1999年の事でしたが、母方の祖母が亡くなりまして。 実はその一週間前に連れ合いである祖父が亡くなっておりまして、 「爺さんが寂しがって呼んだのかねぇ」 なんて事を親類一同で言ってたりしましたんですが。 通夜、告別式と進みまして葬儀場から一旦火葬場へと移動する事になります。 二月。真冬の北海道ですけれどその日は雲一つ無い快晴でしたし、勿論うっすらとでも暖房が入ってもおりますから、壁一面がガラス張りの葬儀場はポカポカと温かかったんです。 祖母の遺体が窯へと収まりまし
三重県松阪市の主だった病院さんが連名で、 「救急車で運ばれて、入院にならずにご帰宅となった患者様には一律7700円をお支払い頂きます」 という措置を打ち出しまして、市民の方々の間で物議を醸しているそうであります。 これ、夜間の救急医療に携わる身としましては金額の多寡はさて置くとしましても、あながち暴論とは言えないところがありましてね。 この措置の真意は、不用不急な救急車の濫用を抑制したい。もはやこういった思い切った措置に踏み切らざるを得ない程、事態は切迫している、と
Aさんが就職したアクリル板製作工場で悪戦苦闘していた間、例の“鉄橋ミンチ事件”は着実に動いていたんであります。 川底を捜索しますと根元から指先までが綺麗に残った薬指が見つかりまして、その指にはエンゲージリングご嵌まっていた。 エンゲージリングと指紋から身元が知れて、“その筋”では有名な闇金融会社の社長である事が判明した。 有名な闇金融会社の社長ですから、殺害するに足る『動機を持つ者』は警察が絞り込むに困る程居る訳で、指を発見してから身元が判明したにもかかわらず、捜査は
Sテックの製品製作責任者がそんなありもしない疑心暗鬼に取り憑かれたのは、この会談が最終的に3時間越えのロングランに至ったからであります。 彼は“正義は我に有り”と思っていますし、データから見てAさんを問い詰め陥落させるのはいとも容易い、と信じて疑わなかった。 ところが蓋を開けてみると、Aさんはノラリクラリ、どれだけ問い詰めようが“柳に風”と受け流すわ、そうなるとこちらに(Sテック側)それ以上詰め寄るだけの決め手を欠いてしまっている。 所謂“ドヤ顔”はしていないまでも、
Aさんはネガティブシンキングな人でありますが、その上AB型でてんびん座、更には巳年生まれでありまして御本人曰く、 「執念深いどっちつかずな人間性」 だそうな。 さて、試作品の出荷を終えた直後から、Aさんの頭の中ではデータ改竄が発覚した際の相手方からの追求をどう迎え撃つか?のシミュレーションが念入りに繰り返されておりました。 本来、データ改竄などという大罪を犯した以上こちら側に弁明の余地などありません。 何せ“吹けば飛ぶような”零細企業でありますから、例えばある程度
Aさんというお方は、御本人の自己分析によりますと“臆病者の最たるもの”なんだそうで。 ただ一般的には臆病者と言いますと萎縮して縮こまり何も出来なくなる、もしくはすぐに逃げるというイメージがありますけれども、Aさんは事前にシミュレーションを重ねて「最悪こうなる」という予測を立て、そうならない為の防止策や万一そうなった場合の次善の策を二重三重に張り巡らせるタイプの臆病なんだそうで。 簡潔な言い方で申せば『ネガティブシンキングな人』という事になりますか。 「よく自信満々な人
Aさんの勤める工場の社長さんというのは実は二代目でありまして、創業者の先代は認知症を患い長らく入院の末に亡くなった。 それをいい事に当時の従業員達は工場の経営を好き勝手に私物化してしまった為、内情は火の車だったといいます。 二代目社長はそんな不良社員達を一掃し、新たな工場長を迎えて経営刷新に動いた訳ですが、実は工場に多額の資金を貸し付けていた債権者の一人だった人で、工場を建て直し利益を上げる事で債権を回収しようと目論んでいたんであります。 元はアクリル板を作るのに必要
晴れて勤め人となったAさん、とは言え始めの三ヶ月は試用期間でありますから“仮入社”であります。 そこに全くの業界未経験な上に尚且つエクセル初心者って~のがトッピングされる訳ですからね。しかも入社してみてびっくり!内勤者がAさんしか居ないんですよ。 そりゃあ最初の一月で残業が200時間を超え、仕事を覚えれば覚えるだけ任される分量が増えていくもんですから翌月も200時間代後半、最終の三ヶ月目には300を超えたそうで。 まぁ、殆ど会社に泊まり込んで週に一度しか帰宅しなければ
