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私が麻雀に人生を救われた話1

1月は自己紹介も兼ねて、生い立ちから麻雀プロになるまでの軌跡を「私が麻雀に人生を救われた話」として綴っていこうと思います。コラムやエッセイのような感覚で気軽に読んでもらって、私のことを少しでも知ってもらえたら嬉しいです。

できるだけたくさんの方に読んでほしいので、しばらくは無料公開の予定です。ただモチベーションやコンテンツとしての価値を確立したい気持ちもあるので、後半は有料記事にするかもしれません。

私が麻雀に人生を救われた話1
〜幼少期編〜

私は尼崎生まれ尼崎育ちの、コテコテの関西人の父と母の間に生まれました。どれくらいコテコテかといえば、父は高校時代落研(落語研究会)に所属、そして母は同じ高校に通う父のひとつ後輩で落研のマネージャーをしていたくらいにはコテコテです。なかなかのコテコテ具合です。胃もたれしそうです。

そんな両親は、高校時代に交際をスタートさせ、父が大学院を卒業して就職したのをきっかけに結婚しました。父の就職先が愛知県でしたので、両親は生まれ育った尼崎を出て愛知県に引っ越すことになりました。私が愛知県出身であるのはそのためです。

兄弟はひとつ年上の兄がいます。これまたコテコテの変わり者です。どの程度のコテコテかというと、中高一貫して制服は夏服しか着ないという「学校に1人くらいはいるよね〜」っていうタイプのコテコテです。もはやカタカナにも関わらずコテコテがゲシュタルト崩壊しそうです。
ちなみに癖が強いだけで、性格は穏やかで平和主義。虫も殺せないような、心優しい人です。

そんな家族のもとで育った私ですが、母が言うには「あんたは小さい時から物事を俯瞰で捉えるというか、人生を達観したような子供っぽくない子供だった」そうです。
めちゃくちゃ可愛くないですね。まずいです。キャラクター崩壊の危機です。

私の記憶では、基本的に家の中で大人しくお絵かきしているような陰キャ幼児からスタートし、小学校に入ると子供ながらに人間関係の複雑さに苦悩して学校に行けなくなった時期もありました。
虚弱体質で、小中高の修学旅行では毎回熱を出していたし、とてもセンシティブな子供だったのは間違いなさそうです。

ところが小学校高学年になり、お絵かきだけでは飽き足らず漫画を描き始めたのですが、これがなんとコテコテのギャグ漫画だったのです。センシティブが聞いて呆れます。やはりDNAには抗えないのでしょうか。

ハートに足が生えたような宇宙人が主人公の、1話ずつ完結するタイプのギャグ漫画をノートに殴り描き、1話描くたびに母に半ば無理矢理読んでもらって感想を聞いていました。紛う事なき黒歴史です。
しかも母は母で、いたって大真面目に「ここのオチ甘いんと違う?」とか指摘してくれるわけです。なんとできた母親なのでしょう。
ちなみに主人公の友達であるタラコ唇の宇宙人も登場した気がしますが、思い出そうとすると私の大脳辺縁系や海馬が悲鳴を上げるので、漫画の内容の話はここまでにしておきます。

ただ、今となっては漫画を読まされ感想を強要されていた母がとても気の毒に思えますが、母としては私の子供っぽい一面を見たことでホッとしていたかもしれません。
もし小学生の私が死生観だとかフィロソフィーだとかを題材にしたダークな漫画を描いていたとしたら、それこそ自分の子育て方法が間違っていたのだろうか、と頭を抱えていたことでしょう。

中学生くらいからは、ある程度コミュニケーション能力も上がってきたのか不登校はなくなりました。
ただ、やはり外で遊ぶよりも家で過ごすことが多く、ここでまた新たな黒歴史が幕を開けることになります。

次回〜学生時代編〜へ続く

いつも応援ありがとうございます(∩ˊ꒳​ˋ∩)もっともっと頑張っちゃいますので、楽しんでいただけましたら是非ぽちっとお願いします♡