厚遇される不安

相手に気に入られようと厚遇すると逆に信頼を失うこともあります。

私は定まった生活リズムで暮らしていないので深夜にコンビニへ行くことも多いのですが、最寄りのコンビニには少し変わった店員さんがいます。
彼は専ら深夜帯に働いており、私が彼を意識するようになってから既に3年以上経っています。
彼の何が変わっているかというと、決してマニュアル対応を崩さないのです。
私はいつも決まったタバコを買い、箸やスプーンは要らないと告げ、食品の暖めをお願いすることはありません。
それでも彼は言葉を聞く前にタバコを手に取ったりしませんし、箸やスプーンを付けようとしますし、暖めるかどうかの確認を取ってくれます。
そこからは不慣れな店員のマニュアル対応とは明らかに違う、公正公平な接客態度を取ろうという心がけを感じます。

私にはそれが何とも心地良いのです。

私はそれなりに良い身なりをしているけれど何の職業か判断しづらい風体をしています。ついでにですが身長もかなり高いです。
恐らくですがネット上でそこそこ収益を上げている人か資産家の息子のように見えるのではないでしょうか。
実際、不思議に感じるくらい厚遇を受ける機会もたまにあります。
異性から分かりやすく色目を使われる経験もありました。

そんな経験をしているからこそ口にできる贅沢な話なのかもしれませんが、そのように贔屓されると一抹の不安を感じます。
この人たちはきっと私が見すぼらしい風体であったなら同様の対応はしてくれず、場合によっては自尊心を傷つけられるような扱いを受けることまであるだろう、と。

そう考えた時、先述したコンビニ店員の彼の接客態度は私にとって大きな安らぎを与えてくれます。
仮に私が朝目が覚めて醜い姿になっていても、これまでと変わらない対応を取ってくれるだろうなと。
もちろんそうでない可能性もありますけどね。

中国三国時代の龐統は非凡な才を持っていましたが、醜男であることを理由に彼を軽んじる者には誠実な対応をしませんでした。
ひろゆき氏は褒められれば褒められるほどその人のことが嫌いになるという発言を残しています。

かと言って相手に合わせて最適な対応をすることは容易ではありません。
せめて自分が取っている基本的な対応方針が、どのような人に受けが良くどのような人に受けが悪いのかを知っておくことは良いかもしれませんね。
人との接し方を変えれば、親しくしてくれる人の顔ぶれも変わることでしょう。

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