引っ越しましたのが生活保護を受けている役所の区域外でしたので住まいの引っ越しプラス生活保護も引っ越さなくてはなりませんでね。 まず住民票を移動した後に別部署の窓口へ行きまして、前の役所から持たされた「この人はウチで生活保護を受けてましたけどそちらへ引っ越しましたんで、今度はそちらでお願いします」という一種の紹介状を提出する訳ですが、そうなると即座に面接だというんで別室へ連れて行かれる。 で、アチラで受給されてたか知りませんけどウチはウチなので新たに審査させて頂いて……手
Aさんが連れて来られたのは某仏教系宗教団体が運営する『第二福祉団体』……全部とは言い切れませんが、この手の貧困ビジネスの組織の多くが名刺にこの『第二福祉団体』を刷り込んでいるらしいんですが……の“寮”でありました。 まぁ、大元が仏教系宗教団体だからと言って、確かに立派な仏壇が設えられた説教部屋みたいな小部屋はありましたけど、特にそれっぽい日課がある訳でもありません。 入って初日こそ“入寮契約書”だの“生活保護申請書”の記入なんかでバタバタしましたけれど、二日目に役所へ行
それから一週間はAさん、ひたすら遊び呆けておりまして……遊びって言いましても退屈しのぎにあちこち歩き回ったり、昼間っから水飲む代わりにお酒飲むとか、その程度の事だったそうですが。 その間、カプセルホテルを根城に、チェックアウトする前には新しい下着類と靴下を買って古いのをリュックに詰めて溜め込んでおりましたが、これが彼曰く「次のステップへ向けた準備」だったそうな。 自分で「遊び呆けるのは今日で最後」と見定めた日にAさん、それまで溜め込んでいた下着や靴下をまとめてコインラ
カプセルホテルを午前10時にチェックアウトしたAさんはコインロッカーでビニールバックとリュックとで中身を交換して支度を整えます。 端布の詰まった5つのゴミ袋をリュックに詰めたもんですからリュックはパンパンでありましてね。その上に革靴1足を入れて。 容量目一杯に詰めたとは言え、布の、しかも端布ですから重さは無い。重さは無いんだけれどもうそれ以上何も入らない状態ですんで、あんまり格好の良いもんではないんですが地図本は小脇に抱えて歩くしかなくなりましてね。 赤羽駅から電車
昼間の内に食料だの道具だの、“作業”に必要な物を買い揃えたAさんはビニールバックに詰め込んだ衣類を携え、チェックイン開始の午後4時きっかりに駅前通りの外れにあるビジネスホテルに籠もりました。 ベッドやテーブルなんぞに目もくれず、カーペットタイル敷の床に新聞紙を敷き詰め、昨夜まで自分が着ていた着衣やスーツの上下、男の下着類等をその上にぶちまけますというと、ただひたすらに細かく細かく、それらを切り刻み、それら衣類の端布達をごちゃ混ぜにしながらゴミ袋5つに小分けに詰めていったん
鉄橋の下を潜り抜けて以降、Aさんは思考停止の状態でただただペダルを漕いでいた。 何処へ行こうなんて当ては無く、ただただ川に沿って自転車を進め、気が付くと橋のたもとに行き着いた。 その橋は東京都北区赤羽と埼玉県川口市を繋ぐもので、橋を渡ると川口に、橋から離れると赤羽に留まる。 Aさんは赤羽に留まってメインストリートである北本通りを駅に向かって走り、途中のコンビニに立ち寄ると缶ビール2本と新聞、そして何故かハサミを買い求めた。 そのままJRの駅前まで行くとパチンコ屋の隣
Aさんは転がらんばかりの勢いで土手を駈け降りますと空き缶の出荷用に備えていた新品のビニール袋1枚と小屋の壁面から剥ぎ取ったベニア板を持って戻って来た。 手早く男の衣服等を脱がせて裸にし、剥ぎ取った着衣はビニール袋に押し込み、最後に革靴も入れた。下着や靴下は剥ぎ取るには剥ぎ取ったものの、ビニール袋には入れずにその場へ捨て置いた。 男の身体を起こし、両わきから腕を差し入れて抱え込むと鉄橋の真下まで引き摺って行き、虎ロープを両わきに通して結ぶ。 それが済むと自転車を、やはり
東京の隣県との境におよそ東京23区内とは思えぬ程長閑(のどか)な場所がございます。 大きな川が流れておりまして川っぺりが3~4m程幅の草地。そこからいきなり5m程の高さの土手が持ち上がって横幅4mの遊歩道になっている。 川を横断する形でJR貨物列車専用の赤茶けた鉄橋が通っておりまして、その下端が遊歩道から3mあるか無いかの高さ。 その鉄橋の直下、川っぺりにベニア板とブルーシートで形成された小屋が建っておりまして住んで居りますのが……仮にAさんとしておきましょうか。