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介護施設の経営者。 【キャリア】訪問介護の管理者、サービス提供責任者、ヘルパー、介護タ…

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介護施設の経営者。 【キャリア】訪問介護の管理者、サービス提供責任者、ヘルパー、介護タクシーの運転手、介護施設の廃止経験あり。

最近の記事

義務要件なのは分かるが、「基準型」で届出していないと「減算型」とみなされるのは腑に落ちない

■ 「減算型」の新設と行政への届出 令和6年度の介護報酬改定において、高齢者虐待防止や業務継続計画(BCP)策定などが義務化となった。これにともない「高齢者虐待防止措置未実施減算」「業務継続計画見策定減算」も新設された。 人々の生活だけでなく社会情勢も地球環境も多様化していることもあり、医療福祉業界は義務要件がどんどん増えている。なお、減ることはない。 介護保険制度では義務要件を満たしていないと、行政指導のうえで要件に沿って体制を是正するか、あるいは「減算」として介護報

    • 「社会に必要なもの = 世間が高いお金を出してもほしい」 というわけではない。 このあたりを履き違えていると「社会に必要とされる仕事を しているのに給料が低い」という不満が生じてしまう。 給料の低さを愚痴る暇があれば、自分の仕事の認知度を社会 に広める努力をしてはいかがか?

      • すぐ対策を講じることは必ずしも良いとは限らない。様子見により「なぜ?」を見極めることも介護の役割

        ■ 問題行動と介護拒否 認知症介護では「問題行動」という言葉が使われる。そこそこ介護に携わった方であれば、この言葉が不適切だということはご存知であると思う。 問題行動としているのは介護者であり、認知症である当人にとっては自身の行動を問題なんて思っていない。 だからこそ、下手に介護者側の認識で制止しようとしたり、介護者側の常識を押し付けようとすると、認知症である当人から反発される。 これは状況によって「介護拒否」という言葉になる。介護者は当人にとって必要な支援をしようと

        • 人間関係は、”褒める”より”受容”が大切だと思う。 受容の基本は「相手を否定しないこと」。 だが、他人を否定しないことは褒めるより難しい。 そもそも多くの人は、褒めるどころか自分という存在も 否定しがちである。 他人を受容する前に、まず自分を否定しないことが大切かも。

        義務要件なのは分かるが、「基準型」で届出していないと「減算型」とみなされるのは腑に落ちない

        • 「社会に必要なもの = 世間が高いお金を出してもほしい」 というわけではない。 このあたりを履き違えていると「社会に必要とされる仕事を しているのに給料が低い」という不満が生じてしまう。 給料の低さを愚痴る暇があれば、自分の仕事の認知度を社会 に広める努力をしてはいかがか?

        • すぐ対策を講じることは必ずしも良いとは限らない。様子見により「なぜ?」を見極めることも介護の役割

        • 人間関係は、”褒める”より”受容”が大切だと思う。 受容の基本は「相手を否定しないこと」。 だが、他人を否定しないことは褒めるより難しい。 そもそも多くの人は、褒めるどころか自分という存在も 否定しがちである。 他人を受容する前に、まず自分を否定しないことが大切かも。

          退去者の"置きみやげ"の流用はやめたほうが良い。退去時の荷物はすべて引き取ってもらおう

          施設運営として激しく同意した投稿があった。 退去した利用者の衣類を現行の入居者に着せることへの疑問である。 これはいわば衣類の”リユース”であり、前向きに見ればエコでもある。 新しく衣類を購入しないことからも経済的でもある。 ・・・が、退去した利用者の名前をマジックペンで消してまで行うことなのだろうかと、私もつくづく疑問を抱いていた。 ここでマジックペンを消すという意味が分からない方のためにお伝えすると、介護施設は複数人の利用者が入居しているため、衣類に目印がないと洗

          退去者の"置きみやげ"の流用はやめたほうが良い。退去時の荷物はすべて引き取ってもらおう

          「悩むこと」は悪いことではない。 仏教では”悟り”という言葉があるが、 悩みこそが悟りの起点になるらしい。 悩んでいる間は苦しいが、それはきっと 良い方向に向かうためのプロセスかも。 さて、たまにはじっくり悩むとするか。

          「悩むこと」は悪いことではない。 仏教では”悟り”という言葉があるが、 悩みこそが悟りの起点になるらしい。 悩んでいる間は苦しいが、それはきっと 良い方向に向かうためのプロセスかも。 さて、たまにはじっくり悩むとするか。

          新規利用者の入居時、施設職員はその方ばかり目を向けてしまう

          介護施設は、食事と居室などの生活環境の提供とともに、利用者の状態に合わせた介護サービスを提供する。 ただの賃貸物件ならば、不動産屋が本人と顔合わせするのは見学や入居時の契約くらいである。 しかし、介護施設は入居してからは職員と利用者が毎日のように顔を合わせて、かつご本人の生活空間と心身状態に深く関わることになる。 そのため、本人の状態把握だけでなく関係づくりが重要となる。 このような理由もあるためだろう――― 施設に新しい入居者が入った直後の施設職員の態度は少し違う。

          新規利用者の入居時、施設職員はその方ばかり目を向けてしまう

          たまに「自分だけ情報が来ない!」と怒るスタッフがいる。 その内容を聞くと、本人に口頭で伝えたり、回覧や掲示にて 周知していることだったりする。 よほどの機密情報や情報制限がない限りは、どのスタッフも 情報量は共通である。 単純に情報を”自分ごと”として受け止めていないだけ。

