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ギリシャ哲学、仏教思想、アルフレッド・アドラーの目的論及び個人心理学を主とした対人関係…

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ギリシャ哲学、仏教思想、アルフレッド・アドラーの目的論及び個人心理学を主とした対人関係の考察・実践。 現在は日記を不定期で更新していることが多いです。

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最近の記事

生成AIに関する個人的覚書 ー私がAIに望む芸術ー

このnoteは私けもたろうが生成AIに対して思うことを覚書として書いているだけのものとなっています。これに対する意見は求めていませんし、このnoteを槍玉に挙げて知らないところで議論されても困ります。 思う所があったなら、見なかったことにするのが一番かしこいんじゃないかなと思います。 生成AIというものが誕生してから数年が過ぎ、人間が描いた絵と遜色ないものが出力されるようになった今日でも、生成AIは嫌われているように見える。 かくいう私も一人の絵を描く人間として生成AIを

    • 日記 無題

      2024年5月31日、我が家の飼い犬ミミが永眠した。記憶が確かなら、14歳ほどだったと思う。 数日前から体調を崩し、老いのせいかと来る日のことを想像していた矢先のことだった。ミミが逝く前日の夜、動物看護士である姉からのLINEで「もう長くはない」という一文が送られてから中々寝付くことができず、次の日は極度の寝不足で仕事をすることになっていた。 寝不足のせいか、ミミへの心配のせいか、普段の仕事がほとんど手につかず、社長へ正直に話し帰ることにした。何もかもがどうでもよくなってい

      • シナリオ書写:「夢の檻の中へ」

        ある日、シャイロがマイホームへ戻ると、いつも家の前で過ごしている草人の一人が倒れており、ほかの草人たちと、寝室にいるはずのサボテン君が、倒れる草人の周りを囲んでいる。 サボテン君:「しにそう?だいじょうぶ?」 草人:「だいじょうぶ。この子は選ばれたの。これから、神界へ行って、大きな木と一つになるの。」 「大きな木?」 「うん、草木はみんな根っ子でつながってるの。たくさんの草木に見えても、ボクらの本当の次元では、ボクら一個なの。」 「一個なの?」 「ボクら一個の木な

        • 日記 夏の夜

          夏の夜の匂いを嗅ぐと、子供の頃、山奥でキャンプをしたことを思い出す。 テントの中で友人と眠るとき、私だけは山の夜の暗さに怯え、なかなか寝付くことができなかった。 虫の音、風の音、夏の夜の湿った匂い。付近を流れる川のせせらぎとともに運ばれてくる、山のあらゆる、おごそかな、命の息吹とも思える"なにか大きなもの"が、いっそう私を孤独にした。 この孤独に幼い私は耐えることができず、逃げるように大人たちのいるテントへ潜り込んだことを覚えている。大人たちの大きないびきが反響するテン

        生成AIに関する個人的覚書 ー私がAIに望む芸術ー

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          3本

        記事

          日記 モネ、再び会えたなら

          クロード・モネの作『散歩・日傘をさす女』には、彼と彼の妻カミーユとの物語がある。 1875年。モネが34歳の頃に描いた、最初の『日傘をさす女』。 彼の息子ジャンとの散歩中、彼は先を行く2人を呼び止め、後ろを振り向く彼女らの一瞬を描いた。 2人を包み込むように描かれた雲、しなやかに流れる草木に溶け込むような純白のドレスに映る鮮やかな光と影が、暖かな初夏の昼下がりを思わせる。 驚いた様子でも、一切の不安を感じさせない穏やかな顔をしたカミーユの美しさは、モネがいかに彼女を愛してい

          日記 モネ、再び会えたなら

          日記 「散りてなお」:哀しむことを許されない哀歌

          若者の間でも、成熟した大人たちの間でも、最近ではテンポの良いキャッチーな歌が増えたように感じる。 私は音楽がわからないので、どういったテンポが"テンポが良い"のかわからないし、何がキャッチーなのかもわからない。しかし、どんな歌にもどこかしらに激しさがあり、それはたとえ内なる哀しさを伝えるものでも同様に、そんなことは笑い飛ばしてしまえよと言わんばかりの激しさを以て歌い上げられているような、そのようなものを肌で感じる。 ラジオから流れるトップチャート。職場を満たす轟音をすり抜

          日記 「散りてなお」:哀しむことを許されない哀歌

          日記 情け乞うことなく生き

          朝、突然の知らせが私を驚かせた。職場の仲間が一人、退職をするらしかった。私が仕事を教えていた女性だった。 「何もうまくいかない、できないことが辛かった」 彼女はこういって、退職を決意したのだという。 たしかに、私の仕事は一般の職種から見ても専門性が高く、まともな教材が一つもない。教材がないので教育者もいないし、仮にいたとしても彼らは"ただの"技術者であって教育者ではない。教育の才がある者が全くいないわけではないが、ほとんどあてにならないというのが現状だ。 つまり、素人

          日記 情け乞うことなく生き

          日記 湯の温もりに浮足立ち

          浴槽に湯を張り、座禅し、湯を抜く。 目を閉じ、排水口を静かに流れる湯の音と温もりを確かめ、瞑想する。 浴槽を満たす湯の浮力を感じていると、次第に湯が減り、浮力が弱まる。 浮力によって維持されていた座禅の型を維持することが難しくなってゆく。 湯が完全に流れ去り、浴槽に一人残された私は、湯の浮力も、その温もりも全て剥ぎ取られた。晒された体が冷える。座禅の型をこの身一つで維持するがゆえに、足が痛む。 湯があるという幸福。浮力により座禅の型を維持することが容易だった。温かい

