見出し画像

片親の子がグレる、とは限らない話。

父親の顔を知らない。

と言うと、かなりの確率で「あっ…聞いちゃいけないこと聞いた…」という表情に出くわす。
当の本人は何とも思っちゃいない。家庭の話とはそういうものだ。
本人はもうその状況に慣れて、というよりそれが当たり前で生きている。
だから、そんな「しまった」みたいな顔をされると、こっちの方が「ああしまった、言わなきゃよかった」などと感じてしまう。しまったの応酬。

片親、幼少の頃は祖父母に育てられ、かつて自分の母親は夜の水商売。
ここまで聞くと、その子供=真っ直ぐ育てなかった。所謂グレた経験を持つ子供を想像されることが多いのではなかろうか。

勿論これは私の話だ。
そして、結論から言ってしまうと、私は全くグレずにめちゃくちゃ真っ直ぐ育って現在に至っている。自分で言うのもなんだけど。
こんなやつも世の中にはいるよ、と言う観点で聞いていただけたら嬉しい。

物心ついた時には不在の父親。
すると子供はどうなるか。
「お父さん」という言葉を知らずに育つことになる。
小学校一年生の頃、父の日にお父さんの顔を描きましょうと言われた私は立ち上がって先生のところまで行った。
「先生、おとうさんってなんですか?」
本気でそう質問した。
知らなかったのだ。
先生もさぞかし困ったろう。
結局私は祖父の絵を描いた。
授業参観で母親が来た時、先生がその絵を渡しながら「この子は父親がいない辛さを見せずに、しっかり頑張っています!」的なことを懸命に伝えていた。
そういうんじゃないんだけどなぁ…と子供心にも思った記憶がある。
辛さなんてそもそもない。
初めからいないものを辛く思うことはできない。

やがて思春期を迎えた頃、私にもそれなりに多感な時期になり、自分の父親に興味が湧いた。

信頼して打ち明けた友人(と今は全く思っていないが)に「どんな血が流れてるかわからなくて気持ち悪い」と陰口を叩かれていた時は流石に泣いたけど。未だにちょっと思い出しては、そいつのことを呪い続けている。

自分の父親がどんな顔や名前で、今どこで何をしているか知りたくなった。時期があった。
ちなみにその頃、私の母は再婚して第二の父親と同居が始まり、数年後に離婚する。
その後も彼氏が2回くらい現れては消えていった。
私の思春期は、母親と彼氏たちの影響を多大に受けて過ぎていった。
彼氏とうまくいっていれば家の中は平和だし、喧嘩していればギスギスする。
数年ごとに変わる彼氏を「外ではお父さんって呼んでね」と母から頼まれる。
中学の卒業式の時にいた父親は、高校の入学式にはもういない。
高校の卒業式にいた父親は、大学の入学式の頃には別れていた。
入れ替わり立ち替わり現れる父親らしきひとを、私の友人たちも適度な距離感で見てくれていたのがありがたかった。

大人になり何年も経ったある日、私の子供たちと母親と海辺へドライブしたことがあった。
渋滞がひどく、なかなか目的地に着かない中、やがて子供達は寝てしまう。
静かな車内でぼんやりしていた。その時、なぜか今なら話題に出せると、自然に口から言葉がこぼれた。
「お父さんってどんな人だったん」
母は特に驚きもせず、いつもの口調で返してきた。
「あんたにそっくりだよ」
…そうなのか。
私の顔は母親に非常に似ている。ならば性格が似ているのか。それとも、顔も似ているのか。もっと聞きたいけれど、しつこくは聞きづらい。
写真ないの、と問いかけたけれど、全部捨てたんじゃないかなぁと返される。まあそれもそうかと納得する。
いつか出てきたら見せるよ、と運転席の母はこちらを振り向かずに付け加えた。
後部座席で、たぶん写真は出てこないだろうなと内心残念がりつつも、何年も何年もかけてようやくこの会話ができたことを、胸の中でじわじわと噛み締めていた。

ちなみに、父親の名前だけは、結婚した時に取得した戸籍謄本で知った。特に感動はなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?