見出し画像

禍話リライト「アゼバシリ」(怪談手帖)

バラエティー番組によくある、動物動画へのアテレコが嫌いになるような話である。
そういった類の番組が好きな方は、読むのを避けた方が良いかもしれない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「動物番組とか、動物をネタにした動画とかあるじゃないですか。苦手なんですよね、あたし」

Aさんはそう言ってから、僕の次の言葉を見越したように慌てて続けた。
「いや別に、動物に対する人間の傲慢さが~とか、そういう何かちゃんとした理由があるわけじゃないですよ。ただもう、ほんとに、単純に苦手なんです」
「あー……正確に言うと、ああいう番組とか動画でよく、動物の動きに合わせてナレーションで声を当てたりするじゃないですか。アテレコっていうんですっけ? アレがもう無理で」
確かにああいう吹き替えについて、わざとらしいのが嫌だとか、変に媚びたような声を当てるのは腹が立つとか、そういう声は時折聞く。
僕自身はそこまで気にせず見られる方だが、苦手だと言う人の気持ちもわかる。

ところがAさんは、そういうことじゃないと言った。
「いや、違うんですって。怖いんですよ」
怖い?
「そうそう。すっごい怖くて、ずっと見てられなくなっちゃうんです。ああいうの」
腹が立つとか不快というのではなく、怖いというのはなかなか聞かない意見だ。
「ほら、だって余寒さん、怖い体験の話してくれってことだったでしょ?」
そういえばそうだったと思い出し、俄然興味を取り戻し先を促すと、それは彼女が小学三年生のころのある出来事のせいなのだという。


Aさんの通っていた小学校の裏手に、小さなお稲荷様が一つあった。
かなり古いものだったようだが、神職さんはおらず、といって荒れているわけでもなく、存在感のそんなにない、良くも悪くも風景に同化しているようなお稲荷様だった。
学校の裏を通る通学路に面していたが、そちらを利用している子は少なかった。
Aさんはその数少ない一人であったが、やはり普段は気にしていなかったという。

しかしあるとき、帰り道で誰かの声を聞いた気がして、何気なく声のした方角――お稲荷様の中を覗いたとき、そこに不思議なものを見つけた。
鳥居の向こう、小さな祠の前に、犬に似た茶色い獣がたくさん集まって、行儀よく内側を向いて円を作っていたのである。
それだけではない。
それらはみな、鼻面を前へ傾けて、前足をまるで拝むようにして顔の前に出していた。
お祈りしてるんだ、と直感したそうだ。
お稲荷様は狐をお使いにしているということを家の人から聞いていたので、Aさんは興奮した。
「そのときは、ああ本当に狐っているんだ、って」
よく耳を澄ますと、狐たちはどうやら、むにゃむにゃむにゃむにゃむにゃと何事か低く言葉を発しているらしい。
さっき聞こえた声もこれであろうか。
不明瞭かつざわざわしていて内容はまったく聞き取れなかったが、喋ってる、とAさんは驚き、ますます感心した。
「そのときは……なんか、不思議な感じ。アニメの中の、動物のキャラクターみたいだって、思ったの覚えてます」

家の人から、お稲荷様はありがたいものだけど中に入ったり触ったりしたらいけない、と教えられていたので、中へは踏み入らず、彼女はその不思議な狐たちを密かに眺めるようになった。
帰り道で覗くと、大体いつも同じように円を作ってお祈りをしていた。
なんだかすごいものを見ている気がして、自分だけの大切な秘密にしていたという。

ところが数日経ったとき、家で新しく買ってもらった動物の図鑑を読む機会があった。
ページをめくっていたAさんは、狐の載っているページを見つけた。
色んな種類の写真が掲載されている。
今まで絵本などでデフォルメされた狐を見たことはあっても、実物の写真を見るのは初めてだった。
「そのときに、あれって思ったんですよね」
どの写真を見ても、あの稲荷の中にいる狐とは違った。
見た目からして、随分異なっているようだ。
じゃああれは、図鑑にも載っていない珍しい狐なのかな。

「そう考えたら、すごく気になってきちゃって」
それまで言いつけを守って遠くから見ているだけだったのだが、結局幼い好奇心が勝って、Aさんは次の日の帰り、辺りを見回してからこっそりお稲荷様の中へ入ってみたのだという。
茶色い狐たちは、いつもの円を作ってお祈りをしていた。
鳥居をくぐって近づいていく。
「そしたら、急に何かおかしくなったんですよ。いや、何かって言うか……声が、なんですけど」
あの、むにゃむにゃむにゃむにゃといういつも聞こえていた囁き声。
鳥居の中に入るなり、それがだんだん大きくなっていって、いきなりラジオのチューニングが合ったみたいにはっきりとした声になった。

んふふっふふふ……く、くっくく……はっはははは……

それは、知らない男の押し殺したような唸るような笑い声だった。
「え、な、なにこれって、子供ながらに混乱して」
ぎょっとして狐の群れを見ると、円の内側に顔を突っ込んで、顔に当てた両の前足をしきりに蠢かしている。
そして、声は狐たちからというより、獣の蠢きに合わせて頭の中に直接響くように聞こえてきた。
「そのときに、あっこれ狐じゃない、って分かったんです。犬でも、猫でもない。自分の知ってる動物の、どれとも違うって」
とにかく気持ち悪くなって彼女が逃げ出そうとしたとき、獣たちが前足を下ろして次々に顔を上げた。