          日記 湯の温もりに浮足立ち

          無明:怨憎会、求不得

          「四苦八苦」という言葉がある。 今となっては、大変苦労した様を表す四字熟語として知られる言葉だが、この言葉は元々、仏教に由来する言葉だった。人が生きていくうえで味わう決して避けられない苦。その全てだった。 四苦八苦の中には、怨憎会苦(おんぞうえく)、求不得苦(ぐふとくく)、という言葉がある。 「怨憎会苦」は、憎くて仕方がない者といつか必ず出会わなくてはならないという苦を。「求不得苦」は、自分の求めるものが手に入らないという苦をそれぞれ表している。 長く、哲学と仏学に触

          無明:怨憎会、求不得

          2020

          今年はずっと、泣いていたような気がする。 無論、えんえんと泣きじゃくっていたわけではない。顔には出さず、ずっと泣いていたのだ。 仕方がなかった。好きで好きでたまらない人を、一瞬で、しかも2人、失ってしまったのだ。想像を絶する苦痛に耐えかね、駄々をこねる子供のように暴れず、胸の中で静かに泣くだけで済んだのだから、これでも上出来だろう。 もうそれ以上はどうしようもない傷というものは、時が確実に解決してくれる。なにかほかに解決できる術が残されているものはその限りではないが..

          芸術哲学入門 覚書

          ――それゆえ、美は手段が目的から区別されるがごとく、善とは区別されると結論づけられる。 感覚の純粋な快がもたらす絶対的(直接的)な美から、われわれは適切な規模と調和の知的な把握に由来する美へと惹かれ、ついで有用性、つまり善なる他の何かにみずからを適合させていく能力を本質とする、あの相対的な美(模倣芸術のそれのごとき)へと巡ってきた。 だが、感覚から(犬儒学派のように快の現実味を否定しないまま)われわれを引き離していくこの運動は(『ピレボス』44d,c)、われわれを真の善の

          芸術哲学入門 覚書

          日記 同僚の女性

          現社長に誘われ入社したこの小さな工場も、歳を重ねるごとに増す時の流れの速さによるものか、それとも、かつてアインシュタインがそういったように楽しい時があっという間に過ぎ去ってしまった結果なのか。もう半年以上の付き合いとなる。 最近では、私と同時期に入社した女性と、私がいくらかのアドバイスをしながら二人三脚で作業をするようになった。私は元々新人教育を担当することが多い人間なので、今回も例に漏れず......といった調子で快諾してしまったが、この会社に来た理由の一つ「自己の技術の

          日記 同僚の女性

          個人的な嗜好の話(VtuberとFA)

          他人の行ったことについてあれこれと言うことはお世辞にも良いこととは言えませんが、あまりに酷いものを見てしまったので敢えて言います。 今に始まった話ではありませんが、絵の持つ力――言葉より直感的に人の感情を変える力を、理解していない絵描きが多過ぎる。特に、Vtuberという界隈において、この力を理解しないということは非常に悲しい。大好きな人を自分の手で攻撃することになるのですから。 絵は、自分の想いを伝えるにはとても素晴らしい媒体です。美しいイラストに心がはっと明るくなった

          個人的な嗜好の話(VtuberとFA)

          感情を捉える:”何が”エモいのか

          「エモい」という言葉が現代人の語彙力を貧弱にしている。という意見に対する反論として、うどんもパンも「ごはん」と言うだろうと返した人がいた。 私からしてみれば、どちらもまるで見当違いのことを憂いているように見える。私は「エモい」という言葉を使うことそれ自体が問題なのではなく、「”何が”エモいのか」という、自分自身の感情を誰かに、そして自らに説明することが出来ない人が、「エモい」という便利な言葉に依存してますます自らの感情の認識から遠ざかってしまうことが問題なのだと、この言葉が

          感情を捉える:”何が”エモいのか

          CAMPFIRE応援コメント:ケリンさんへ

          この文章は、クラウドファンディングサイト「CAMPFIRE」にて、ヤミクモケリン氏への応援コメントとして宛てたものでしたが、文字数制限を越えてしまったためこちらで公開することに致しました。 ケリンさん、はじめまして。 ケリンさんが初めて動画を投稿したほんの少し後から、あまり表立って述べることはありませんでしたが、いつも楽しく動画を拝見してきた者です。 この度はアニメーション制作会社の起業支援のお願いとの事で、僭越ながらお心添えをさせて頂きました。 まず始めに、最近では大

          CAMPFIRE応援コメント:ケリンさんへ

          日記 嬉しい疲弊

          1/5、2/10、3/16。今年に入り3回も、喜ばしい日が過ぎていった。 誰かの誕生日というものは本当に楽しい。私は元来、貰うことよりも与えることの方が性に合っているらしいので、なりふり構わずプレゼントを渡せてしまうこうした"記念日"をとても大切にしている。 とはいっても、私に出来ることはとても少なく、絵を描いて、すこしばかりの心付けをするだけ(しかも、今回はトラブルのため心付けさえ叶わなかった。こちらは日を改めて渡そうと思う。)。それでも、本人の笑顔の足しになる可能性が

          日記 嬉しい疲弊