Trovatoreさんの質問「石川迪夫というひとは原子力安全委員会という委員会の委員や委員長の座を虎視眈々と狙っていたものの念願叶わず、ずっと格下の人達が任命されていたのでしょうか」への回答 日本の軽水炉安全性研究の中心的役割を担い、原研理事どころか、原子力安全委員会委員長さえ確実視されていたにもかかわらず、そのあたりの人事のメカニズムについては、分かっていないものの、石川さんの性格や人格や対人関係の問題があり、無意識のうちに、多くの敵を作りすぎたと言うのが一般的な解釈

質問

2024年5月21日 08:51
Trovatoreさんからの質問
石川迪夫というひとは原子力安全委員会という委員会(経済産業省所管かと思っていましたが内閣府)の委員や委員長の座を虎視眈々と狙っていたものの念願叶わず(石川という人から見れば)ずっと格下の人達が任命されていたのでしょうか。

回答

石川さんは、原子力開発の黎明期、原研がGE社と契約し、沸騰水型軽水炉(BWR)の動力試験炉(JPDR)を導入時、まだ20歳台で、米カリフォルニアにあったGE社に行き(1960年代初め頃は、羽田からグアム経由でハワイ経由で米国)、技術的な打ち合わせなどした経緯があり、動力試験炉の運転と定期点検において、ポンプを分解し、東大工学部機械工学科卒にもかかわらず、手を油まみれにし、保守作業に携わった経験があるなど、さらに、米国アイダホ国立研究所で、反応度事故実験を目的に留学し、原研に、反応度事故時の燃料挙動の研究のためのNSRRの建設と実験の指導をするなど、日本の軽水炉安全性研究の中心的役割を担い、原研理事どころか、原子力安全委員会委員長さえ確実視されていたにもかかわらず、ひとつ年下の佐藤一男さん(東大工学部電気工学科卒)が、研究実績がないにもかかわらず、米文献の解読から原子力安全の論理化を行い、組織指導者としての実績から、先に理事になり、石川さんは、そのことに不満を持ち、さらに、原研理事になれないことが分かり(原研首脳陣と人事部長などが出席した送別会で、石川さんは、「オレより年下で、実績のないヤツが理事になっている」と不満を述べ、周囲が困惑)、北大教授として転職し、当然、原子力安全委員会委員長どころか委員にさえなれず、そのあたりの人事のメカニズムについては、明確なことは、分かっていないものの、石川さんの性格や人格や対人関係の問題があり、石川さんは、無意識のうちに、多くの敵を作りすぎたと言うのが一般的な解釈です。
指導者になるには、人の上に出ないで、いちばん後ろで努力し、上を立て、そうすれば、黙っていても、周囲が、押し上げてくれるものですが、石川さんは、そのような社会の基本的ルールが理解できていなかったように思えます。
私は、石川さんとも佐藤さんとも数年間の付き合いがあり、ふたりの社会的実績や人間的特性を把握しています。
両者は、良い面も良くない面もあり、私は、部分的に評価します。

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