なんですか?僕たちの敵とか?…』
『白龍は黒龍の力を抑え込もうとしてる…でもよ、どっちが善でどっちが悪って訳じゃあねえんだぜ。俺達白龍はよ、黒龍がいるからこの世に存在するんだ。白龍と黒龍はよ、言わば一体なんだな。ああやって組み合ってよ、お互いの力を抑え合って、お互いの存在を認め合ってるんだ。どっちにとっても、どっちも必要ってことだな』
『もし、勝負が着いちゃったらどうなるんですか?』
『そりゃお前え、大え変だあ。白龍が勝てば、この世は氷で閉ざされる。黒龍が勝ちゃあ、火に包まれちまう。どっちにしたってこの世は死の世界になっちまうんだよ。ま、それに近いこともあったらしいけどよ、何億年も前の話だ、俺たち人間なんざあ影も形もねえ頃のことよ。俺が聞いてる限りじゃあ、ま、概ねあのまんまだな』
『でも…黒い龍の方が一回り大きい感じだけど…大丈夫なのかなあ?…』
『お、気が付いたかい?実はよ、このまんま放っとくと結構えれえ事になる…ここ2、3年でよ、黒龍の野郎急にでかくなりやがってよ…力の均衡が崩れそうなんだ。ほら、見えるかい?白龍の前脚の付け根、肩口んとこだ。黒龍の爪が深く食い込んでるだろう…』

善蔵が言う通り、白龍の肩口には黒龍の前脚の爪が鱗を貫いて深く食い込んでいるのが分かる。白龍はその痛みを必死で堪え、黒龍の力をかろうじて抑え込んでいるように見える。
『あそこから気が吸い取られっちまうんだ。御所さんに協力して貰ってよ、あれだけでも何とかしようとしたんだけどよ、なかなかしぶとくてな、体勢を建て直すにゃ今一つなんだ。白龍さんも気が弱ってきちまってるからよ。ここは一発早急に力を注ぎ込まなきゃあってとこだ』
『僕は…一体何をすればいいんですか?』
『今日のところは、まあ、俺がやることを見てるだけでいいからよ。いいかい?少し離れてな』
『はい…』

礼司が距離を置くと、善蔵から放たれていた光が一旦治ると…善蔵の意識が礼司に開かれた。
力が中心に集められ。やがて意識の中核が振動するように震え出した…次の瞬間、集められた力が一気に放たれる…細い閃光が物凄い勢いで白龍の肩口に到達する…力を得たのか、白龍は肩に食い込んだ相手の前脚を引き剥がそうと満身の力で身じろぐ…しかし、その力は幾度かの抵抗を繰り返しただけで、さらに強力な相手の力に抑え込まれてしまう…再び均衡状態に戻った…

『ふう…今の俺にゃこんなところが精一杯だ…どうだい?おいらがどうやったか、分かったかい?』
『…はい…力の集め方は、なんか分かりました。でも、あれ、どうやればあんな風に正確に飛ばせるんですか?』
『ありゃあ、前に御所さんが俺用に印を付けといてくれたからだ。俺達ゃ力を懐に溜めて、一気に吐き出すことに専念するんだ。思いきりだ…ただし、むやみにやらかすんじゃねえぞ。やたら周りに撒き散らすとよ、えれえことになるからな。まずは力を集めて送り込む練習だ。いずれ御所さんにも手伝ってもらってよ、一緒にやってもらうからよ』
『…はい…』
『じゃ、今日はこの辺にして、皆のとこに戻るとするか…』


元の場所に戻ると、戸枝たち4人は四苦八苦しながら何とかフォーメーションらしきものを創り上げていた。4人は円陣となっていたが、未だそれぞれフラフラと定位置を掴めず、円陣自体も回転を繰り返していた…

『ゼンさーん…これ、難しいよお。いくらやってもちゃんと出来ないよお…』葉月が訴えた。
『おう、大分形になってきてるじゃねえか。上等上等…そうそうすぐに出来るもんじゃねえんだよ。そのまま続けてりゃだんだん決まってくるからよ。ま、根気よくやるしかねえな』
『俺、なんだか目え回ってきたぜ…』戸枝は思い通りにならない不自由さにうんざりしている様子だった。
『はは…そろそろ、みんな疲れてるようだな。今日はこの位にしとこうか。お前えら4人はよ、当分これを毎日続けてくれよ。俺と礼ちゃんは他にやることがあっからよ、明日からは4人だけでやるんだぜ。いいか?分かったな。じゃあ、皆戻るぜ…』


その後、訓練は智龍2人と佼龍4人に分かれ、それぞれに進められていった。
半月も経つと礼司は空間の中で自在に力を制御することが出来るようになったが、佼龍たちのフォーメーションが完成するにはまだまだ時間が掛かりそうだった。
訓練は1日2時間程度が限界だった。朝の訓練を終えると4人の精神疲労は著しく、その日はとてもそれ以上の成果を上げる事は出来なかった。

戸枝たちは午後の時間をゆったりと過ごすことで、翌日の鋭気を養った。全員が善蔵が言っていた『阿蘇山の霊力』の大切さを思い知った。

第27話につづく…

第1話から読む...


連載小説『仙の道』では表紙イラストを、毎回一点イラストレーターであり絵本作家でもあるカワツナツコさんに描き下ろして頂いています。

カワツナツコさんの作品・Profileは…
https://www.natsukokawatsu.com





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