修羅場をくぐり抜けることで、得られることもある
ちょうど1年前、いつもとは違う急な胸の痛みを感じ、救急車で運ばれました。
幸い、その後の検査や経過観察で何もなくきています。今はいたって健康です。
思い返してみると、本当に「死ぬかも」と思えた初めての経験でした。
そして、本を読んだり、テレビを見たりして理解しているつもりだった、「人には寿命がある」「後悔しないように生きる」ことについて改めて考えさせられました。
理解しているつもりでも、やはり「頭」だけのことで、まだ大丈夫だろうと先送りしたり、本当はやりたいのに我慢したりして、「後悔するだろう」生き方をしていました。
さらに、7月ごろから約1ヵ月。片頭痛の発作に苦しみました。
こちらは、「死」とは違いますが、毎日定期的に襲ってくる激痛に苦しみました。
仕事や家事も含め、痛みが襲ってくると、何も手につかない状態でしたし、何も考えられなくなりました。
そして、この痛みがいつまで続くのだろうと、不安や焦りの気持ちも膨らみ、二重に辛くなりました。
その時はまさに修羅場でしたが、「そのおかげで」というところもあります。
いくつか紹介します。よかったら、お付きあください。
1 家族への接し方が変わった
家族といる時間は長くなります。そして、それが「当たり前」と思っていました。
その当たり前という思いが、いつしか、今日じゃなくても・・・とか、次の機会にと、適当に接してしまう要因になっていました。時に、仕事の方を優先して、家族からの頼まれごとなどを「めんどうくさい」とすら思っている自分がいました。
しかし、救急車で運ばれ、ひょっとしたら、「お別れかも」という思いがよぎったことで、改めて、家族との時間を見直すきっかけになりました。
別段、だからといって、頻繁におしゃべりして…と言うわけではありませんが、例えば車での送迎でも、「一緒にいる」ことをしっかりと感じる事ができるようになりました。また、ちょっとした家事など頼まれたことを、できるだけ「その場ですぐ」行うようになりました。あるいは、「~で遊ぼう」と言われたとき、昔なら、「〇〇が終わってからね(後でね)」と言って、結局、やらずにいましたが、本当にすぐ遊ぶようにもなりました。
また、実家へも多く通うようになりました。
昔は、電話すら「めんどうくさい」「自分の時間がとらえる」とすら思っていました。しかし
、一緒にいる時間もどんどんと少なくなっているんだよな・・・とどこかで感じることも増え、
親孝行と言う大げさなものではないですが、一緒にいる時間の大切さを見直せるようになりました。
それは、「人生の残り時間」について考えたことがきっかけになりました。
2 目の前のことを大切にするようになった
先の事を考えて動く。次のスケジュールを見直すことは大切なことだと思います。
しかし、私の場合はだんだんと、
「先の事のために、今の事をおろそかにする」
「未来の成功の為に、今を我慢し続ける」
生き方になっていました。
なので、どことなく、今現在が楽しくない、心弾まない状態になっていました。
それは、先の事ばかりを考え、我慢を続けていたからです。
そして、ある意味、
目の前の事に力が入らない、「いい加減」なものになっていました。
ひょっとしたら、思ったほど仕事がうまくいかなかった原因だったのかもしれません。
「明日はないかも」と思える経験をしたことで、改めて、生きていることは「今の連続」なのだと考えさせられました。
未来の事をどんなに考えても、自分ができることは、目の前の事だけということを、実感しました。
なので、最近は、仕事でももちろん、
先の事は考えて動きますが、とにかく今日やると決めたことを精一杯やってくクリア!それ以外の仕事は、明日が来たら(今が来たら)その時、また全力投球という感覚で仕事をするようになりました。
その感覚でもうまくいきますし、むしろ、気持ちは軽くなった分、ゆとりを感じる働き方になっている気がします。
3 「考えるな。感じろ」「考えるな。動け」を学べた
私はどちらかというと思考過多。あれこれ考えすぎるところがあります。
