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これから本が届くということ。

いつも投稿があるたびに、期待と憧れいっぱいでページを開く原正樹さんのnoteで、ウィリアム・トレヴァ―というアイルランド人作家の『ラスト・ストーリーズ』という本の書評を拝読した。

書評の内容の素晴らしさは、原さんのnoteそのものを読んでいただくとして(どうしてこんなにいつも、包括的なのに本質的な言語表現ができるのだろう)、じつは私は、その内容の深い洞察に行きつくまえの、この部分を読んだとき、すでに、自分でもまったく予想外なことに、泣きそうになった。
というか、泣いていた。

翻訳者、栩木伸明氏の解説によると、この本の十篇というのは、作者が88歳で2016年に亡くなる直前まで、その最後の10年間に書き溜め、しかも、こういう形で本にするつもりでほぼ完成されていたのを、死後に息子が発見したのだそうだ。つまり、78歳から88歳という高齢で書かれたものらしいのだが。

原 正樹さんのnote
2024年5月4日 11:35

上の文章はどちらかというと、事実を端的に述べた箇所。
なのにこの「78歳から88歳という高齢の年齢で書かれた」という一文で、もうノックダウンだった。
すべてが、これに詰まっていた。

最近、高齢の両親をそれぞれに看る機会に恵まれたからだろうか。それぞれの老いを、忘却を、時の移ろいを、ありのままに観る時間を与えられたからだろうか。
「78歳から88歳」までの10年間という時間の意味が、どれほどの重みをもつものか、少なくとも若い頃の自分よりは、感じ入っているのだと思う。

誰も彼もが、ゆくゆくは幼子に還っていくかのような人生で、ただ生きていることが祝福と思えるのは易しい学びではなくて。そういう時間の中で、何かを産み出すということ、創り出すということ、物語を語るということ。
そのすごさに胸打たれた。それで涙があふれたのだと思う。

ウィリアム・トレヴァーという作家を、私は知らなかった。
アイルランド系イギリス人の義母とは、今でもよく本を交換しているし、彼女やその姉妹が学んだオックス・ブリッジの学友・仕事仲間と交流においても、不思議とその作家の名を聞くことがなかった。

なぜなのだろう。

【こちらは、うちのなかなか強者の義母】

そんな彼女に、『ウィリアム・トレヴァーを読んだことがありますか?』と訊くのは、日本の東大出の人に、『夏目漱石を読んだことがありますか?』と訊くぐらい、きっと失礼なことなのではないかなあ・・・とびびりつつも、先日訊いてみると、図星だったようだ。

「ああ、ウィリアム・トレヴァーね。そうそう、ウィリアム・トレヴァー。実はね……読んだことないのよ」
彼女は、苦いコーヒーに顔をしかめるように応えた。
正直な人なのだ。

ちなみにその時、
「それはえっと、ウィリアム・サローヤンじゃなくて……」
と記憶を巡らせながらうっかり口を滑らせた彼女に、
「はい、そっちはアメリカの……」
とまた禁句を言ってしまい、
「あらそうよね、私ったらいやね。」
と本当に嫌そうな顔をしていて可笑しかった。
その昔、私が彼女の別荘に『グレート・ギャツビー』を持っていって読んでいると、「あら、あなた。アメリカ人の書いたものを読んでいるの? それはあまり文学とは言えないわね」と言ってのけた義母である。
ウィリアム・サローヤンの『パパ、ユー・アー・クレイジー』だって、実は嫁入り道具にまで持ってきているし、なかなかの名作だと今も信じて疑わないのだけれど。まあ、いいや。

それでもって、この『ラスト・ストーリーズ』。
書店で注文したことを報告した。
「読んでみて良かったら、またおかししますね」
というと、
「そうね。まあ、良かったらね」
否定はしなかったw。
っていうか、ぜったい好きだと思う。
もしなんなら、もう一冊頼んで、ちゃんとプレゼントしようと思う。

手元に届くまで3週間だそうである。

これから、本が届くということ。
いまだ読んだことのない書き手の、素晴らしい物語が届いて、それを手にとる楽しみ。そこに、今年78歳になった義母との回し読み本が増える楽しみも加わった。

人生、なかなか、味わい深いもの...。

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