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私が麻雀に人生を救われた話2

前回のお話

前回の記事を改めて読んで、こんなタイトルを掲げながら麻雀の麻の字も出てこなかったことに気付きました。
今でこそ毎日麻雀のことばかり考えて過ごしていますが、子供の頃は、なんとなくルールを知っていて、家族みんな「なんとなくルールを知っている状態」でたまに家族麻雀をする、くらいの濃度でした。

今日は中学時代のお話です。先に断っておきますが、麻雀の話はまだ出てきません。「麻雀に人生を救われた話」をする以上、人生において救いようのないくらいの絶望や挫折が必要かと思いますが、今のところ陰キャ幼児がいくつかの黒歴史を刻み始めたところ。救いようのない人生と言うにはまだまだ程遠いのです。(たぶん)

私が麻雀に人生を救われた話2
〜中学時代編〜

まず初めにお伝えしたいのは、私の過去の記憶の中で最も記憶が曖昧な時期がこの中学時代だということです。小学校で不登校を経験し、人間関係が複雑で煩わしいものであることを幼いながらに学んだ私は、学校ではなるべく目立たないよう、波風立てないように生きようとしていたのだと思います。

恐怖のテディベア

私の通う中学校では、部活動への参加が義務付けられていました。選んだ動機を1ミリも思い出せないのですが、私は部員数10数名ほどの手芸部に入りました。覚えているのは、顧問の女性の先生がルイ14世の肖像画にめちゃくちゃクリソツだったということくらいです。

文化祭の文化部展示発表で「テディベア祭り」と銘打って、たくさんの手作りテディベアを展示しようということになりました。
部員は10数名で各自ノルマ2体、という約束にも関わらず、文化祭3日前に集まった時には合計5体しかテディベアがいないという危機的状況でした。そのうち2体はもちろん私の作ったテディベア。昔から、自分の仕事はきっちりこなすタイプです。

しかしルイ14世は当然ブチギレ。人の怒りにめっぽう弱い私は、恐怖におののき残りの3日間でテディベア5体を作りルイ14世に上納しました。夜なべをしてテディベアを作りながら、いや手袋じゃないんかい!和洋折衷か!とセルフツッコミをいれるくらいには精神的に追い詰められていました。そうして作られたテディベアは、どこか悲しげな表情をしていたようにも思えます。未だに裁縫や編み物は好きですが、私が今後テディベアを作ることは二度とないでしょう。

Welcome to underground

学校では大人しくしていた私ですが、家に帰ればよく喋り、好きなことをして好きなように過ごしていました。そして私は文明の利器、パソコンと出会います。

信仰心だけは人一倍で、中学生になってもサンタさんは来てくれていましたので、サンタさんにペンタブレットをもらい、パソコンで絵を描き始めました。
作品が溜まってくると、母に見せるだけでは成長した私の承認欲求は満たされず、とうとうホームページを自作してイラストを載せるようになりました。

当時の流行りといえば、キリ番や隠しページ。私のホームページの隠しページは、トップページを最後までスクロールした右下に、背景色で小さくENTERと書かれた文字をクリックすると、パスワード入力画面が出る仕組み。パスワードは"管理人の名前を逆からアルファベットで入力しろ"というもの。パスワードを入力してようやく、「Welcome to underground…」と囁やかれ、闇属性のイラストを見られるわけです。定型文かというほどのオーソドックスな黒歴史ですが、思い出すだけで私の海馬は瀕死です

多趣味な父

父はとても多趣味な人で、いろんなことを知っているしいろんなものを持っていて、私に知識と経験を与えてくれました。知識と言っても勉強という意味合いではなく、より人生を豊かに楽しむためのもの、という印象です。

最初に父に教わったのはアコースティックギターでした。私は3歳からピアノを習っていたのですが、中学生になった頃に家の物置きで埃を被っていたギターを見つけ、「ギターもやりたい!教えて!」と父にせがみました。
父は嬉しそうに、じゃあ最初は出てくるコードが少なくて簡単な曲からやったらええな、と言ってかぐや姫の「神田川」の弾き語りを教えてくれました。

平成のご時世に、愛娘(13)にギターを教えてくれと言われて、一発目にかぐや姫をセレクトする父親がどこにいるというのでしょうか。しかもコードとしてもBは出てくるわそもそもアルペジオ(指で1,2弦ずつつまむようにして弾く演奏方法)だわで、今となっては「絶対最初に練習すべきではない」寄りの曲だなと思います。

しかし当時の私はそんなことなど知る由もなく、押さえる弦と弾く弦を覚えながら、1週間後には立派に「あなたは、もう、忘れたかしら…」と哀愁漂う南こうせつを完全に再現できるようになっていました。子供の吸収力ってすごいですね。

その後もコードや演奏方法などは自力で覚えながら、父が好きな昭和の名曲をたくさん教えてもらいました。その中でもアリスは大好きで、今でもスマホの音楽データにアリスのベストコレクションが入っているくらいです。一番好きな曲は「狂った果実」です。もはや何が狂っているのかわかりません。

さらに当時、父は会社の友人と「定年後プラン」というイカした名前のバンドを組んでいて、たまの土日にスタジオを借りて練習に行っていました。ちなみに担当はギターではなくドラムです。こうなったら私も連れて行ってもらうほかありません。
初めてドラムの前に座り、最もシンプルなエイトビートを教わってすぐに叩けたときの(さすがワシの娘やで)とでも言いたげな父の満足そうな顔は今でも覚えています。

こうして私は中学生にして裁縫やホームページ作成、そしてピアノ、ギター、ドラムをこなす多趣味な陰キャとして成長を遂げたのでした。

次回〜高校時代編〜へ続く

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