考えて、アイデアを出して次に生かせればいいですが、だんだんと考えることで「目の前の現実」から逃げることにつながっていました。さっと動く、対応すればいいものを考え事に逃げ込んでいる状態になりました。堂々巡りをして、結局、いいアイデアも浮かばず、浮かんだとしてもそれを行動につなげていないので、何も変わらず・・・という繰り返しでした。
そんな私が、片頭痛の痛みに襲われ、「強制終了」状態になりました。
その都度襲ってくる、「今、ここ」の痛みによって、考えられなくなりました。
何も手につかず、ずっと寝込んでいました。
でも、そこで、片頭痛の発作が収まった時、気付きました。
考えても考えなくても、変わらなかった・・・と。
変えるには「行動が必要だった」と。
そう、
考えるだけでは変わらない。何でもいいので、少しでも行動することでしか変わらないことを実感しました。
今現在は、
その時の経験から、考えすぎている自分に気付いたら、目を閉じて深呼吸。今、自分が何を感じているか見つめるようにしています。ちょっとした瞑想かもしれません。そして、感じたら、ちょっとでいいので「行動」までつなげるようにしました。
ほんのちょっとでいいです。
例えば、封筒のあて名を書く。具材を刻む。気になっている本棚の1か所だけでも整頓する・・・。
こうすると、考えて結局何もしないより断然よかったです。
行動することで、ちょっとした達成感もありますし、何より、終わると次の「行動」が思い浮かぶようになりました。
そして、これまでの自分がいかに、「考える」ことで、動きを封じていたかにも気づけました。
4 痛みに「強くなった」
群発頭痛かもしれませんが、発作時の痛みは尋常ではありませんでした。
そして、頭の中の事なので、痛くても手でさするわけにもいかず、ただ「嵐」が過ぎ去るのを待つのみ。とはいえ、痛すぎて、床を転げまわったり、部屋の中を行ったり来たり歩き回ったり、痛みをごまかそうと保冷剤で冷やしたり。ほんの少し痛みをごまかせましたが、痛すぎる事には変わりありませんでした。
本当に、この痛みが続くのなら「死んでもいい」・・・ぐらいに思いました。
そのおかげで? 逆に、
痛みのない今では、けが以外にも、心の痛みにも「耐性」が付きました。
人間関係のアレコレ、多少、自分が傷つく言動があっても流せるようになりました。
あの死にそうなほどの痛みに比べれば、これぐらい‥‥と言った感じです。
そして、引っ込み思案で怖がりな自分は、失敗や恥ずかしさと言う心の痛みを避けるために、なかなか行動したり、一歩を踏み出す勇気が持てなかったりしましたが、
あの痛みを耐えたのだからと、へんな「自信」がついて、前以上に積極的になりました。
5 小林正観さんの見解
正観さんは、ご自身の経験や数多くの人の人生相談、事実を積み重ねての検証から、どうやら
「人生のシナリオは決まっているらしい」
「魂が存在するらしい」
という考えに行きついたそうです。
そして、魂に関してこんなことを言っています。
人それぞれの困難をくぐり抜けて生きています。
人には各々の修羅場が人生の中で用意されています。
ちなみに「修羅場」の数は、輪廻転生の数に比例しているらしい。魂が何度も生まれ変わりを繰り返してきて、だいぶレベルが上がってきた、そういう人ほど、「修羅場」の数も増えているという構造になっているようです。
・・・
病気、事故、離婚、倒産・・・・。そのような困難を体験したら、人は以前より、「やさしさ」を身につけるかもしれません。
修羅場をくぐり抜けてきた人たちは、以前よりも「魅力ある人」と思われるようになっていくのかもしれません。
私はただの凡人なので、魂があるのか分かりませんし、別の世界が見えているわけでもありません。
ただ、修羅場を経験して、人生に対して違う見方を得て、少しは周りとの関係も良くなったことは確かです。
できれば修羅場は経験したくないですが、それをくぐりぬけることで、得られることがあると知っているだけで、少しは覚悟して向かっていけるかもしれません。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます
皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです
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