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母の日と、いつもヘルメットだった母

僕の記憶にある母は、いつもヘルメットをかぶっていた。

競馬場でおっちゃんたちが読む競馬新聞を、卸から町のタバコ屋にカブというバイクで運ぶ仕事をしていたからだ。

カブの荷台にバカでかい箱を積んで、競馬新聞を溢れるくらい突っ込んで、よろよろしながらタバコ屋に配達する。何十軒も回って、ようやく空に。

空になった箱に、保育園の終わった小さい僕を乗っけて、江東区の下町を走る。砂町商店街で塩うどんを買って、団地の家に帰る。

そう、小さい頃から、文字通り働く母親の背中を見て育ったのだ。
カブの荷台から。

我が家は経済的に厳しい家庭だったから、母が競馬新聞の配達で働くことでようやく回っていたのだろう。小さい体でヘルメットをかぶって動き回る母は、何かと闘う兵隊のようだった。

電子レンジひとつ使えず、子どもとキャッチボールもしたことのない父親の代わりに、母は母親と父親の両方の役割を担っていたように思う。

「駒崎くん、鍵っ子で可哀想ね」

ある日、友達の家に遊びに行った時に、友達のお母さんに言われた言葉が、胸に突き刺さった。

そうか、自分は可哀想なのか。

母が働いて、家にいないから?そうなのだろうか。

働く母は、かっこ良かった。カブでかっ飛ばしてる母親なんていなかったし、お金のない我が家を支えているのは、母が競馬新聞を運んでタバコ屋さんからもらう百円玉たちだったのだ。

泣きながら友達の家から飛び出した。
何が悲しかったのかは、当時の僕には分からなかった。

あれから30数年。

自分はいつの間にか、保育園だったり病児保育だったり「働く母親を支える」仕事をしている。

今になって分かった。

僕は、可哀想なんかじゃない。
お母さんも、可哀想なんかじゃない。

母親が働くことは、素晴らしいことなのだ。

子どもは働く母親の背中を見て育つ。
そして心から誇りに思うのだ。

今でも、かっ飛ばしたカブの荷台から、流れる町の景色を覚えている。
タバコ屋のおばちゃんの「あんがとね!」という笑顔を覚えている。
そしてそれは、僕の心の宝箱の中で、キラキラと輝いているのだ。

すべての働くお母さんたちに、心からの感謝を。
子どもたちは、きっとあなたを誇りに思うでしょう。
ふとそんなことを伝えたくなりました。
母の日に、愛を込めて。


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