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強制送還は「人生をして生きる価値あるものの全ての剥奪」

退去強制の裁判でよく引用する文献に関野昭一氏「出入国管理法制の運用上の問題点」(ジュリスト483号16頁〜 1971年)があります。

ここで、アメリカ連邦裁判所の裁判官による判示がいくつか引用されています。軽々に、非正規滞在者は送還してしまえば良いなどという言動も見受けられますが、これらを参考に、想像力を働かせて頂ければなと思います。文献自体が一般には入手しにくいと思うので、いくつか引用します。

1945年 ブリジス退去強制事件

退去強制は技術的には刑事手続ではないが、それは退去強制される外国人に煉獄の苦痛を与えるものであり、この自由の国において居住し、生活し且つ働く権利を剥奪するものである。このような退去強制は刑罰であり、ときには最も重い刑罰であることは疑いの余地がないところである。」

1948年 フォン・ハウ・タン事件

退去強制が刑罰としての「追放や遠流と同様なものである。……それはこの国における居住の剥奪である。そのような剥奪は正に刑罰である」

フォング・ユエ・チング対合衆国事件

連邦最高裁ブルワー判事意見
退去強制は刑罰である。それは、まず最初に逮捕し、自由を剥奪し、次には、家族、家庭、仕事又は財産からの離別である。そして海の彼方の遠い土地に追放することは刑罰である。しかも、それは往々にして最も峻厳且つ残酷なものである。

連邦最高裁ラーネッド・ハンド判事


退去強制は、その者にとっては文明人の共同の同意によって認められた遠流を意味し、それは正に恐るべき刑罰である。誠にそれは見知らぬ他国において身寄りのない孤独の者となし、完全な破壊である。同化しない移民を除去しようとする吾々の合理的な努力が、このような残酷且つ野蛮な結果を齎すことは国民的な恥辱である。

関野昭一氏のまとめ 「人生をして生きる価値あるものの全ての剥奪」


我が国の出入国管理法制の母法であるアメリカ移民法では、以上のように退去強制は刑罰を意味するとの解釈が大勢を占めているようである。かりに技術的には刑罰ではないとしても、退去強制が場合によっては刑罰以上の煉獄の苦痛を退去強制される外国人とその関係者に与えることは事実である。まさに「人生をして生きる価値あるものの全ての剥奪」という苦痛を与えるものである。


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