そこで記憶がぷつんと切れているのだという。
「気付いたら家の布団の中にいて。泣きながら帰ってきたんだって、教えてもらいましたけど」
あそこで見たものがどんなものだったか、何を見たのか。
思い出そうとしても思い出せなかった。
何より、あの笑い声が頭の中に焼き付いて恐ろしくて仕方がなかった。
「それでも、あたし学校すごく好きな子だったんで。休んだりせずにちゃんと次の日登校したんですよ」
ただ、朝にはお稲荷様を見ないようにして、急ぎ足で通り過ぎたそうだが。


「それでですね、あの、話がこっくりさんのことになるんですけど」
急に彼女がそんなことを言ったので、僕は面食らった。
何でも、そのころ彼女の通う学校では、こっくりさん――実際は名前が微妙に違っていたそうだが――が流行ってたらしい。
所謂ブームの時代とは相当外れているはずだが、下の世代でもある程度ああいったおまじないは周知されているらしい。

それが今までの話とどう関係するのかと問うと、
「ちょうどそのころ、こっくりさんがおかしくなってるって、やってる子たちの間で噂になったみたいで……。あっ、仲良しの子がそういうのハマってて、その日に教えてくれたんですよ」
誰がいつこっくりさんを行っても、10円玉の指す言葉がめちゃくちゃで、意味のある言葉にならない、という事態になっていたらしい。
「ああいうのって、ほとんど自己暗示とかで動かしてるんですよね。でも、だったら誰かが言い出したわけでもないのに、急に誰がやってもちゃんとならなくなるって、変ですよね」
「まあ当時のあたしはそんなことも知らなかったし、自分がお稲荷様で見た怖いことで頭がいっぱいだったんで、いい加減に聞き流してたんですけど、その日の夕方……」

その日の授業中、Aさんは気分が悪くなってしまい、保健室で少し休んだ。
結局、その日の夕方までずっと眠ってしまい、保健室を出たときには授業はとっくに終わって日暮れ時だった。
自分の教室に戻るために階段を上がり、濃いオレンジ色になった廊下を歩いていく。
そのとき。
ちょうど通りがかった別のクラスの教室から、不意に

んふっふっふっふ……はっはははは……

という笑い声が聞こえた。
「ただの笑い声なら別に良かったんですけど。それがどう考えても、お稲荷様の中で聞いた、あの声だったんです」
ビクッと身を震わせ、そんなわけないと思いながら思わずその教室を覗くと、そのクラスの女の子たちが数人、俯くようにして一つの机を囲んでいた。
その様子がおかしい。
何かガクガクと体を揺らしながら、手を顔の前に掲げてしきりに動かしている。
そしてその動きに合わせて、

ふふっふふふ、くくくく……くふ、ははは……

あの正体不明の男の笑い声が、頭の中に響いてくる。
それを聞きながら、Aさんは非常に嫌なことを考えてしまった。
「誰かが、あの子たちで遊んでるみたいだな、って」
「そんなふうに感じちゃったんです」
その瞬間、

うぁああああああああああああああっ!!

絶叫のような大声が辺りに響き渡った。
耐えきれず尻もちをついたAさんの横を、

ぞぞざざざざざざざっ

と、目に見えない小さい獣のような何かが、大量に通り過ぎていった気配がした。
「その子たち、あのときのあたしみたいに、こっくりさんを始めたときから記憶がなかったんだそうです。半分パニックみたいになっちゃったんだけど」
しかし、ただの集団パニックではなかった証拠として、Aさんの聞いた最後の「うぁああああああああっ!!」という絶叫は、教室の外の他の教師や生徒にも聞こえていたのだという。


お稲荷様の祠の前で、身元のまったく分からないホームレスの死体が見つかったのは、あくる日のことだった。
「当時の友達とか先生とかは、そっちの方をむしろ覚えてるみたいで。まあ当たり前ですけどね。昨夜まで何もなかったのに、そこに死体があったんだから。一体誰がこんなことを、って」
死体は腐敗していて、さらには全身を食い荒らされていたという。
検死の結果、死因は病死。食い荒らしたのは野犬の仕業だろうという結論になった。
しかし、どう見ても死後数日は経っているこの遺体が、それまでどこにあったのか。
そして一晩のうちに誰が祠の前まで運んできたのかについては、わからないままに終わった。

その辺りの事情をAさんが知ったのは後年のことで、ただ当時は騒ぎの中で小学生でも知れるような、「お稲荷様に死体があった」ということしかわからなかった。
「だから、そのときは、何の根拠もないんですけど。勝手にこう考えちゃったんです」
――ああ、そうだったんだ。ずっとあのお稲荷様の中にいたんだ、その人。
「あの時見た、狐だと思っていたものだけど、お祈りだと思っていたあの動作だけど、きっとあのとき、あの動物たちはその人を食べてたんだって」

実際には、彼女が獣を目撃したときには、死体はそこになかったはずなのだが、それでも。
そして、あの笑い声は死んだ男の声だったのだと、小学生だったAさんは確信した。

「いや、それがおかしいというか、ありえないことだってわかるんですよ」
「でもあの男の人の笑い声って、今でもずっとあたしの頭の中に残ってて」
「時々ふっと考えちゃうんですよね」
「よくわからないものによってたかって貪られてたのに、あの人なんで笑ってたんだろうな……って」

「アテレコが怖いっていうの、わかってもらえましたか」
彼女は困ったように笑った。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
著作権フリーの怪談ツイキャス「禍話」2021年8月15日放送分の内容から一部文字起こしさせていただきました。https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/696707959

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?