          たまに「自分だけ情報が来ない!」と怒るスタッフがいる。 その内容を聞くと、本人に口頭で伝えたり、回覧や掲示にて 周知していることだったりする。 よほどの機密情報や情報制限がない限りは、どのスタッフも 情報量は共通である。 単純に情報を”自分ごと”として受け止めていないだけ。

          介護でイラっとしてもいいが、プロフェッショナルとしての姿勢は大切

          介護の仕事をしていると、サービスを提供する相手である高齢者にイラっとすることがある。 「介護のプロがそんなことを言っては駄目だ」と言われるかもしれない。 ――― いやいや、介護の仕事をしているからといって聖人ではない。 「高齢者は社会的弱者なのだから、慈愛の心で接しなければ」と説かれるかもしれない。 ――― いやいや、社会的弱者でも自我が強い高齢者は少なくない。 もちろん、イラっとするからといって表に出すことはない。心でイラっとして顔は笑っていることは普通にする。

          介護でイラっとしてもいいが、プロフェッショナルとしての姿勢は大切

          感情的になること自体は、別に悪いことではない。 問題なのは、感情を爆発させて自分でも制御できないほど 非理性的な行動におよんでしまうこと。 なるべく他人の批判はせずに「自分は怒っている!」とか 「私はとっても悲しいのだ!」とか感情を表現することは 時々はあって良いと思う。

          感情的になること自体は、別に悪いことではない。 問題なのは、感情を爆発させて自分でも制御できないほど 非理性的な行動におよんでしまうこと。 なるべく他人の批判はせずに「自分は怒っている!」とか 「私はとっても悲しいのだ!」とか感情を表現することは 時々はあって良いと思う。

          介護の仕事は現場だけで成立しているわけではない、たまには事業理念を振り返る意義

          介護の仕事は、計画性が大切である一方で柔軟性も問われる。 スキルや手順を念頭にしつつも、利用者たる高齢者の支援を第一にする気持ちも大切である。 これらはバランスがが大切である。 「介護現場は流動的だから計画とか手順なんて通用しない!」と言う介護職員がいるが、流動的だからと言って個人プレイに走られても困る。 かつて某ドラマの劇場版で「事件は会議室で起きているんじゃない、現場で起きているんだ!」というセリフが注目されたが、経営や運営の立場になってみると少し違うと思うように

          介護の仕事は現場だけで成立しているわけではない、たまには事業理念を振り返る意義

          「勉強って社会に出て役に立つの?」という質問がある。 「勉強しても社会で役には立たないよ」とでも言えば満足 なのだろうか? たぶん、このような質問をする時点で勉強したほうが良い と分かっていると思う。 とりあえず、役に立つかなんて考えないで1日5分でいい から勉強しよう。

          「勉強って社会に出て役に立つの?」という質問がある。 「勉強しても社会で役には立たないよ」とでも言えば満足 なのだろうか? たぶん、このような質問をする時点で勉強したほうが良い と分かっていると思う。 とりあえず、役に立つかなんて考えないで1日5分でいい から勉強しよう。

          「感覚」から「数字」を根拠にする

          介護の仕事に携わるようになって思ったことは、現場における判断や選定基準が「感覚」に頼っていることである。 感覚の問題点は、個々によって異なることである。 例えば、ご飯の量を決めるときに「普通よりやや多め」と言われたらいかがだろう?  お茶碗の半分を超えてご飯を盛り付けするのか?  いや、そもそも「普通」の量がわからない。 基準がないのにどうしようもない。 このような個々の感覚によると、結果も個々に異なってしまう。ご飯の量だって大きくは違わなくても、盛りつけする人によっ

          「感覚」から「数字」を根拠にする

          「人手を増やして欲しい」と要請されることがある。 その主な理由は、個々の業務負担が大きいから。 業務負担の軽減は大切なことであるが、それは無駄の 削減という意味である。 人手を増やして業務負担が軽減されたとしても、現状 と同じ価値しか生み出せないなら、それもまた無駄である。

          「人手を増やして欲しい」と要請されることがある。 その主な理由は、個々の業務負担が大きいから。 業務負担の軽減は大切なことであるが、それは無駄の 削減という意味である。 人手を増やして業務負担が軽減されたとしても、現状 と同じ価値しか生み出せないなら、それもまた無駄である。

          認知症チームケア推進加算ができた背景は、グループホームの意義が曖昧になっているからかも

          グループホームを運営している立場として、考えさせられた記事を読んだ。 この記事を投稿した、おおさわさんの着眼点は全体的に非常に鋭い。 そして、認知症対応型共同生活介護と銘打っているのに、なぜ今さら「認知症チームケア推進加算」なんてものが登場したのかを考えてみた。 これは個人的な考えであるが、おそらく、高齢化社会はもちろん、社会も利用者も多様化していることから、グループホームの役割が曖昧になりつつ あることが要因であると思われる。 おおさわさんの記事にもグループホームの

          認知症チームケア推進加算ができた背景は、グループホームの意義が曖昧になっているからかも

          「軸がある人」と「頑固な人」は紙一重だと思う。 一貫性のある生き方は、魅力的で理想的かもしれない。 でも、他人の話に耳を傾けなかったり、時代に合った 考え方をしないと、軸が強いほどに苦しくなる。 現代において軸とは、硬さより柔軟性が大切なのかも しれない。

          「軸がある人」と「頑固な人」は紙一重だと思う。 一貫性のある生き方は、魅力的で理想的かもしれない。 でも、他人の話に耳を傾けなかったり、時代に合った 考え方をしないと、軸が強いほどに苦しくなる。 現代において軸とは、硬さより柔軟性が大切なのかも しれない。